現実と信仰の狭間

どんなに理想や綺麗事を並べても、それだけでは生きていけない現実はあるし、その中で生きていかないといけない現実もある。

見返りを求めない精神は大切だけど、見返りが無いと生きていけない現実はあるし、月々返済すべき金額は確保しなければならないし。純粋に御守護に凭れる事ができれば楽なのかもしれないが、僕は人間で心があって、故に様々な感情を感じるし、不安もあるし、純粋に信仰だけを追い求める事はできない。

教会は結局、神様を出汁に生活している。信者さんの信仰心を真実を出汁に生活している。どんなに綺麗な言葉で取り繕ってもそれが現実だ。

世界は神様の御守護の世界ではあるけれど、その世界で暮らしている人間には心があって、それは自由で、だからこそ、献身的、報恩的精神は尊いのだけれど、それを出汁に生活している者がそれをただ単に神様の御守護だけによるものとするのは違うと思う。

尽くしたらたすかる現実は確かにあるけど、それを出汁に生活している者がいるという現実もあって、そういう人にどんなに尽くしましょうと言われても、心は動かないし、尽くす気にもなれない。それが人間であると思うし、そこを糾弾する気にもなれない。

尽くしを説くなら、恩恵で尽くすのではなく、自らも痛みを伴う尽くしをしなけばならない。神様を信仰心を真実を出汁に生きていくなら、それに恥じない通り方をしなければならない。

それを示せるかどうかだと思う。

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