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解離性障害:私の場合


珍しく自分の病気について掘り下げて行こうと思う

私は解離性障害と診断されている
主な症状は


・意識消失発作(ばたんきゅーとはまさにこのこと)
・人格交代(所謂多重人格)
・解離性健忘(上記2つと併せて)
・解離性けいれん(入院してるとなりがち)
・解離性遁走(頻度は稀だけど)

そんなこんな生きてるけど、今は多少の言語化が解離せずにできるようになったのでしていこうと思う



解離の傾向があった

実は中学時代から離人症はあった。学校でもあった、ふわふわしたり距離感がよくわからなかったり、なんだろうと思ったら当時の主治医は〈 離人症 〉と言ってたっけ。
児童精神科病棟でもけいれん起こして当直医が来たり脳波検査したりした。それにずっとIF(イマジナリーフレンド)はいたんだよね。その時はそんなこと誰にも言ってなかったけどさ。

警察に探された5月

まあ、色々と思い悩んでるうちにふと全部終わらせたくなったんだよね。連絡先とかいろんなアカウント消しちゃってさ、意味深なメッセージを家族に送ってお金ないのにずっと歩いてた、訳わからなかったんだよね、あの時はさ。でも時々冷静になって親の連絡出て捜索願受理されて警察署から電話来た。無視してSIM切って警察に探される恐怖からさらにおかしくなった。気づいたら遠く、知らないところ、でも警察に探されていることが怖かったのは覚えてる。泣きながら、笑いながら、無になりながら、焦りながら。でもふと我にかえったとき違う地域の地元から最短距離にして15km歩いていたようだった。保護されたけど、婦警に1時間怒られる、説明と正論もキレられる。ひと言ひと言余計なことやキレられて、1時間くらいで署に着いた時に私はパニックになった。精神科入院も検討された。その間取調室みたいなところで婦警に嘲笑われ再びパニックになり、その様子から措置入院も検討された、しなかったけどね。

けいれん起こしすぎ(解離性けいれん)

そこから数ヶ月後の入院は解離性けいれんがきっかけだった。解離性けいれんでERへ救急搬送されたからだ。その日の夜にかかりつけ精神科にて夜間だったが当直医の判断で医療保護入院になった。1ヶ月後に慢性期病棟に転棟した。そこでも色々ありすぎてほぼ毎晩けいれん起こしてたり気づいたら別人格が意識の奥の方にいたり。
慢性期の時の看護師には周りの患者とは違う意味で手間と時間と心配かけたと思う。それでも日中の話す時間ないことを悔やみ謝ってくる看護師の優しさだけでも嬉しかったのを覚えている。温かい優しさだった。


色々あった19〜20歳

障害年金の申請書類書き進まない、家族ともうまく行かない、解離性遁走起こして無断離院してしまう、PSWたちに担当放棄される、PSWたちに色々言われ不穏になりまくる、20歳の誕生日の外泊で起床早々父親が離婚の意思示し出す、解離症状が強まる、解離性幻聴に悩まされる、咳喘息頻発、病棟がつらすぎて意図的に無断離院する
大雑把に言えばこんな感じだったね、色々あったよね、ほんと、色々。あの時は20歳の誕生日前日に外出泊でもして青木ヶ原樹海の土にでも埋まっておこうと計画してた。叶いませんでしたけどね、叶えなくて正解だった。叶わなかったから、今生きてる。


入院と主治医二代目

長らくお世話になってた主治医と上手く行かない状況が1年近く続いて解離傾向が強くなったある外来診察日。待合室でも主治医の声で解離性幻聴が聞こえていた。"逃げなきゃ"という気がした時には勝手に外来から出ていた、でも母親に止められた。私はそこら辺から記憶が曖昧だが、応援要員であろう男性看護師が何人も来たこと、外来処置室に運ばれたこと、主治医に『入院』と言われたこと、状況からして"身体拘束"をされること、断片的な俯瞰した記憶の中でも意識が戻りかけの時に昔から知ってくれている男性看護師に『大丈夫だよ』『彩璃さん、どうしたの?心配だよ』『とてもつらそうだよ、今はゆっくり休もう』『苦しいね、つらいね』そんな言葉をかけてくれていた。保てない意識の中で優しい言葉は私の中でも心に沁みるのは紛れもない事実だった。ただ、誰が来てたのかも誰がいたのかも知らない。覚えていない、ごめん。
そんなこんな院内の精神科救急病棟に入院して時間解放あっても行動制限の見通しは立ててもらえないまま、急遽ベッドコントロールで転棟になりその病棟の担当医だった個性派担当医が今の主治医。私の主治医2年目、長かったような早かったような、早かったような。


倒れすぎ、苦しすぎ(意識消失・健忘)

入院して解離で倒れること多かった。前兆とも言える離人感のふわふわな感覚感じてしまってからが早い。倒れる。そして、苦しい。意識が引っ込みながらも、もがいてぐちゃぐちゃだから。意識を戻そうとすればするほど、ね。ぐちゃぐちゃなの、気持ち悪くて暴れたりしちゃう、苦しいんだよ。動けないけど動いちゃったり、動けなかったり。暴れちゃったときは危ないから翌日まで隔離拘束されていたっけか。自他の安全と睡眠やコントロールできないって部分で言えば拘束は最善の処置と思っている。


自分じゃない人たち(人格交代・健忘)

いつの頃からか、まあ、正しくは慢性期病棟にいた時に私の中には人格が何人かいた。きっと置かれている環境が自分の体験と思いたくなかった、のかもね。
私が解離した時、人格交代の時の説明というか例えがある。

自分が飛行機の操縦士、機長
機長が主にコックピット内で、意識を保ってる状態で機体(自身の身体)を操作してる、それもワンオペ操縦。自分だけなの、操縦できるのは。
だけど機長が突如「疲れたから休憩、あとはよろしく」と勝手に状況見ず休憩に入ってしまうすると不安定な飛行になる。ていうか操縦してくれる人いなくなるんです。副操縦士いない、ワンオペなのでね。
コックピット内やCAさん、お客さんみんな混乱してしまうじゃないですか、誰かが慌てて操縦試みるけど、入れ替わり繰り返してる感じ。安定しない飛行(意識)。
子供が操縦してみちゃったり、
操縦が荒い子がいたり、
自暴自棄で墜落(自傷など)試みちゃう子、
冷静な子、
修正しようとしてくれる子…

でも機体(身体)や飛行(意識)が安定するわけないよね。入れ替わるときは操縦者いないんだもん、倒れたり、もがいてさ、苦しいんだよね。
休憩してる機長(自分)はその間は揺れも外も景色も音も聞こえないVIPルームと言いたいけど隔離空間で休憩(寝てる)してるわけさ。知らぬ間にグラグラのボロボロ、自分が操縦するときには現実見ただけで疲労困憊ですよね、自分に戻ったらそれはそれも辛い現実と尻拭いが待っているんだよね。


解離性同一性障害(多重人格)って都合の良い忘れ方とか自分のつらいことややりたくないことをしてくれる、なんて思ってる?私も昔は思ってたけど、なってみて思ったけれど

解離は都合よくないよ
自分でも自分じゃない自分でもつらいものや抱える苦しみは帳消しされない

まあ、誰しも、ならないと、経験しないとわからない世界はたくさんあるよね、まあ、都合が良くてメルヘンに他の人になれちゃうドラマティックさがあるなら、正直それは「障害」ではないよ。


私の解離性障害についてでした!!

2022/07/13  BY。いろどり