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私のファムファタール #推しプレゼン採用

「ファムファタール」という言葉を聞いてどのような人物を思い浮かべるだろうか。

ファムファタール、人生を狂わせるような魅力を持った人物、または狂わせるような人。男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)というのが元々の意味であるが、同時に「男を破滅させる魔性の女」のことを指す場合が多い。
単なる「運命の相手」であったり、単なる「悪女」であるだけではファムファタールと呼ばれることはなく、それらを満たしながら「男を破滅させる魔性性」のある女性を指す。多くの場合、彼女たちに男性を破滅させようとする意図などはなく、複数人との恋愛をしたりお金を際限なく使ったりする自由奔放な生き方により、男性が振り回されることになる。

Wikipediaより

ファムファタールと聞けば女性。個人的には、肉付きが良く、緩い巻きのかかった長髪をなびかせているような人物。世間一般ではそんな人物をファムファタールの象徴として掲げられているように思う。けれど、私のファムファタールはお世辞にも肉付きが良いとは言えない、短髪黒髪、そして男だった。

私のファムファタール

「身近さ」で蓋をした落とし穴

私のファムファタールは、落とし穴のような男だ。始めて見たのはバラエティー番組の司会者としての姿。ハキハキとした声、明るい表情、そのどれもが番組の中心で響き渡っている。本当は、別の人を目的に見ていた番組だったけれど、最後まで耳に残ったのはその司会の声だった。その声を聞くために何度も番組を再生する。そして、何度も聞き続けるとその人から別の魅力が覗いていることに気づく。同業者への尊敬や愛情とそれを実現する力量が変人ぞろいの出演者をまとめあげ、バラバラの魅力全てに光が当たるようにとするところから垣間見えたのだ。そして、実現に至るまでの自己犠牲と努力。彼の第一印象は声が大きい身近なお兄さんだった。けれど、彼というファムファタールはそれだけではなかった。私は落とし穴に突き落とされてからもう3年になる。

彼の魅力として「身近さ」といったけれど、それは多分、彼の努力で成り立っている。今でこそ、企画に呼ばれれば自然に司会の位置に立ち、案件があれば周りの同業者から回しを勧められる。100人以上が所属する事務所の中で「司会者といえば」「司会を任せれば右に出るものはいない」と言わしめるような地位を手に入れた。しかし、本人はデビュー当時、「話すことが得意ではない」と話している。現在の配信者として主流の生配信をメインとしたスタイルではなく、動画投稿をメインとしたスタイルをしようとしていた。生配信で話し続けることができないと思っていたから。しかし、活動を始めて司会に起用されてからは、その発言が嘘のように司会者として起用され続け、成果を残している。ある時は20人以上の大人数番組のタイムキープを行いながら全員に話を回し、ある時は司会者として先輩と対等に渡り合った。

けれど、そのすべての成果は彼の努力によって成り立っている。誰よりも台本を読み込んでいることは同業者からの発言から分かる。スタッフ一同からの評判と仲の良さは本人のエピソードから垣間見ることができる。その結果が、「どの番組にもいる司会者」という「身近さ」を作り出した。実際に司会者として新人と関わる機会が多いので、事務所の中でも珍しくほとんどすべての同僚と直接関わったことがある存在になっている。努力の上に成り立つ「身近さ」は彼がファムファタールたる所以だと思う。だって、その身近さがあるせいで彼の真の魅力に取り込まれてしまったのだから。

仄暗さから生まれた意思と自由

彼は努力によって「司会者」という実績を手に入れた。けれど、それは職業が「司会者」になったわけではない。彼の職業はデビューしてからずっと「シンガーソングライター」だ。

今でこそセカンドアルバム、そしてファーストストーリーアルバムをリリースし、事務所の周年ライブにもほぼ毎回登場している彼だが、デビュー前そしてデビューしてしばらくしてからもしばらくの間は「シンガーソングライター」としてはすぐ成果を出せたわけではない。デビュー前の話をすれば、「路上ライブをしていた」「音楽が続けられないなら死ぬしかないと思った」などの極貧エピソードが飛び出してくる。加えて、デビューしてから求められたのは「司会者」としての彼。それと比べて「シンガーソングライター」としての彼はあまり求められていなかったように思う。

ある時、彼は「司会者」と「シンガーソングライター」を天秤にかけた。実際にはそんな極端な考え方はしていないのかもしれないけれど、私には彼が「シンガーソングライター」として生まれ変わることを選んだように見えた。天秤を音楽で生きていく方に傾けた。彼自身の意志で。

彼の音楽の魅力は、作曲の幅広さや音楽理論に果敢に向かっていくチャレンジ精神だけではない。私が考える彼の音楽の一番の魅力はその「リアルさ」と「仄暗さ」である。

目を背けたくなるような感情の後ろ暗さに寄り添う作風が特徴。

これは彼のアーティスト情報の一部だ。例えば、デビューと同時に発表された楽曲「死にたくないから生きている」の冒頭の歌詞。

いつか見た夢の続きを知りたくて僕は明日が来ることを拒んだ
通り過ぎていく同じ色の日々に生きる意味を見出せなくて

彼は自身の音楽の解釈を公言することはほとんどない。けれど私は、最新のファーストストーリーアルバムを除いた楽曲は、すべて彼の思想を歌っているように感じられる。そして、どの楽曲にも共通するのは「仄暗い」といわれるような現状とそこから自分で選んだ手段で這い上がってやるという「意志」。彼はずっと戦っていて、新しい楽曲が出るたびにまだ負けていないと証明している。

彼の思想は楽曲以外にも表れている。その中でも「自由」ということに関しては、ほとんど執着をしない彼にとって、数少ない手放せないものの一つなんだと感じている。配信内でも、「みなさん(視聴者)には自由でいてほしい」や「僕の活動の全てを追わなくてもいい。好きなところだけつまみ食いしてくれればいい。」と何度も発言している。「その代わりに僕にも自由でいさせてください」とも。

この仄暗さから這い上がる下剋上のような「意志」と自他関わらず適用させる「自由さ」が彼をファムファタールにした理由だ。加えて、「身近さ」が彼を包んでいる間はこの「意志」と「自由さ」には気づくことができない。けれども、その意志は必ず私たちに熱を与えるだろう。私はいっそのこと彼に縛られた方がよかったかもしれない。彼に縛られていたなら、その熱に当てられてもう一度文章を書き始めることもなかったのかもしれない。彼は私を縛る気がない。こんなにも魅力に取り込まれて、抜け出せなくなっているのに。人生を狂わされているのに、彼はその自由さで身軽にすり抜けていく。「意思」を私たちに見せるため。

私のファムファタール。私の人生を変えた男、夢追翔の話。

ちなみに、ファムファタールの男性版を「オムファタール」という。が、性別の概念もその自由さの範囲に収まらないという意味で、私は彼を最後まで「ファムファタール」と呼びたい。


本noteは、面白法人カヤック様の面白採用キャンペーン「#推しプレゼン採用」への応募のために書かれたものです。


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