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人間関係という亀甲縛り。

大人になってから苦手な人がいる。
というより大人になってからの方が
それは顕著に現れ始めた。
しかしながら、大人というものは学生とも違い
身勝手にも人間関係を構築できる特権がある。

もちろん職場や家族などの人間関係というものは
時に疎ましく思うものだが、
そういう刺激もなければ、
ビールを苦く感じることもできないw

わたしたちはいつでも自由に人間関係を決めることができるにも関わらず、
また身勝手にも自分で
人間関係に縛りついているのだ。

関心を示さない夫や話しの通じない姑。
融通が利かない上司や、要領の悪い部下にでさえ、
自分の「保身」のために利用しているのだと
とも言い換えることができる。

その代償として得るものが
安心・安全なら仕方がない。

しかし、
人間関係に、
安心・安全・信頼の保証はどこにもない。

だからこそ
常日頃、
自分の気持ちに
振り回され過ぎないようにすること。

自分を大切にすることは、
自分の感情を大切にすることではない。


自分を大切にすることは、
自分を傷つかないように守ることではない。

ただいつも
そう感じている自分がいるということに
気づいてあげる作業が必要だ。

そして、
自分への扱い方が
他人への扱い方なのだということ。


損か得でしか動けない時は、
他人に対しても損得勘定で
人間関係を構築している。

いつも自分との約束を守れない人は、
他人との約束を守ってこなかった人で、

自分のことに無頓着な人は
他人への配慮に欠ける人で

自分の評価を世間に委ねる人は、
他人を世間の評価でしたか
判断できない人なのだ。


自分に興味がない人は
他人にも興味がない。

自分に期待しない人は
他人に期待し、

また期待を裏切ってくれることを
期待する。

自分」という存在を否定することで
存在を認めるという自傷行為に走る。

絶望と快楽はいつも
ワンセットで訪れる。

自分を責める人は
他人を責めてきた人。

他人を責める人は、
自分を責めてきた人ということ。

物事はずべて表裏一体。

どちらにせよ、

自分にしか興味がなかった


代償であるということ。

人の評価基準が
自分をつくっているとばかりに

誰かの顔色を伺ってきたのはそれしか
手段がないということを疑ってこなかったらだ。

理想の自分や
理想の状態になっていない状況は
誰のせいでもなく紛れもなく
自分のせいなのだ。

誰かに自分の軸を握らせたばかりに、
その軸は知らない間に置き去りになっている
可能性もある。

いつも人は自分にしか
興味がないと思われているが

そうじゃない。

あなたがひとりでも
誰かに興味を示した途端、

あなたは本当の意味で自分に興味を
示すことができるはず。

自分を制するものこそ人間関係を制す!

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