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3試合連続逆転勝利の粘り強さ(福岡高校OB 大中宏斗インタビュー)

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強豪私学を倒せる公立校に

――野球を始めたきっかけについて教えてください
 3歳上の兄がいて、兄が小5で自分が小2の時に兄が所属する少年野球チームの体験に行ったのがきっかけです。兄がプレーするところを見て、自分も野球をやりたいと思い野球を始めました。

――福岡高校への進学を決めた理由を教えてください
 福岡高校は勉強に力を入れている学校で、どちらかというと野球を頑張るよりは、いい大学に進学できるよう頑張るという高校でした。自分が高校進学するタイミングで福岡高校の野球部が力をつけていて、県内の私立の高校に勝利したこともあったため、これからは福岡高校が伸びるのではないかと思いました。
 また自分の中で、強豪私学に進んで順当に勝ち進んで甲子園に行くというのは自分の中で面白いと思っていなくて、公立高校に進んで短い時間の中で効率的に練習をして、野球に力を入れている私立に勝って甲子園に行きたいという気持ちがありました。
 福岡高校が力をつけていたこと、公立で勉強にも力を入れながら私立を倒したいという思いがあったこと、これらの二つがあったから福岡高校に進学を決めました。

限られた時間で効率的な練習を

――高校時代に掲げていた目標について教えてください
 先程の話と被るのですが、少ない練習時間で効率よく練習して、強豪私学に打ち勝って甲子園に行くというのが目標でした。そのために監督から練習を与えられるのではなく、自分たちで練習メニューを考えて、常に私立に勝つためにはということ念頭に置いていました。大会から逆算して、「この時期にはこれができていないといけない」という内容を話し合って、それを練習メニューに組み込みながら取り組んでいました。

――甲子園を目標としていた当時の練習に対する思いなどを教えてください
 月ごとに完全下校時刻が定められていて、その時間を守らないと部活ができないという時間がありました。授業が終わってからその時間まで2,3時間くらいしかなくて、その少ない時間の中でどれだけ効率よく突き詰めていけるのかを考えていました。
 ただやるだけでは私立との差は埋まらないので、どれだけ自分たちで考えて主体性を持ってやれるか、効率よくやってその2,3時間をより濃いものにするということを念頭に置いていました。

――当時の印象的なエピソードなどがあれば教えてください 
 よくやっていたのはマシンを前に出して練習するというもので、最後の大会の決勝戦で対戦した山下舜平太くん(現オリックスバファローズ)や、他の私立の投手も140キロを超える球速だったので、それを打ち返すためにマシンを2メートルくらい前に出して練習したことは印象に残っています。

甲子園がなくてもライバルに1年前のリベンジを

――甲子園中止の第一報を知った時はどういった感情でしたか?
 小2からの11年間は何だったんだろうみたいな感じで頭が真っ白になったことは覚えています。
 小学校2年生から甲子園という目標を掲げていたので、その11年間は何だったのかという思いは最初に浮かびましたし、周りのメンバーも自分が今まで目標としてきたものが奪われたことに対してて、やるせなさがありました。怒りをぶつける矛先がないし、かといってそれを自分で飲み込めるわけでもなかったので、どうしたらいいのかという思いでした。

――そういった中での監督の言葉で印象に残っている言葉はありますか?
 甲子園がなくなってから独自大会をやるという動きが全国的にみられていたものの、福岡県は独自大会もやらないと決まっていました。それを監督から伝えられたときは「お前らは大会がなくて、最後まで練習しかないかもしれないけど、やることはやろう」と言われたときは印象に残っています。その後福岡県でも独自大会が発表されて、それなら自分たちはそこを最後の集大成として優勝しようということを決めて、それから皆で一丸となって頑張ろうとまとまっていました。
 もう一つは決勝戦で対戦した福岡大大濠高校は1年前も対戦していて、9回裏2アウトまで2点リードしていた状況で3点取られてサヨナラ負けを喫した因縁の相手でした。その相手と独自大会で当たるということで、「大濠を倒してから優勝して、有終の美を飾ろう」という話があって、自分たちも大濠を倒して優勝しようと意気込みました。

甲子園がない中でも最高の舞台であるPay Payドームで試合を

――先程のお話しにもありましたが、各都道府県で独自大会開催の動きが進み、福岡県でも大会が開催されると聞いたときの心境を教えてください
 明確な目標ができたというのが大きかったです。甲子園という目標がなくなり気持ちが宙に浮いていたところに、独自大会という明確な目標が表れたことにより、自分たちの方向性が見えました。独自大会で優勝するという目標が定まったので、目標とすべきものが見つかったという意味で大きな役割を持った大会だったと思います。

――独自大会計7試合の中で印象に残っている試合はありますか?
 準々決勝から決勝までの3試合は全て最終回に逆転して勝っていて、そのうち2試合はサヨナラ勝ちを収めています。準々決勝は9回裏2アウトビハインドの展開からサヨナラ勝ち、準決勝は9回表に1点負けている状態から逆転して勝利、決勝も延長11回表に2点取られてからその裏に3点取ってサヨナラ勝ちという展開でした。
 そこの粘り強さや、今まで培ってきた野球を最後の最後に発揮できたということで、最後の3試合は印象に残っています。

――お話にあった準々決勝では大中さんがサヨナラタイムリーを放ったということで、当時のお話をお聞かせください
 その試合は凄く調子が良くて、そこでもし初球に甘い球が来て、それを振らなかったら、そして負けたら一生後悔が残るだろうなと打席に入る前に思っていたので、初球を思い切り振ってイチかバチかという気持ちでした。
 サードライナーかと思ったのですが、あとは気持ちで押し込みました。

――決勝戦はPayPayドームでの試合ということでしたが、その点に関して何か感じたことなどはありましたか?
 自分たち福岡県の高校球児からすると、甲子園は特別だし憧れの球場ではありますが、甲子園以外ということになると全国の球場の中で一番いい場所はPayPayドームだと思っています。甲子園が使えない当時、最高の舞台を用意してくださった福岡県高校野球連盟や関係者の皆様には感謝しています。甲子園がないということは残念だけど、その中で一番いい舞台を用意してくれたことは嬉しかったです。

――決勝戦に勝利し、優勝した瞬間はどういった心境でしたか?
 自分が最後にホームインして終わったのですが、ホームインしてベンチの方を見たら皆がベンチから飛び出していて、その姿を見て自分たちがこの大会を制したんだということを思いました。
 そして前年の夏にサヨナラ負けを喫した福岡大大濠にリベンジすることができたという面からも達成感を感じることができました。

野球人生に終止符を打つプロジェクトに

――この「あの夏を取り戻せ」というプロジェクトについて聞いたときはどう思いましたか?
 やっと自分の野球人生に終止符が打てる、区切りをつけることができると思いました。高校で野球を辞めて大学では野球をやっていないのですが、高校野球を引退してからもモヤモヤしたものが胸の中にあったので、そういったものにケリをつけて野球人生に終止符が打てると思います。

――当時のチームメイトの皆さんの反応はどういった様子でしたか?
 正直諦めていたところもあったので、優勝していたからこそ甲子園に出ていたかもしれないという気持ちは皆の中にはあって、引退してからもあったので、やっと過去に区切りをつけることができるという反応でした。

――このプロジェクトでの目標について教えてください
 このプロジェクトでは、前向きな姿勢で臨みたいと思います。私たちの世代は、インターハイと甲子園がコロナの影響でなくなった不憫な世代だと自負しています。先の見えない日々が続き、突然目標を失う絶望も経験しました。
 しかし、そのような経験をした私たちだからこそお見せできる姿もあると思います。辛い過去を乗り越え、それを糧に前へ進もうとしている私たちの姿を見ていただけたらと思います。

――最後に応援してくださってる方々へ意気込みをお願いします
 高校野球をしていたあの日の当時のチームメイトと当時の思いを背負って、甲子園という憧れの舞台で、精一杯頑張りたいと思います。
 頑張るぞ!


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