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発信は、"好き"と"熱量"と"地道"の集積


はじめに

発信って何だろう?布教って何だろう?

ただ自分の好きなことについて話す。
これだけのことなのに、難しく考えてしまうのは良くない癖なのかもしれない。


そんなことを最近私の中で考え込んでしまうようになったのは、先日こんな投稿があったからだ。
SHARPのX公式アカウントが、「プロレスを知りたいのでおすすめのアカウントを教えてください」と投稿したのだ。


このオススメのアカウントのレコメンドをファンから募る流れで、団体・個人や規模の大小を問わずSHARPの公式アカウントに売り込んでいく選手も現れた。


ただ、各プロレス団体やファンがSHARPの公式アカウントにレコメンドしていくムーヴメントに対し、真っ向からNOを突きつけた選手がいた。

全日本プロレスのライジングHAYATOである。


HAYATOは後にスポーツ紙を通じて、批判の詳しい理由について触れている。

HAYATOは「ああいうのは団体の営業の仕事だと思う。だからファンの人にアカウントを推薦されたならともかく、プロレスラーや団体自身が表立ってやるのはダサい。あの投稿に反応したレスラーはみんなプロレスを辞めてほしい」と他団体選手をまとめて非難した。
(中略)
 全てのコメントを熟読したと明かすと「俺は愛媛プロレスっていうローカルインディ団体出身。スポンサーに団体のリングを買ってもらったり、スポンサーの大事さは俺が誰よりもわかってる。でもそれはファンの前ですることじゃない」と反論。さらに「プロレス界が下火なのは、プロレスラーが悪い意味で身近な存在になりすぎてしまったことが要因だと思うよ。プロレスラーは一般社会から外れた変人として振る舞うべきだし、俺はそういうマイノリティーな人間になりたい。そうじゃないとプロレスを見に来る人は増えない」と熱弁した。


私は、ライジングHAYATOが言うような「レスラーや団体自身がファンの目の前で大企業に向けて売り込む」ことへの批判も、レスラーとファンの距離感が近いことに対する憂慮も支持できる。
(距離感云々に関しては、別枠で単独記事に出来そうなくらいの話題だとも思ってる…。)


ただ、今の時代は、団体の営業だけが特色を売り込めば、人が来てくれるような状況とは言い難いものがある。
そもそも、今はプロレス以外にも数多くの娯楽で世の中は溢れている。各自の経済状況も踏まえれば、全部が全部行ける訳でもないので、自然と取捨選択を迫られるのだ。

これはプロレスの話ではないけれど、少し前に、岡崎体育が全国ツアーのチケットが売れていないことを明かすという異例の呼び掛けがあった。
私自身、最近の音楽に疎くても名前を把握してるような今のアーティストでさえ、このような告知をする状況に追い込まれているのだ。当人から曝け出す形で告知することを、決して馬鹿にすることなど出来ない。




何より、今の客側は「普通と違う変人を見に会場へ行くんだ!」と肩肘張った気持ちよりも、ある種の親しみの気持ちを持って選手を見ているケースの方が多い気がする。
【変人に金を払う】というよりは、【魅力的に感じた人が変人だった】みたいな感覚。
(これ自体が悪いことだとは、私は決して思わない。あくまでも、距離感…。)


とはいえ、発信という作業が重要視される時代であっても、言わなくて良いことを発信したり、発信する方向を間違えたりすれば、それらは機能しないことも、ファンという立場の私なりに何度となく見聞きしている。


同時に、今の動員が少ないことを嘆いても、少ないことをつつく人間は具体的な施策も出さなければ、知人や友人を連れて知ってもらおうとするアクションを起こそうともしない様も、何度となく見てきた。


今回のSHARP公式アカウントの投稿が、プロレスに興味を持つ単純な好奇心で行われたものなのか、何気なくプヲタを弄ぶ形で終わってしまうのか、今後の大きな事象に結び付く布石なのか、私には正直言って良く分からない。

でも、あの投稿に対して広めようとアクションを仕掛けた関係者やファンも、静観した関係者やファンも双方正しいと私は思う。

ただ、個人的には、著名人のリプライに群がる形で収益を得ようとしてるインプレッションゾンビみたいにも見えてしまい、正直言うと違和感を覚えた所はある。
それだったら、普段から発信しておく方が違和感もないと私は考えるからだ。
普段から告知して売り込んでいるのか、バズとムーヴメントにライドしようとしてるだけなのか、という違いにも似た何か…。


発信なんて残酷だ。
発信がmustとされる今の時代において、発信しなければ批判されてしまうし、発信してもコンテンツを見てもらえなければ立ち行かない。
ある意味、発信とは、地道で損もする行動ではある。
ただ、これは、運営や選手の視点だろうから、ファンが義務感を持ってやるものでもないと私は感じている。


私はつい最近まで、プロレスの話題が地上波などで取り上げられる度に「知られるキッカケが増えていくのは良いことじゃないか」と思っていた。
でも、正真正銘、会場にハッキリと新規ファンが増えるくらいのムーヴメントを起こしたのは、ここ最近だと2024年2月にDDTプロレスリングでプロレスデビューを果たした武知海青くらいしかいなかったのではないだろうか?


勿論、DDTは都電プロレスや新幹線プロレスといった対外的な話題も定期的に作ってきた流れで武知海青デビューという説得力はあるけれど、人を呼べる著名人の存在や人脈の方が地道な発信に勝るような場面は、DDTのような発信に積極的と思われる団体でも起きている。

2022年夏の大田区総合体育館ビッグマッチで、一番チケットを売った選手に社長から弁当が振る舞われるポケットマネー企画が行われたのだが、この時に優勝したのはDDTの人気選手ではなく、都議会議員の川松真一朗だった事実と人脈の凄さは、私自身未だに忘れられない。
選手の人脈より、政治人脈の方がチケットを売ってくる強み…。


でも、ファンなんて立場から発信するにしても、出来ることなんて限られてくる。
ファンは金を貰って仕事する立場ではなく、あくまでもコンテンツに金を払う対象でしかないからだ。だから、発信に義務もない。


例え「オレがこれを伝えたいんだ!」なんて気持ちはあっても、それは自分の中での決意とか、見栄とか、他者より優れていると誇示したいマウントも混ざってしまいがちだ。結局ファンという立場に留まるなら、何処まで行っても逃れられないことなのかもしれない。

だからこそ、ファンが出来ることなんて単純だ。
要は、自分がスゴいと思ったものはスゴいと言い、楽しいものは楽しいと言う。そんな、シンプルな内容で良いんじゃないか。

会場なり配信なりで見た人の意見は、説得力を増す。それが「楽しい!」、「すごかった!」というシンプルなものだったとしても。

別に、「大した感想が言えてない」とか思い悩む必要なんて無いんだと思う。
貴方が楽しそうに、楽しかったことを写真や言葉で伝えようとしてる。これだけで見てる人には刺さるんだと私は思うよ。

だから、私は私なりに楽しかったことを肩肘張らずに投稿していく。それは、これからもきっと。死ぬまでそうかもしれない。


何故私はアイドルの名前を知っているのか?

プロレスからアイドルの話に移したいと思う。

私は、今のアイドルに興味や関心は薄い自覚がある。テレビも見ていないから、尚更そういう自覚がある。


それでも私は、Merry BAD TUNE.というアイドルグループに日南りと、アップアップガールズ(仮)に鈴木芽生菜という人がいることも、Strawberry Girlsというアイドルグループがいることも知っている。

それは何故か?
SNSで相互フォローの関係性にあるアカウントの方を中心に、これらの名前が定期的に上がってくるからだ。

毎日定期的に流れてくれば、知らない人でも名前が脳裏に刻まれる。
同じように、私が疎い相撲とか舞台とかでも、他者が挙げている人の名前は、私が全然知らない人でも名前は覚えるようになる。


これらのアクションに触れる上で大事なのは、発信で拡散しようというよりは、【自分の好きなコンテンツや人を自然と語っている】ことだと私は思う。
(もしかしたら、広めたいという意識は少なからずあるのかもしれないけれど…)

ステルスマーケティングと思われる巧妙さよりも、各人が好きなことについて語る純粋さ。でも、こういうのが何気に大事なんだと私は実感している。
知ってる人がレコメンドしてることの信頼感とか信用みたいな。

だから、極端な話、自分の好きなことについては気軽に晒して、積極的に投稿しても良いんじゃないかと思ってる。

そういう集積は、他者がコンテンツへの興味や関心を抱くことにも繋がってくる気がした。
実際私も、そんな感じでハマったアーティストがいるのだから…。


発信は、"好き"と"熱"の集積?

発信について触れている記事や動画の中で、私自身、今でも好きな記事がある。
ロックバンド・凛として時雨のドラマーであるピエール中野が、自身のプロデュースしているイヤホンについて語った記事だ。


記事自体はイヤホンについて語っているのだが、中盤以降はイヤホンの話を通じて発信やバズに関する部分にも触れられている。

その中で個人的に好きなやり取りが【バズにとらわれず、地道に発信したほうがいい】という箇所だ。

中野「あと、ソーシャルメディアでいうとバズに目が行きがちですよね。でも、バズってあまり意味がないと思っていて。」

澤山「バズりまくってる中野さんが言うと、説得力が違いますね。」

ピエール中野「瞬間風速は確かにすごいけど、それだけだとあまり意味がない。積み重なっていくことが大事で、そうでないと残っていかない。バズに頼ると、徐々に焦っていくと思うんです。『またバズを起こさなきゃ』って。でも、長く残っているミュージシャンは地道にコツコツ発信を続けて、時折バズが起きて、それでも地道に続けるような人たちが多いと思います。」


発信という事を多少意識したとしても、それが必ず動員に繋がるとは限らない。

でも、前述したように、好きなことを発信してる人の叫ぶ名前が脳裏にこびりつくのは、地道な発信なくして成立しないのである。

千や万単位でバズを記録するツイートよりも、誰かが好きな対象について写真や待受画面のスクリーンショットを上げたりしてる方が脳裏に焼き付く。何なら、その人の試合が無い時にも選手の名前を見聞きする。


ここからは私個人の話になってしまうけれど、2017年にTwitterを始めて以降、私は今までプロレスや趣味のジャンルで、1投稿に千や万を超えるようなRTやいいねが付くバズを経験したことがない。
でも、他の方からは有り難いことに、「Twitterで見たことあります」と言われたことが、バーや会場でちょいちょいある。

そのギャップが生まれる要因は何故かと言われたら、継続的にプロレスの話題について投稿したり、生観戦した内容や感想を投稿したりしているからだと私は考えている。
その集積が、巡りめぐって今に至っているという感覚だ。

正直言うと、私はTwitterを始めた時は、何処まで行っても【フォロー:2,000、フォロワー:500】で終わるアカウントだと思っていた。でも、そうならずに色々な方に見ていただけるようになったのは、私の拙い話題に対しても反応してくださる周りの方がいたことと、継続的にプロレスの話題を投稿していたことが大きいと思う。

やはり、バズに飛び付き続ける行動より、拙くとも自分が紡いでいく継続に勝るものはない。私はそう実感している。
もしかしたら、発信とは"好き"と"熱"の集積なのかもしれない。


まとめ

団体の運営だけでなく、今は選手本人にも発信することが必須とされてきた現代社会…。

とはいえ、発信していても、相手から見てもらえないことは多々ある。それは、運営側の怠慢という部分もあるかもしれないし、或いは「発信したタイミングが合わなくて、ファンですら偶然拾えていなかった」という事象だって考えられるのではないだろうか?

そして、発信したとて、必ずしも結果に結び付くことが約束されている訳ではない。それでも、動員が少なければ叩く人間も現れる。これではもう、踏んだり蹴ったりではないか。

ただ、私の中で興味を惹かれるのは、団体や選手の発信や告知より、現地で試合を見た観客や、配信で映像を見た人から紡ぎ出された感想の方が多い。
ファンの立場から紡がれた「この試合スゴい」、「この選手スゴい」、「この団体スゴい」は、見聞きしてるだけで興味を駆り立てられる。そういうレコメンドの方がファン目線で心も動かされやすい実感がある。

だからこそ、発信という行為に対して躍起になったり意識を抱くよりは、自分のオススメの話題を上げていく方が建設的で肩肘も張らないし、何より人の興味も掻き立てる。

今回、私はSHARPの公式アカウントの話を出したけれど、誰かに何かを(押し付けじゃない範囲で)レコメンドしたり布教したりするのは、著名人がレコメンドを募ったタイミングでなく、普段から好きな話題に触れて感想を書いたり写真を乗せたりする時だろうとも感じている。


何故ならば、"貴方が推しの宣伝本部長"でもあるのだから…。

私の推しですか…?
仙台にいる半田屋って人が好きです😳

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