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いつかの私のヒーロー、弟

ちょっと今日は私の弟愛を語らせていただきい。

私には2人の弟がいるのだが、そのうちの中3の末っ子のことが私は大好きで大好きでたまらない。まったく憎めない、いとおしいヤツなのだ。

上の2人にくらべ、彼はまったくと言っていいほどお勉強ができない。怠惰癖があり、反抗期につき母親への暴言がひどく、真面目が大嫌い。食べ物の好き嫌いも激しく、夜ご飯にモンスターしか飲まないような、とにかく学校というシステムの中では絶対に評価されにくい子だ。小学生の頃からそんな感じだった。

しかしそんな弟こそ実は、3人兄弟の中でいちばん頭がいい人間なのだ。
どれほど口が悪かろうと、彼こそがB級我が家の秘宝だと私は本気で思っている。努力タイプの私にはない地頭の良さと、繊細な思春期に大人や小さな社会にみだりに惑わされない、つよい軸を持っている早熟な人。そのぶん、多いに大人に勘違いされやすい人間だろうけど。

まず、彼には提出物を期限内に出すという、中学校生活の基本ともなる約束事へのこだわりがまるでない。そして、期限に対して遅れることへの罪悪感や反省も全くない。学校も、体調がよくないと平気で休んだり遅れて登校している。
びっくりする、その態度の清々しさに。むしろ感心してしまうほどだ。
ふつうだったら「先生に怒られるな」とか、「みんなが出しているから、出さないと恥ずかしいな」という何かしらの抑制がはたらくはずだ。でも彼の場合、その抑制がまったく効かないらしい。校則でギチギチに縛られている田舎の公立中学校なのに。
しかし、うちは母親がすごく真面目なタイプなので、そんな怠惰はぜったいに許されない。なんとか尻を叩きまくって提出させているらしい。

あとはお金の感覚。
これがもう3人兄弟、いや、家族全体で見てもピカイチに鋭い。
大体中学生くらいのガキンチョは「いかに親から小遣いをもらえるか」という、与えられるのを待っている発想になりがちだ。しかし、頭のいい彼の場合そうはいかない。他者から与えられるのをを待っててもしょうがないし、その前にほしいものがあるし、でも真面目な母親は絶対にくれないとわかっているので、しょうがないからと自ら「金をうむ」発想になるのだ。
息を吸うようにこういう発想にひょいとチェンジできるところに、私はほんとうに彼の地頭の良さを感じる。すでにあるもの・すでに与えられているものをベースに考えるのではなく、真の目的から逆算して最適な手段を選び、行動できる人。それほどまでに、自分のwantがはっきりしていて、それを自覚している人。

といっても、中学生はまだアルバイトをできる年齢ではない。じゃあどうやって稼いでいたかというと、カードゲームの売り買いだ。
地元のショップに行き、価値が見込めるカードを安い時期に買い、他の高く売れる店に高く売れる時期に売り払う。田舎の男子のカード需要はかなり高く、この方法でレアなカードであれば10,000円はつくという。
カード取引によって、彼は働くよりはるかに簡単に、しかも大金を稼いでいたのだ。そして稼いだお金は一部またカードに回し、それ以外でモノを買う。

言ってみれば株の取引とおなじ原理で動いているのだ。なんて賢いんだ!!!で、カード取引で売ったお金で買った雑貨を、少し使って飽きたらメルカリで売っているらしい。

......姉ちゃんはもう脱帽だ。すばらしい経済網、健全なお金への執着、商売感覚。その発想と勇気が私には全くない。
私にないものを持った末っ子が大好きで大好きでたまらない。そこに勉強ができるできないとか、学校生活の態度が良い悪いなどは全く関係ない。
あまりにも彼の考え方や選択が本質的すぎて、学歴や周りの目を感じながら育った自分にはぐうの音も出ないのだ。学だけ積んだ私や真ん中の弟なんかより、はるかに生きる能力が高い。

上からの義務教育に惑わされない超本質的な彼の、何かを捨てるときの思い切りの良さ(部活に入ることが普通の中学校で、奴は1年でバスケ部をやめた)、自分の感覚に対する絶対的な信用を見るたびに、同じ年齢だった時のじぶんの愚かさ、未熟さを思い知らされる。彼を見ていると、なんだかんだ言っていかに自分が凡庸で、常識の中で怯えて生きているかを思い知らされる。後ろ髪を引かれる地点で、私は彼と全くちがうのだ。

いちばん繊細な時期にあんなにたしかな感覚を持っているのなら、もうどんなに学校に馴染めなくて先生に悪い評価をつけられてもなんら気にすることはない。大丈夫だと思う。むしろ本人にとっては痛くも痒くもないのかもしれない。にも関わらず従わないといけない形式的なルールの方が邪魔で仕方ないんだろうな、という風に見える。実際、本人も全く気にしていないようだし。

風穴を開けるタイプの彼に、なぜ私がここまでの清々しさと惜しみない愛情を感じるのか。
それは同じ年齢だった頃の私が、集団の中でしか生きていけないきわめて常識的な人間だったからだ。そしてそのことに苦痛を感じていながらも、なんにもできなかった人間だったからだ。

中途半端に行儀がよく、中途半端に勉強もでき、部活もできる生徒。中高生の頃の私はそんな生徒だった。「先生」とか「社会」とか「クラス」の言っていることに反感を感じつつも、ついにそこに立ち向かってはみ出る勇気もない。すでに与えられている手段の中でしか選んでこなかった。勉強はどんなに苦しくてもやるのが普通だと思っていたし、良い大学に入るのが当たり前だと思っていた。良い点数を取らないことは恥ずかしいことだと信じて疑わなかった。

でも、彼はぜったいに「これが普通だから」と理由で物事に従わない。そこに意思や目的がなければ、ぜったいにそれをやらない。恥ずかしさもなく、あたかもそれが疑いようのない事実であるかのように。その芯のつよさ、真の頭のよさは、あの時の私がいちばん欲しかったものなのだ。

私があの時やりたくてもできなかったこと、やりたくても発想になかったこと。それをひょうひょうとやってのけていく彼は、あの頃の私のヒーローに見える。

2月3日、節分の日。
今日はそんな彼の、推薦入試の日だった。

やはり彼らしく、試験一発できまる一般入試ではなく、作文と面接で決まる推薦入試を選んだらしい。さすが省エネ志向。
たしかにこの前帰省した時も、「これが本当に受験生の正月......?!!」と疑ってしまうほどに緊張感がなかった。文字通りの寝正月を過ごし、あまりにも変わらない様子に、むしろこちらの肩の力がぬける思いすらあった。「受験生とは、死にものぐるいで勉強するのが当然だ!!!」と思っていた私の固定観念を、あざやかに変えてくれた。別に死にものぐるいで勉強しなくたって、人生は大丈夫なんだよ。自分がその選択に心から納得していれば。その逆もまた然り。

昼までで受験がおわり、家に帰ってすぐに着替えて彼はさっそく遊びに出かけたようだ。

まったく、どこまでいっても清々しい、かわいいやつ。

いつかの私のヒーロー、弟よ。
どれほど先生に誤解されても、親に説教されても、友だちに嫌味を言われても、誰に何といわれようと、おまえだけは清々しいやつであってくれ。
あざやかに、自分をつらぬいていっておくれ。
姉ちゃんは、おまえの一生の味方だ。







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