【column】 拙著 『週末でつくる紙文具』 が英語版になりそうで、ならなくて、とうとうなりました!
2024年の夏、拙著『週末でつくる紙文具』がアメリカのHardie Grantより翻訳出版された。製本の技術を使った文具づくりの本なのだが、『JAPANESE PAPER CRAFT』という何やら恐れ多い感じのするタイトルがつき、アメリカとイギリスで販売されている。
遡ること2年、2022年にはフランスとドイツで翻訳出版されているのだが、実をいうと英語版も同時に発売されるはずだった。ところが、やむにやまれぬ事情がいろいろあったようで、英語版だけどうなるのかわからない状態が長くつづいた。そういう過程があったから、こうして無事できあがったことがひときわうれしく、版元から届いた見本の表紙をなでさすっている。
この本が、イギリスの書店に並ぶとは……。イギリスは、わたしにとって製本との出会いの場所なのだ。だから『週末でつくる紙文具』の原点はイギリスにあり、それが『JAPANESE PAPER CRAFT』なんてタイトルでイギリスに旅立ったことを、不思議な気持ちで眺めている。
わたしが生まれてはじめて製本を体験したのは、いまから20年ほど前、ロンドンでのことだ。大学をでて編集者として働くようになり、数年が経っていた。このまま仕事をつづけたならこんな将来が待ってるだろう……という青写真がくっきり見えてきたところでいてもたってもいられなくなり、会社を辞めてイギリスへ渡った。
イギリスを選んだのは、明確な目的があってのことじゃなかった。陽気でフレンドリーなアメリカより、どんよりとした曇り空の広がる人見知りなロンドンのほうが性に合っていると思ったし、フランス語やドイツ語をいちから学ぶ気になれなかったというのもある。そんなだから、渡英してしばらくはとりとめのない日々を送っていた。日中は語学学校に通い、それ以外の時間は映画を見たり、街をぶらついたり、近所の森を散歩したりした。
ロンドン暮らしに慣れてきた頃、ふと英語以外のことを学んでみようと思い立ち、アダルト・エデュケーション(大人向けの教育システム)のパンフレットを取り寄せた。何十種類ものコースがA to Zの順で並んでいたが、序盤のBの項の「Bookbinding」に目が留まり、「これしかない!」と思った。
そうしてはじめた製本が、いまやわたしにとってはなくてはならないものとなっている。当初は「いい趣味、見つけたな」くらいに思っていた。しかしながら製本は学ぶほどに奥深く、ましてやルリユール(工芸製本)をはじめるや、その深い沼に(嬉々として)沈み込んでいる。やがて、わたしにとって製本は「趣味」ということばに収まりきらないものとなった。
製本で学んだ技術、製本で得た感覚。それらが編集者としてのわたしをときに励まし、ときに戒める。本がもつ時間軸の長さを信頼できるのも、本を印刷部数や増刷回数ではなく「読者にとってのたった一冊」として捉えられるのも、心を込めた本には何かが宿ると断言できるのも、きっと製本のおかげだと思う。大袈裟だが、製本はわたしの「足場」といえるかもしれない。
拙著『週末でつくる紙文具』が英語に翻訳されると聞いたとき、イギリスで製本をはじめた頃のことが思いだされた。無駄のない動きで手品のように本を生みだす先生の指、その動きを食い入るように見つめた時間、「子どもの頃から大事にしてるのよ」と革装の『不思議の国のアリス』を見せてくれたクラスメイトのおばあさん、その日に習ったことを反芻しながら見つめた帰り道のバスの車窓、次のレッスンが待ちきれずに自力でつくった失敗作……。
こうして書いていると、あの懐かしい日々がまだすぐそこにあるような気がして、だけど実際にはものすごく遠くまで来てしまっていて、何だか切なくなる。できることならもっと長く、もっと深く、イギリスで製本を学びたかった。だけど、そうするには、あのときのわたしにはお金も覚悟も足りなかった。渡英から一年余りが過ぎたところで貯金は底をつき、わたしは製本の基本の「き」しか学べていない状態で帰国するしかなかった。
それから20年余り。つかず離れずしながらもコツコツと製本をつづけてきたおかげで、思いがけず再びイギリスへ旅立つことになった。ただし、わたしではなく、わたしの本が。この信じがたいできごとに、「人生、何が起こるかわからない」という月並みなことばしか浮かんでこない。
イギリスやアメリカの人々に、それからフランスやドイツの人々に、この本はどんなふうに映っているのだろう。西洋の技術がわたしの体内を通って形を結んだなら、それは「JAPANESE PAPER CRAFT」と題してもいいものなのだろうか(販促的なタイトルだということはわかっているけれど)。
いや、もはやこれがイギリス流なのか日本流なのかなど、どうでもいいことなのだ。紙と戯れる小さな時間。手の中で本が生まれる大きなよころび。そこには国や歴史や言語を越えるものが、確かにある。
● 『週末でつくる紙文具』永岡綾(グラフィック社)
● 英語版『Japanese Paper Craft』Aya Nagaoka(Hardie Grant Books)
● フランス語版『MANUEL PRATIQUE DE PAPETERIE JAPONAISE』Aya Nagaoka(Le Temps Apprivoise)
● ドイツ語版『JAPANISCHES PAPIERHANDWERK』Aya Nagaoka(Haupt)
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