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✦✦vol.5〜伝統文化と遺伝子〜人間が承継していくもの✦✦

[REN's VIEW〜“その価値”についての考察]
伝統文化と遺伝子〜人間が承継していくもの

[日本橋「八木長本店」9代目・初の女性社長に聞く「これからの食」]より〜

✦コーヒーブレイクに

ちょっと空いた時間にいつもの指クセでGoogleを開くと、『人間のゲノム解析が完了した』というニュースが目に入った。
ゲノムとは、個々の遺伝子ではなく、遺伝情報の総体のことを言う。
記事には続いて『これまでは未知とされていた残りの8%が解明された』とある。
全体像が正確に分かれば、まとまりは崩さずに個々を組み替えることもやがて可能になるだろう。人間は遂に、大豆やなたねやアルファルファと同じ具合で、自らの遺伝子をも操れるようになりつつあるのだろうか。

ふと、お出汁の取材の折、「八木長本店」9代目・西山麻美子さんの話してくれた “ちょっと不思議な体験”が脳裏を過った。
十年ほど前のこと、イタリアでの和食展示会。馴染みのない魚臭さに、多くのイタリア人は思わず鼻を摘んだりもしていた。そこに、両親は日本人でミラノに育った小さな男の子が来た。そして初めて口にしたお出汁に、実感の染み入った様な声で「美味しい……」と言った、というエピソードだった。
「あるいは本当に “DNA的な味覚”というのはあるのかも知れないですね」と言って、二人で笑い合った。
遺伝子を自由に書き換えられる様になったら、そういう不思議な承継もまた、なくなってしまうのかな、と思ったのだ。

✦多数のなかの唯一

食に限らず伝統文化には、“替わりの利かないものだから変えずに遺していこう”という哲学がある。
遺伝子もまた、分からないものだから手を付けられず、そのままに遺され承継されて来た。
分からなかったものが解明され、変えることが叶う様になった時、これまでは遺され承継されて来たモノの肉体的表象である人間はどうなってしまうのだろうか。

「四国なんかだと、まず絶対にそこで出てくるのはイリコ(かたくちいわし)。いいイリコがあるから」
お出汁の取材、西山さんの話を聞いて感じたのは、伝統食というのはその土地のDNAの様なものだということだった。
そこの自然に由来する素材があり、永く継がれて来たその素材を活かすお出汁の取り方があり、時には土地と土地の文化が合わさって新しいものが生まれていく。
関東には鰹節があって、関西には昆布があり、その二が結婚して結ばれる様に融合して、『鰹節×昆布』という今の王道とされるお出汁(黄金の組み合わせ)になった。

西山さんはお出汁を上手に取ることよりも、或いはどのお出汁が最も素晴らしいかよりも、その人に結びつくお出汁の話をされた。

「例えば季節行事にするとか。そしてお正月に家族で集まった時には、何処にいても食べられるものではなく、その地に纏わる食材を用いて、それらを煮合わせて、お雑煮を作ってほしいですね」

それはきっと、改めて故郷の豊かさを味わうことのできる一時になるだろう。
「それぞれの土地で本当に違うんです。日本の食文化って実は、多様性そのものなんですから」
たくさんあるメニューの中で、故郷のお雑煮を食べる。自分にとって替わりの利かない場所。その地で採れたもの。たぶんそこでは “距離感の話”をしている。
小さな頃の思い出。旧い記憶と体感がその瞬間の味覚に結びつくこと。大人になり時が経ち、今は離れ離れでも、同じ顔ぶれが目の前にある。
人も空間も“自分と親しいその関係性”に、どこかホッとするシーンが浮かぶ。
或いはそれは、自分の中に自分を探すよりも確かに、自身を再発見できる確かな方法の一つなのかも知れない。


✦代替性と多様性

例えば解明された遺伝子を活用した治療が進化して、病気になってしまった人の多くを救える様になるとしたら、それはとても良いことだ。そもそも病気に罹ることを避けることも、同じ意味で良いことだ。
ただ、漂うのが好きな僕の頭は、ついその先を考えたりもしてしまう。
人間存在が、書き換えの利くモノになること。配置の組み換えで変わりうるモノになること。
治すに留まらず、思う様に何でもできる様になった未来を思うと、どこか奥底に怖れを抱く様な気持ちも芽生えてしまう。
何にでも変えられる事は、必ずしも多様性の実現を意味しないだろう。全て一人一人が、“何にでも成りうる一”になってしまうのではないかと。
子供の頃、欲しがっても買って貰えなかったプラモデルがあった。大人になりいつか、自分自身がどんなプラモデルにでもなれると知ったら、そのとき僕は本当の幸せを感じただろうか。

✦未来へ繋いでいくもの

「百年先の未来にも、この素晴らしい出汁の文化は残っていてほしい。そのためにはどうすれば良いのか。何をしていてもいつも、頭のどこかでは、その事ばかりを考えています」

ややもすれば衰退してしまうかもしれない現状についても語った後に、西山さんは朗らかな笑顔でそう言った。
当たり前のように承継されるDNAとは異なり、伝統文化は、それを大事に思う人々の想いによって紡がれて来た。食も、着物も、話芸も、踊りも……。
人間には愛着という性があり、頑固という気質も備わっている。そして、手を繋ぐ様に感情を伝え合うこともできる。
個人が、自分の中にではなく故郷のお雑煮に自身を見つけられる様に、人間もまた、人間が選んで遺した何かの中に、人間存在を見出だすのかも知れない。

今、思い描くのはこんな世界だ。北も南も東も西も、世界中のレトルト食品があって、同時にそこには、例えばイリコのお出汁で作る故郷のお雑煮もあって。
替わりの利くものが増えていくのなら、或いは自分たちそのものすら置き替わりが利くのなら、それに劣らぬ分だけ、変えずに遺していくものもみんなで見つけていく。
何が、本当に大切なものなのか。“変わらずに遺っていて欲しいものなのか”を探し続けていくのだろう。
固有のものが沢山ある、人間の多様性が消えて亡くならない世界を守っていくために。

野咲 蓮
メッセージ・コンサルタント(人物・企業のリプロデュース) 著書:人間を見つめる希望のAI論(幻冬舎刊)


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