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RSLのケーキが旨い件

前にも書いたが、書道教室のあるチャツウッドにはRSLがある。
Returned Services Leagueの略で『退役軍人慰安施設』だ。

メンバーか、メンバーの招待した人物しか入れない。

施設内にはギャンブルのマシーンがわんさかあるし、賭け事のスペースもある。レストランがあってパブ・カフェのエリアもある。レクリエーションスペースもある。

レストランの毎週土曜日の250ℊスコッチフィレのステーキは楽しみの一つだ。

そして旨いものはカフェにもある。ケーキだ。
ケーキのショーケースには何種類ものケーキが入っている。切れ目の入ったホールケーキもあるし、一個一個焼かれたものもある。日替わり、というか売れちゃったら次の日に新しい別のケーキが並ぶシステムなんだと思う。

ケーキを選ぶときはちょっとだけ時間を使う。殆どの場合、複数個のケーキでどれを選べばいいか迷ってしまうからだ。複数個頼んじゃえばいいじゃないかと言う悪魔の声もないではないが、それはそれで甘いもの過多である。

ケーキと一緒にアールグレイティを注文する。
至極のひと時の始まりだ。

さて、人生にはどうにもできないことはつきものである。
思えば何一つ自分の思い通りにできることなんてない。

ジムのボディコンバットのクラスに出席した俺はその日の曲の一つ一つを全て間違えることなく丁寧にしかしアグレッシブにこなしていきたいと思っている。少なくともそう心してスタジオに入る。

それは自分自身との戦いであって、決して他人の入り込む隙は無いはずなのだがそうは問屋が卸さない。

今朝のボディコンバット、どの組織からかは分からないが刺客が放たれていた。

参加者の殆どがスタートを待つ中、彼女は始まるギリギリにやってきて、左側の後ろの壁近くにいる俺と一番前のステージでこちらを向くインストラクターを結ぶライン上に立った。

歳のころは60代のオージー女性。金髪の髪を後ろで束ねてポニーテールにしている。そしてピンクのシャツを着て膝上の黒いぴったりとしたスポーツパンツを履いていた。まあどこにでもいそうな雰囲気で、特に気にも留めていなかった。

始まってしばらくは俺自身快調に曲をこなしていた。
次の動作に移るときのインストラクターの指示が伝わり切らずに大勢がバラバラに動いていても、順番を覚えている俺だけはしっかり曲に合わせてパンチを繰り出す。昨日今日始めた若造や、時間つぶしに参加している近所の主婦たちとは気合が違うのだ。

しかしその俺のステップを停めさせたのがポニーテールのオージーのおばさんだった。

最初は気が付かないくらいだったのかもしれないが、段々と本領を発揮し始めたのだろう。俺の目の端々に彼女の動きが映るようになってきた。

その動きは明らかに他の人と違い、一体何をやろうとしているのか全く分からない。クラブで各自が曲に乗って身体を動かしているまさにあれだと言えばいいのか、よくないのか。そもそも曲にも全然合っていない。

みんなは右に向かってパンチを繰り出しているのに彼女は左に向かって足をあげている。恐らくそれは彼女の中でキックなのだろうが(そうじゃない可能性もあるが)、他のみんながやっているパンチは一体彼女にはどのように見えているのか。

もちろんそんなのは無視して続けていたのだが、俺としたことが、動作の変わり目でその彼女が曲に乗り遅れきってやっていた動きに釣られてしまい、いったん動作を停めてしまった。

そこからはもう地獄である。彼女の奇妙な動きがまともに目に入るようになってくる。そのどれもがやっていなければいけない動作とは違うし、流れている曲のリズムとも異なっている。俺に一体どうしろと言うのだ。

極めつけはジャンプだった。
真上にジャンプをし、片方の足を前にもう片方を後ろに出して、最高到達点で走っているような脚の形にしなければならない。身体をひねるように両手は前に出した足の側の腰辺りに持ってくる。

俺はいつものように曲のリズムに合わせて淡々とそれを行う。
その俺の目の前でおばさんはリズムから遅れ、足を揃えてジャンプし、両足とも膝から下を後ろに曲げるのだ。横から見たらL字になるように。そのとき両手は万歳している。

漫画だ。
昭和の漫画の驚いて飛び上がったときのポーズそのものだ。
あまりのことに動きも止まってしまう。
俺に笑うなと言うのが酷である。

俺はそのまま続けることを放棄して完全に後ろを向いてしまう。
見ればまた笑いがこみあげてくる。

しかし彼女のやっているのは反則行為だろう。
やってることがインストラクターと全然違う。

思うように身体が動かないんだよ、許してやれよ。心が狭いなあ。
と非難を受けるかもしれない。しかし俺は言いたい。

みんなでボディコンバットをやっているところに志村けんが入ってきて、要領がつかめずに盆踊りの動きをしたりするのとどこが違うのか。

自由が過ぎるだろう。
何故そこで両手の万歳がでてくる?
一体何を見て「今万歳をしなくちゃ」と脳が判断するのだ?

俺は最終ラインでやっているので他の人に迷惑になることが無かったのは不幸中の幸いだが、本当に散々な時間だった。修行が足らぬと言われればその通りなのかもしれぬが、神様もやり過ぎだ。

-----というようなことがたとえあったとしても、濃厚で滑らかな舌触りのブルーベリーチーズケーキを一口味わえば、ストレスはすべて消え去ってしまう。その後に口に含むアールグレイも、鼻から入る香りと相まって幸せをより深くより広く感じさせてくれる。

RSLのケーキが旨い、という話だ。


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