見出し画像

安らかな時間、とでも訳せばいいのか。 彼のセンスはやっぱり素晴らしかった。

連続投稿をしているYoutube 動画で「助太刀」を書いた。

祖母と一緒に炬燵でよく寝転がって時代劇を見ていた俺にとっては、「助太刀いたす」「かたじけない」的な状況はワクワクする場面の一つだった。
悪の方に取り囲まれて絶体絶命のピンチの侍のところに、主人公的立場の人物が助けに入るところだ。これで助かったと安堵する。

太刀で助けるというのが言葉になっているところが日本的な気がしていい。
西洋や中国でもこの発想があるのだろうか。

写真の書の左払いの最後の筆を抜くところとか、シャープな日本刀の雰囲気を出そうと思ったのだが、感じていただけるとありがたい。

「助ける」という事で言えば、「助け舟」という言葉もあるが、これは平安時代末期の西行法師の「山家集」からだそうだ。大浪に引かれ出でたる心地して助け舟なき沖に揺らるる (「山家集」中 雑)という歌がある。

海で遭難したときの救助も命に関わることなので泣くほどに有難いだろうが、「助太刀」とはピンチ救済のイメージが異なる気がするのは俺だけか。

言葉で思い出したが「馬の耳に念仏」という言葉がある。

馬に念仏を聞かせても、そのありがたさがわからずに効果がないことから、人の意見のありがたみが分からずに耳を貸さないことのたとえだ。

今は「馬の耳に粘土」が他人の話が聞こえないことだそうで、言葉は使っているうちに定着してしまう。こんなのただのギャグだったんだけど。

時代ごとの社会に合わせて増えたり減ったりするものだからそれはいいのだが、元の言葉をしっかり残すことが大事。

さて、教室にオージーの男の人が書の体験に来た。

とても体格がいい大きい人で、2メートルある?って聞いたら198だという。靴をはいてるからもう十分超えてると思うけど、オージーにしてはとても謙虚だと思った。

日本に旅行に行きたいとかで、日本語は来月から習い始めるという。
日本語は読めないし書けないししゃべれもしない。なのにも関わらず、彼は書の体験に来た。

素晴らしい。

「日本」を体験するのに、語学習得より先にまず書を選ぶ当たりセンスがいい。

大きい体躯を少し折るようにして半紙に向かう。体が大きいので筆や半紙がやたらを小さく見える。俺ならはがきに向かって小筆で書いているようなイメージ、と言えば分かりやすいのか分かりにくいのか。

初めての筆に最初は戸惑ってもたつきもあったが、線の練習をしているうちにだんだん慣れてきて、なかなかの手つきに。下手に習字などやってないおかげで線が素直でいい。

彼が選んだ言葉は『嵐』。

なかなかのチャレンジ…と日本人なら思うだろうが、初めてのことなので何が簡単で何が難ししいのかなどの判断も彼にはつかない。

とにかく何枚も何枚も練習をして、最後の最後に一枚いいのができた。彼はとても満足そうだった。

彼は礼を言って帰って行ったが、'peaceful time’ がとてもよかった、と言ったのが印象的だった。

安らかな時間、とでも訳せばいいのか。
書の時間は安らかな時間。

彼のセンスはやっぱり素晴らしかった。

英語圏で書道を紹介しています。収入を得るというのは本当に難しいことですね。よかったら是非サポートをお願い致します。