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最後は最高の舞台へ行くチームメイトと共に躍動(近江高校OB 溝畑雄大インタビュー)

魅力的な近江高校に惹かれ入学を決意

――野球を始めたきっかけについて教えてください
 最初は父が野球を進めてきて父も野球をやっていました。よく父とキャッチボールをしていてそこから野球に興味を持つようになり野球を始めました。

――高校を決めた理由はありますか?
 
中学2年生の時に甲子園で試合観戦をして、そこで近江高校の魅力を感じ、僕もこのユニホームで甲子園に出たいと思いました。推薦をいただき近江高校に入学して3年間プレーさせてもらいました。

先輩たちを越えるために

――ここからは高校に入学してからのお話に移っていきたいと思います。甲子園を目指していたときの思いや練習への姿勢について教えてください
 2個上の先輩が金足農業戦で負けてしまいベスト8で終わり、1つ上の先輩は初戦敗退してしまいました。この時には背番号14でベンチ入りし、東海大相模戦に出場しました。自分たちの代ではベスト8以上その先の全国制覇を目標にして毎日頑張っていました。
 当時のキャプテンである(現中日ドラゴンズ)土田龍空を筆頭に厳しい練習や声かけをしていて、副キャプテン長谷川もすごく厳しい選手でした。なんとか自分たちの代で甲子園出場して全国制覇ということを目掛けてやってきました。

ーー厳しい練習や印象に残ってることはありますか?
 練習メニューは変わりませんが、一つ一つの声かけ一球に対する気持ちが高校2年から高校3年の1年間で大きく変わりました。

ーー具体的にどう変わってきましたか?
 僕たちの代の秋の近畿大会はミスが積み重なって1回戦負けしてしまいました。捕手の長谷川が捕手からの指示や声掛けが大事だと言っていて、キャプテンの土田がショート守っていたので僕たち内野手も声掛け合うようになりました。一人一人の気持ち自体を変えていって、言葉に表せないほど構造面でも変わり全てが変わっていきました。

両親から色々な思いがこもった「お疲れさん」の5文字

ーー甲子園中止の報道を聞いた時はどのような気持ちになりましたか?
 
当時僕は実家に帰省していました。5月20日は地元の三重県で大阪桐蔭高校の親友とスマホを二人で見ていて中止と知った時は自然と涙が出てきました。甲子園に行くために野球を十何年間頑張ってきたので二人とも言葉が出てきませんでした。自宅に帰ってきた時両親が抱きついてきて『お疲れ様さん」と言われて自然と涙が出てきました。
 新型コロナウイルスのせいにしてはいけないんですけど、僕たちはコロナのせいにしてしまいました。夢が奪われてしまいみんな高校に帰った時は言葉が出ず、練習の意識が低くなってしまいました。

ーー監督やコーチの方々はどんな言葉をかけられましたか?
 
監督やコーチの方々も言葉が出ず、チームのみんな泣いていました。高校でミーティングした時もみんな泣いていて正直覚えていません。

最後は「土田のために」に頑張るぞ

ーー甲子園中止の発表から月日が経ち、各都道府県で独自大会の開催が発表されましたが、発表を聞いたときはどのような心境でしたか?
 甲子園という目標がなくなってしまい、正直モチベーションが低くなっていた選手が多かったと思います。チーム全体で話し合った際に、「甲子園という夢はなくなったけど、土田がプロ野球選手を目指しているから、迷惑をかけるプレーはできない」という話が出ました。
 甲子園よりも『土田のために』頑張ろうーー大会を勝ち上がって1試合でも多くプレーすることで、土田の活躍をスカウトの方々に見せる機会をなるべく多く作ろうということを話し合いました。

ーー次に独自大会の内容の話に移っていきますが、独自大会計5試合の中で印象に残っている試合はありますか?
 
初戦の光泉カトリック高校の試合で1対0で勝ったのですが、その試合で去年の甲子園で注目された(現西武ライオンズ)山田陽翔がスタメンでした。試合中、正直やばいなという雰囲気にチーム全体がなっていました。そんな中で当時1年生だった山田がレフトへの長打を打って1点を取り、なんとか勝利することができました。そこでチーム全体がこのままじゃあかんなという雰囲気が出て、そこから僕らもムードが上がっていって優勝しようとなっていきました。

ーー3回戦の草津東高校の試合では3回に土田選手が逆転の中前2点適時打を放ちました。「土田に活躍の機会を」というお話がありましたが、この活躍を見てどういう心境になりましたか?
 
独自大会だったので土田は木製バットで出場していました。大会前の練習試合でもホームランを打っていて「あいつやるよな」と思っていて、試合で木製バットで逆転タイムリーを打った時も木製でよくあんな対応できるな、これがプロ野球選手かと思って見ていました。

ーー近江高校は5試合目の決勝で3年生全員がベンチ入り果たしましたけど独自大会だからできたことという点についてはどうですか?
 
準決勝終わった時点で、ベンチ入りできていない選手も多くいました。そこで3年生全員ベンチ入りして優勝しようと監督さん、コーチの方々と話し合って僕らも決めました。

僕たちの代でもう一度試合ができる

ーーこの「あの夏を取り戻せ」のプロジェクトを聞いた時はどう思いましたか?
 
正直感謝の気持ちしかなかったですね。僕たちの代のライングループで僕が言った際に、チームメイトは「それはえぐいな」「まじか」とか「感謝しかない」と言っていました。やっぱり2年経った今でも忘れることはないですし、僕たちの代でもう一度試合ができる場を作ってくれて感謝しかないです。

ーーこのプロジェクトでの目標について教えてください
 
みんなで集まってやるのが最後かもしれないので、そこで僕らも今までやってきた成果を発揮して優勝目指したいなと思っています。

ーー最後に応援してくださってる方々へ意気込みをお願いします
 
このプロジェクトを聞いたときに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 僕たち近江高校も全力で楽しんで優勝したいなと思っています。


プロジェクト公式サイト:https://www.re2020.jp/
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