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恵子さんはだんだん首がくねくねしてくる。十二単(じゅうにひとえ)に包まれた自分を想像しているのだろう。

「IとYouしかない文化」で出来上がったと社会と、方言も入れると私から朕まで「びっくりするくらいの一人称とそれに相応する二人称をもつ文化」で出来上がった社会。

両者は敬語の数もその複雑さも全く違う。つまり他人に対する配慮の仕方が全く違うということだろう。

どっちがいいとか悪いとかそういうことを議論することはナンセンスである。しかし日本社会は戦後不用意に前者ばかりをもてはやしてきた経緯がある。

その結果として相手への敬意を失し、礼儀を軽んじる風潮を広めることになってきたんじゃないかというのは言いすぎだろうか?

なんだかなあ、と疲れてしまうトピックで申し訳ないことである。

さて、話は変わる。
藤原さんと会ったのは偶然だった。

その人が藤原さんだということが分かったのは、彼女が自分の名前を漢字で書いてある書類を目にしたからだ。下の名前には最後に子が付いていた。

「すいません、お名前、『ふじわらのけいし』さんっておっしゃるんですか?」

「はあ?」っという顔をされた。
当然だ。

ふじわらの、ってなんだよ、の、って。
鎌足じゃあねえんだよ。道長でも頼道でもねえんだよ。
けいしってなんだよ。けいしって。
恵子だよ、けいこ。か、い、こ。ちがう、け、い、こ。

藤原定子(ていし)でも彰子(しょうし)でもねえんだよ。
なんだよ、けいしって。
という意味の「はあ?」だ。

だがそんなのはしかるべく無視して俺はさらに突っ込む。
「たどれば道長さんですかね?」

彼女の表情が「ん?」という感じに変わる。

「そんな話も聞きますけど、私、お嫁に来たんで…」
おいっ、まんざらでもないんかいっ!
じゃあ、さっきの「はあ?」は何だったんだいっ!

「世が世なら『ふじわら’の’けいし』さんですよね。
ふじわら’の’、けいしさん。’の’ついちゃいますよねえ。」

「そうなんですかねえ。’の’、ついちゃうんですかねぇ」

恵子さんはだんだん首がくねくねしてくる。十二単(じゅうにひとえ)に包まれた自分を想像しているのだろう。

そうですよ、高貴なお家柄だと付いちゃいますよ、’の’。

ご存知のことだと思うが、’の’がつくのは、藤原氏や源氏、平氏のほか、蘇我氏、物部氏、菅原氏、小野氏、橘氏などの天皇から正式に与えられた「氏(うじ)」であり、’の’が付かないのは土着した土地の名前などからとった苗字。

新田義貞や足利尊氏も、正式には源義貞(みなもと’の’よしさだ)であり、源尊氏(みなもと’の’たかうじ)である。

小野小町は、おの’の’こまち。
おのののか…はまだテレビにでているのかどうかわからんが、おの’の’ののかではない。だって本名は宮田真理愛だから。あ、そう?いらん情報…。ごめん。

源さんとは会ったことはないが、ドラえもんに随時出演中のしずかちゃんは「源しずか」だからおそらく「みなもと’の’しずか」、先祖は天皇なのだ。

「おたく、何さんとおっしゃいますか」
おそらく恵子さんはとても親切で優しい方なのだろう。
ぜんぜん興味はなかろうが、一応俺にも聞いてくれた。

「やの、です。やの。」

「やのさん? や'の'? や、さん? うん? や?」

「はあ?」今度は俺がそんな顔になる。
そんなわけねえだろ。

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