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✥✥vol.3 日本人に潜む?『お疲れ様・問題』✥✥

[Ren's Essence〜ふと足を止めて、考える]
日本人に潜む?『お疲れ様・問題』


✦当たり前のやり取り〜✦

夜、スマホの詰将棋に戯れていると、若い友だちから電話が掛かってくる。あまり鳴らないスマホが鳴ると、それだけでちょっと嬉しい。

「もしもし〜」
「あ、お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ様。久しぶりだね、どした〜?」

“お疲れ様”という挨拶。
“俺、君の仕事仲間ではないし”と思い、時にはそう伝えたりもしていた。
固定電話だと、かつては番号通知がなかったので、

「もしもし、〜さんのお宅ですか?」
「はい」
「〜です。夜分にすみません」

みたいな前振りがあったと思うが、
この頃は、掛ける側はダイアルを回さないためかけ間違いはないし、受ける側も発信者がディスプレイに表示されるので、取るときには既に誰からの電話かは分かっている。
発信者確認のやり取りが不要になった結果、その間を埋めるために「お疲れ様です」という枕詞になったのだろう。

当初から何となく違和感があったので、僕は自分から掛ける時には「こんばんわ〜」とか、相手が分かっていても「もしもし、〜くん?」と言ったりしていたが、どれもしっくり来なくて未だに困っている。
何年も僕の頭を悩ませてきた、なかなか解決を見ないこの 『お疲れ様・問題』……。

✦遊び場でも〜✦

“お疲れ様”は、電話のなかだけではない。
この頃よく顔を出すプール・バー(ビリヤード酒場)でも、突き終えた常連さんが帰るときには、

「お疲れ様でした〜」
「おぉ、お疲れ様〜。お先に〜」

みたいなやり取りがある。
遊んで帰るというよりかは、練習して帰るイメージだろうか。
お酒を飲んで球を突く。ドリンク・マッチも交えながら、居合わせた人とゲームをする。
遊びだって、身体は疲れるといえば疲れる。でも、なんかやっぱり僕にはしっくり来ない。

✦そもそも論として✦

元より僕は、この “お疲れ様”という言葉があまり好きではない。
なるべく疲れない様に、仕事というのは『組み立て・取り組み・終える』のが良いと思っているからだ。

きっと昔からある挨拶だし、その頃には例えば農業なんかをみんなでしていたわけで、朝から耕したり水やりをしたり土仕事をした人に掛けるには、確かに“お疲れ様”というのは “優しい労りに満ちた見送り方”だと素直に思う。
それが挨拶として定型化し、『仕事を終えた人に対して掛ける言葉』という関係性で、より広く用いられるフレーズとして残ったのだろう。

(✥ちなみに、変換しながら気づいたのだが、“いたわる”も“ねぎらう”も“労”の字を使う。気遣いの対象には“労働”が見え隠れする。やはり、この問題は根が深そうだ)

そこまでは良いとして、明らかに仕事を終えたばかりの人でなく、また仕事仲間でもない人にまで “お疲れ様”と言うというのは、どういう事だろうか……。

✦人は、何するもの?✦

夜に掛ける電話や、職場以外で会った人にも “お疲れ様”と声を掛ける。
或いはそこには、
“いつも、みんな、働いているものだ”
とまでは言わずとも、
“人間とは、遊ぶ存在でも、生活をする存在でもなく、仕事をする存在である”
という人間観が滲んでいる様に思われる。

例えば、そんな潜在意識を表す一例をあげたい。
「会社から、飲みには出るなって言われててね〜」という話は、時短措置等が解かれてからも未だによく聞く。
愛媛にいた頃には、それを破って仕事をクビになったという子もいたし、またそれが噂で出回って、ますます人が外に出なくなったりもしていた。みんな、その措置を怒らずに怖がっていた。

“合法的に開かれているお店”に行くことを、規約の変更もなしに会社が従業員に禁じている。
職種は様々だし環境も異なるので、その制約が全て妥当でないとはもちろん言わないが、勤務時間“外”の過ごし方まで当然の様に制約されるというのは、もはや雇用ではなく、所属を超えた従属ではないだろうか。

“遊べないのは仕方ないか”
私見ながら僕は、この様な過度の聞き分けの良さこそが、諸外国に比べコロナを抑え込めた日本が経済回復では著しい遅れを取っている大きな要因の一つだと考えている。

この勤務時間外・制約も、なかなか浸透しない労働基準法関連の規制も、実は “お疲れ様・意識”に由来する日本人固有の問題かも知れない。
そう思ってアメリカ人の友人に、『会社の飲み歩き禁止令』についてどう思うか聞いてみたら、「それなら、その時間も勤務にしてもらわないとだね」
と、あっさり答えた。
彼は英語を教えるフリーランスだし、僕も物を書くフリーランスだから、たんに僕と彼が組織というものの本質を分かっていないのかも知れない。

✦ポジティブにフォーカスする✦

『メジャーリーグでは、ピンチの場面では「頑張れ」でなく、「楽しんで(Have a fun!!)」と声を掛けられる。それは斬新だったし、その方が良いパフォーマンスに繋がる様にも感じられた』
そんな内容のスポーツ記事をずいぶん前に読んだ(たぶん、野茂英雄投手のコメントだったと思う)。
結果や責任に過剰に気負わず、自分を信じてリラックスする。“個の国”らしい、前向きなピンチの背負い方だ。

“自分らしさ”
“やりがい”

仕事もまた、他者や社会への奉仕に留まらず “自身のためでもある”ということは、日本でも少しずつ認められる様になりつつある。
もちろん、その方が生産性の向上にも資するのではないか、という考えに基づいての事だろう。

“お疲れ様”というフレーズについてもそろそろ、
“もっと爽快な声がけも見つけられたらな”
と思ったりもする。



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野咲 蓮
メッセージ・コンサルタント(人物・企業のリプロデュース) 著書:人間を見つめる希望のAI論(幻冬舎刊)


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