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「多様な社会」を実現するためには、「多様を維持する仕組み」が不可欠になるのではないか?ー河口湖の森から学ぶ多様性についてー

先日川口湖にいってきた。広大な湖の先には、大きな山が所狭しと陣取っていた。
その中でも一際質量を感じる山が、富士山だった。水と水がつなぎ合って少し大きな水ができる。それがまた重なって大きな湖ができるのだろうか。
森、山、川、湖といった自然に触れる中で、「なぜ自然は多様化するのか?」という疑問を持った。なぜ森には、いろんな種類の木々や植物が生い茂っているのだろうか?様々な種の動物が住み着いているのだろうか?
そこでこの記事では、自然が多様化を望む理由を少し考えてみたい。

森の植物の多様性ーなぜ森の生態系は一元化を拒むのか?ー

河口湖に行くまでに、たくさんの木々をみた。中でも、杉の木の圧倒的な多さには驚いた。ほとんどが杉の木で成立しているこの一帯は、果たして『森』と呼べるのだろうか?

森は複雑な生態系を内包する自然のオアシスだ。そこにはたくさんの植物だけでなく、動物、昆虫、鳥類が暮らしている。

しかし杉の木だらけの森は、複雑な生態系を持ちえない。杉の周りに生存可能な植物は限られるだろうし、それにより、それらを食物とする動物しか住み着けなくなるため、森の生態系の多様化が進まなくなってしまう。

森が複雑な生態系を保つにはいろんな種類の木々、植物が生きている必要がある。

ある偏った種の木ばかりだと、その木があると有利な他の生物が生き残る。
そしてその森は次第に一元化していってしまいその偏った種の木に依存するようになる。その生態系全体が、杉に依存する状態に陥ってしまうのだ。

そしてその木が、環境の変化、病気などの何らかの原因で、全滅に向かってしまうとその森全体が危機に瀕してしまう。

そうならないために森は多様性を担保し続けようとするのだろう

全ての生物が宿す、個体数の指数関数的増加指向。それを互いに抑え合う、多様化された生態系

この世界の生物はそれぞれが放っておいたら指数関数的に増えるようになっている
人間でいいうと、『人口爆発』のような状態だ

しかし、様々な生物が複雑に絡み合うこの生態系の世界の中では全ての生物の『個体数の爆発』が押さえ込まれている。

人間が永遠に指数関数的に増え続けないのは、生態系による抑制作用があるからだ。
人間は、テクノロジーの力を借りて、地球という環境が保有できる人間の個体数の上限を増やし続けてきた。しかしその上書きも着実に限界を迎え、人口増加はここ数世紀の間で止まることになるだろう。どこかで地球環境からのブレーキがかかる。

森の多様な種からなる生態系が保たれるのは、様々な種が互いに影響しあってその爆発を抑え込み合うからだ。その自然の制御機構がないと、全ての森が、簡単に先にあげた杉の森のような、一元的な生態系になってしまう。

人間もまた、その爆発を他の生物によって常に押さえ込まれている。最近で言うと人間の密集地が増えたことで疫病や感染症蔓延にリスクが高まった。それにより個体数の増加や移動は制限されることになる

生命が生きるためには食糧が必要なため、その食糧の上限によって、その種の個体数の上限にも制限がかけられる。ある土地で個体数が増加しすぎると食べ物がなくなり飢餓に陥る。それによってもまた、人間の個体数の増加の爆発は制限される。これは人間に限った話ではない。

この世界のあらゆる生物種は上記以外にも様々な方法でそれぞれの種がお互いの爆発的な増加を防ぎ、生態系が保たれるように調整しあっている。

生態系に生きる種が多様であることの価値とは何か?ー生態系の寿命の延命ー

では、多様性は何のためにあるのだろうか?なぜ生態系は多様化し、ここの種の爆発的な増加を制限するのだろうか?

その理由は、特定の種の指数関数的増加が無限にが起きてしまうと長期的にはその生態系自体が脆弱になってしまうからだ。

もし河口湖に全てを捕食してしまう外来種が大量に流入したら、当分はその環境の膨大な食糧が、その外来種の生存を支えるだろうが、いずれその外来種の食料は尽き、それと同時に湖の環境も疲弊尽くしてしまい、外来種とともに長年かけて豊かになってきた湖の生態系が死んでしまうだろう。

そうならないように、外来種の増加はどこかで歯止めがかけられる。それと同時に、多様性が損なわれないように、生態系の関係性が組み替えられるのだろう。

そういった制御の範疇の変化なら修正が可能だが、一度、暴走してしまった生態系は崩壊に向かって進み続ける。ある個体の爆発が起こってしまった生態系では歯止めが効かなくなっていく。それが増え続けることが正しいこととして、増殖を許してしまう。そうなってしまった生態系の制御機構は完全に崩壊してしまっている。

そして、その状態になってしまったその生態系は、環境の変化にもとても弱い

先の杉の例のように単一種が多くを占める生態系はその種が大きな被害を被るとその生態系自体が喪失する。そうならないために長期的には多様性を担保する必要がある。
それこそが、生態系全体の寿命を伸ばす可能性を伸ばす唯一の方法なのだ。

多様性を維持することの難しさ

多様性は万能薬のように語ってきたが、多様性を維持するのは非常に難しいことだ。特に、個体ごとに強力な理性と、資本主義社会による個体ごとの貧富の差が存在する人間世界においてはなおさらだ。

なぜなら、多様性を担保せずに、単一種の増加に身を任せたほうが短期的には楽に感じるからだ。

もしこの世界に白人しか存在しなかったら僕たちは人種の争いをしようとすることはなかっただろう。しかしその単一の特性を持つ人類種だけでは人類がこれほどまでに地球のあらゆる場所に住めるようにもならなかっただろう。

肌の色という見た目以外に、異なる人種の人間は、他の特性・強みを持っているからだ。

もし会社組織や学校、スポーツのチームといった人が集まる組織に同じようなことを考える人だけを集めたらすごく居心地のいいところになるだろう

しかしその組織は外の変化にとても弱く脆弱である。その上、みんな同じことしか考えないから新しい変化を生めなくなる。

確かに短期的には似た人で集まった方がいいのだろうが、長期的に長く生き残る組織になるためには、多様性の担保が必要不可欠になる。
それには争いや痛みも伴うだろうが長く生きるためには必要なものなのだろう。
しかしそれが難しい。

なぜなら、ただ多様な人を集めるだけでは、その内部で、森の生態系を形成しているような秩序を作ることができず、いずれ無秩序化・カオス化し、その組織は空中分解してしまうからだ。どこにも推進力を持たない、全員が違う方向を向いた、いろんな人間の集まりが出来上がってしまう。

だから、ただ単に多様性を謳い、とりあえずいろんな考え方、性別、人種の人を集めればいいというわけではない。その多様性を健全に維持するための仕組みを考え抜かないといけない。


なぜか森は、その超高難易度な多様性維持を、平然とやってのける。

「多様性を認めること」が現代では叫ばれている。その実現のためには、ただ多様な人を集めるだけではなくて、その多様性を維持する方法も考えないといけない。
ただ集まってカオス化するのではなく、森のように秩序だった多様性は、いかにして実現できるのだろう。

森を眺めることで、そのヒントが少しだけ掴めるのかもしれない。

いろんな人が、いろんな役割を持って生きられる社会の方がきっといい。
僕はそう思う。

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多様性が大事って話すことは簡単だけど、それを実現するのは本当に難しい
ことだな、と最近思います
難しいと思うけど、諦めずに重要だと伝える側の人でいたいと思います。
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れんてん


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