タツジ

日々思う事や感じた事を綴る日記。 #天理教

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最近の記事

感情と差別の境界

この世界には色々な人間が住んでいて、人それぞれに思想も外見も違う。殆どの人たちは日常生活において、その行動範囲は決まっていると思う。だから日常的に顔を合わせる人たちも必然的に限りがでてくる。そうであるにも関わらず、日々の生活の中で「色々な人がいるなぁ〜」と思わせられる体験はあって、こういう限定的な世界でそうなのだから、自分達の知らない世界、行き届かない世界にはもっと色々な人がいるのだろうと推察できる。 その中で全ての人類が完全に調和する事はたぶん無理だと思う。その要因は、文

    • 結婚と不倫

      昨今、元某アイドルが不倫し、離婚したニュースをまぁ目にするのだけれど、何故不倫が離婚、慰謝料の理由になるのかが分からないというか、僕の感覚としては理解できない。 確かに、社会通例上、不倫は悪い事であるし、不倫をしないに越した事は無いというのは理解できるけれど、不倫が原因で別れるくらいなら最初から結婚しなければいいのにと思う。 これは不倫を肯定しているのではなくて、不倫が離婚、慰謝料請求の理由にはならないのでは無いかという事。 結婚というのはパートナーとその命尽きるまでそ

      • 島と教育

        【Facebookより転写】 昨夜、教育の現場で長く活躍された方々の話しを聞く機会があって、思った事は、島の人たちはやはり何処か考え方が前時代的だという事。 教育には育てる側を主体とするものと、育てられる側を主体とするものがあって、どちらを主体とするかで問題の見え方は全く違うし、現実として起こる一つの問題にはその両側からアプローチすべき事象が同時に起こっていて、それを見極める能力や判断力がとても重要だと思う。 一昔前は、育てる側を主体とする教育が一般的だったけれど、現代

        • 生きるという事

          世界には色々な人生があり、生き方がある。自らそう望みそれを真っ直ぐに歩める者。自らの望みとは正反対に歩んでしまう者。自らの意思とは関係なく、そう歩まざる得ない者。そしてそれぞれがそれぞれの人生を精一杯に生きている。この自ら求めたわけではない「生」を。しがらみや葛藤を抱えながら。 最近思う。生きるとは何と苦しい事なのだろうかと。世の中には病気で苦しむ人も環境に振り回され苦しむ人もいる。しかし、そうで無くても、何も無いただ平凡な日々がとてつもなく、途方もなく苦しいと思う事がある

        感情と差別の境界

          高校野球

          暑い。とにかく暑い 2022 夏。 夏と言えば、海、スイカ、氷菓子、高校野球。 こんな暑い時期に、あんな摺鉢状の球場で一時間余り球を投げたり、打ったり、走ったりするなんて今となっては狂気の沙汰としか思えないが、それができていた時代が僕にもあった。若いとは本当に素晴らしいものだ。 最近、見かけた記事がある。高校野球に関する記事だ。某地方大会決勝でかなりの大差で勝利したA高が対戦相手のB高に配慮して「喜ぶのをやめた」という記事だった。SNSではそのA高校の配慮を素晴らしいと

          高校野球

          傾聴とおたすけ

          最近、よく傾聴という言葉を耳にするし、傾聴についての会話も耳にする場面が間々ある。 そういう話しを聞いていて何故か違和感を感じる。おそらく天理教的救済観との剥離を少なからず感じるからだろう。 僕が思うに、悩みには二種類あると思う。本当に悩んでいる場合と、何らかの理由で悩みを創っている場合。 前者の場合は、その悩み自体を解決したいはずだから、必要なのは問題を解決する方法だと思う。であるなら、この場合、傾聴はあまり意味がないという事になると思う。 後者の場合は、悩み自体を

          傾聴とおたすけ

          幸せ

          幸せとは何か? 誰もが考える課題の一つだろう。 最も多様性に富んでいて、最も曖昧な課題。 人は皆幸せになりたいし、幸せになる為にこの世に存在している。なのに幸せが何なのかは誰も知らない。 いや、決められないと言った方がいいのかもしれない。 誰かは幸せに必要なものは良好な人間関係だと言う。また誰かはお金だと言う。たぶんどちらも大切で必須なものなのだろう。 人生の問題の8割は人間関係に関する事だと誰かが言っていた。つまり人間関係に関する問題が解決すれば8割の問題が解決す

          貧乏暇なし

          「ゆっくり休んでね」「無理しなくていいよ」という言葉を聞くたびにしんどくなる自分がいる。 ゆっくりできたらゆっくりしてるし、無理なんかはなっからしたくない。 しかし現実問題として、ゆっくりできる時間なんてないし、無理せざるを得ない時もある。 ゆっくり休みたい時にゆっくり休める人や無理しなくていい環境にある人は恵まれている。 問題というものは大概、疲れている時にやってくる。そんな時にゆっくりしたいから休みます。とか言ってられない。みんな疲れているんだから、みんながみんな

          貧乏暇なし

          半沢直樹を視聴して

          最近、久しぶりにparaviで半沢直樹シーズン1を見た。 半沢直樹。2013年にTBS系列、日曜劇場枠で放映された池井戸潤氏の小説を原作とするテレビドラマだ。平均視聴率28.8%、最高視聴率42.2%。 面白かった。主人公半沢直樹が不正を暴きながら悪を正していく。何度も権力に押し潰され、揉み消されそうになりながら、それでも最後は、正義の鉄槌をくらわす姿が、実に痛快だ。 豪華俳優陣による「やり過ぎじゃない?」と思える程のくさい演技と剣道の心得がある主人公が悪の暴力にゴルフ

          半沢直樹を視聴して

          現実と信仰の狭間

          どんなに理想や綺麗事を並べても、それだけでは生きていけない現実はあるし、その中で生きていかないといけない現実もある。 見返りを求めない精神は大切だけど、見返りが無いと生きていけない現実はあるし、月々返済すべき金額は確保しなければならないし。純粋に御守護に凭れる事ができれば楽なのかもしれないが、僕は人間で心があって、故に様々な感情を感じるし、不安もあるし、純粋に信仰だけを追い求める事はできない。 教会は結局、神様を出汁に生活している。信者さんの信仰心を真実を出汁に生活してい

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          美しいは癒し

          人間は容姿ではないと言う人がいる。外見より心の美しさが大切だと言う人がいる。しかし、容姿が美しいという事はそれだけで尊いと僕は思う。 「美しい。」それだけで人は癒される。美しいは人間にとって最大の癒しなのではないだろうか。 赤ちゃんを見ると癒されるのは、そこに人間の生命の美しさを見るからであると思うし、美術に親しむ事で癒されるのは、そこに感情の美しさが滲みでるからであると思うし、容姿端麗な人を見て癒されるのは、そこに本能を刺激する美しさがあるからであると思う。 美しい人

          美しいは癒し

          男女差

          生物学的に殆どの生物は雄と雌に分けられる。それは人間とて例外ではない。それらは同種の生き物であるにも関わらず、異種とも言える程の違いがある。特に高度な知能を有している人間のそれは、事のほか大きい。 その最たるものの一つに恋愛観、結婚観があると思う。どちらも高度な知能を持つ人間だからこそ持ち得る感性差であると思う。 男と女は恋愛や結婚に対して重要視する部分が違う。男は非常に単純でとにかく種を保存してくれる異性に惹かれる。もっと言えば「この人に自分の遺伝子を保存してもらいたい

          ジェンダーレス

          昨今、世界はどんどん複雑化している。今まで当たり前とされていた基本的概念が、当たり前ではなくなってきている。この価値観の変化は、今まであった問題を解決するという側面と、新たな問題を生み出すという側面の両方を孕んでいる。 その代表的なものが「性差」ではないかと思う。 今までは、男性、女性という概念があって、その概念を基準にどちらかに振り分けられていて、そうである事がスタンダードだった。もちろん、そのスタンダードに当てはまらない人たちも一定数は必ずいる。しかしそういう人たちも

          ジェンダーレス

          教育について思う事

          2022年4月から成人年齢が18歳に引き下げられた。これからは殆どの未成年者が高校在学中に成人を迎える事になる。 教育の現場において、これが善い事、悪い事という判断は人それぞれであると思う。しかし、より複雑で繊細な判断が求められるようになる事案が増える事は間違いないだろう。 特に昨今はコンプライアンス(法令遵守)が厳しく叫ばれようになった。これに伴い、教育現場でも、平等、公平が強く求められるようになったと感じる。それは生徒間のみならず教員と生徒の間においても厳しく精査され

          教育について思う事

          語学

          僕は3年くらい前から英語の勉強をしている。はじめたきっかけは《モテたいから》という不純なものだけれども、それでもやればそれなりに異国の人たちとコミュニケーションがとれるようになってきて、それが凄く楽しい。だから勉強はそんなガッツリってわけではないけれどそれなりに続いている。 現代社会は語学学習においてはかなりやりやすいと思う。コンテンツが多いしお金もほぼ掛からない。空いた時間に好きなだけできるから、無理する必要もない。やる気があれば誰でもそれなりのレベルの異言語を習得する事

          存在意義

          全てでは無いにしろ、大多数の人間はこの社会で生きていく上で《存在意義》を求めていると思う。自分が自分としてこの世に存在している《価値》とか《尊さ》を探究する。高度な知能を持つ人間だからこそ、そういうところに思いを馳せる事ができる。 しかしその思考に思いを巡らせる時間は、全くもって無駄である。 そもそも、人間という物理的存在に存在意義や価値などない。《この人がいなければ社会が回らない。全人類が生きていけない。世界が終わる。》なんて人は誰一人として存在していないからだ。その人

          存在意義