見えない音を追いかけた青春、とても特別でかけがえのない興奮(5/5)

こんばんは。または、おはようございます。
現在、【世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方】という本を読んで、自己理解を進めている途中であり、そして「得意なこと」を見つけるための方法に取り組んでおります。
その際、自分の過去の経験を掘り出す必要があったため、前回に引き続きその内容を記事にしております。前回の記事は以下の記事であり、今回で最後の5回目になります。

ただ、今回の記事については、とても長くなってしまいました。またわたしの過去や個人的な気持ちについて、つらつらと思い出しながら書いております。そのため、もしかすると、見る人によっては、色々と思うところがあるかもしれません。

それでも、わたしにとっては、長い時間をかけて、今ようやく受け止めた、大事な思い出です。そのため、この記事を読んで、どのように捉えられたとしても、大丈夫です。(できれば読んだとしても、優しく、心を広く受け止めていただければありがたいなあ・・・とも思います…^^;)

ですので、もし、余裕がありましたら、興味がありましたら、最後まで見ていただければ幸いです。

前回までのあらすじ

わたしは聴覚障害があり、すべての音がモザイクのようにぼやけて聞こえます。それでも、自分なりの音楽の楽しみ方があり、曲に歌が付いていて、その歌の字幕がある動画を見れば、わたしでも音楽の世界を楽しむことができます。

数年前、わたしはAKBが好きで、AKBの音楽にはまっていました。しかし、AKBには多くの曲があって、動画があっても字幕がなかったり、動画さえ存在しないものがほとんどでした。そこで、わたしは字幕のある動画が存在しなくても楽しめるように、自分で字幕を付けて挑戦することに決めました。

自分で字幕をつけるための方法として思いついていたのは、以下のとおりであり、思いついたものをすべて試してみました。
・単純に同じ個所を何度も聞く(聴覚的なアプローチ)
・曲を聴くだけでなく歌唱シーンやダンスシーンの映像から口の動きが映っている個所を探し、視覚的に歌のタイミングをとらえる。
・カラオケ字幕で色が変わるタイミングを参考する(他力頼り)

ですが、どの方法も問題があることがわかり、自分のなかで納得のいく字幕を付けることができず、作業が難航していました。

ですが、ある日、インターネットから「歌声りっぷ」という、シングルCDに入っているカラオケバージョンの音源を利用して、曲からボーカル部分のみ抽出できるフリーソフトを見つけました。わたしは試しにそのフリーソフトを使って、歌のみ抽出したものを聴いてみました。

すると、びっくりするほどクリアに聴こえました。フルバージョン(ボーカル、ギター、ドラムなど様々な音が入っているもの)よりも遥かに。

フルバージョンを聴くと、ギターやドラムなどの音もモザイクのように聞こえていたために、わたしの感じる音の世界から、肝心のボーカルの存在が非常に薄れて消えかかっていたのですが、「歌声りっぷ」でそのボーカルの存在がはっきりと浮き出ていました。

「これなら、歌詞の内容を把握した上で音を聴けば何とかなる!」と思い、
実際にその「歌声りっぷ」を使って、なかなか進まなかった字幕付け作業がスムーズに進められるようになりました。

それからのわたしは、自分で何とかする方法を見つけたという興奮と、大好きなAKBの曲を存分に楽しむことができるという嬉しさから、どんどん字幕を付けていって、AKBの色々な曲を聴くようになりました。

当時、「推し」がいた。

「歌声りっぷ」を使って字幕を付ける作業を始めていた頃、当時のわたしには「推し」がいました。AKBの中ではあまりテレビに出て活躍されている方ではなかったのですが、わたしがAKB劇場の公演のチケットを申し込んで、初めて当たった時に、その劇場公演に「推し」が出ていたのでした。

AKBには様々なメンバーがいたのですが、当時のわたしはあまり詳しくなく、その「推し」のことも例外ではなく、最初はどんな人か知りませんでした。

ですが、公演の間に、薄暗い劇場のステージの上、眩しいスポットライトが照らされている中で、「推し」が公演で歌って、踊って、話しているのが、何となく気になっていました。
わたしは聞き取れていないので内容はわからないのですが、それでも、ずっと目で追っていました。そしたら、気のせいかもしれませんが、その「推し」と目が合ったような気がして、それからずっと気になるようになりました。

初めて行った劇場公演が終わってから、しばらくその「推し」と会わなかったのですが、大学の卒業が近かったので、勇気を出して一回は握手会に行ってみようと思い、個別握手会の握手券を申し込んでみました。
そしたら「推し」と握手できることになったので、ドキドキしながら握手会に行って会いに行ってみました。

初めての握手会はほとんど覚えていないのですが、たぶん、わたしから「応援しています」とか、「劇場公演で気になって会いにいってみました」とだけ伝えたのかな?と思います。
その時、「推し」からも何か言われたのだと思いますが、内容が聞こえなくてよくわからないまま、すぐ剝がされて握手が終わったと思います。

ただ、このまま終わるのはもったいないかなと思い、それから何回も通うようになりました。
そしたら、こちらの耳が聞こえないことに「推し」が慣れてきたのか、また、わたし自身も「推し」の声や口の動きに少しずつ慣れてきたのもあって、握手する時間は5~10秒程度と短い時間でしたが、少しは意思疎通できるようになりました。

また、「推し」に会いに行くたびに、「推し」がだんだん笑顔になってくれるので、わたしも嬉しくなって、それからずっと「推し」のライブや劇場公演に行ったり、「推し」が参加するイベントに行くようになったり、応援するようになったと思います。
そのように「推し」のことを知るたびに少しずつ好きになっていたと思います。

その「推し」を全力で追いかけていった時間、そして、「歌声りっぷ」のおかげで曲にどんどん字幕を付けてAKBの音楽を思う存分楽しんでいった時間は、わたしがこれまでの人生で最も楽しかった日々であり、大切な思い出の一つだと思います。

仕事が忙しくなるにつれ、心身が不調に。

ですが、その時間はやがて終わりを迎えることになります。

「推し」を追いかけた時間と字幕を付ける作業の時間は、大学4年目から始まって、大学院2年(修士)、会社に入って1年目まで、忙しいながらもなんとか、研究、そして仕事と並行して続けていました。

ですが、会社に入って2年目(2015年)になってから、仕事を実施する場所が主に社内から、客先で常駐するものへと変わり、毎日電車で往復3時間移動するようになりました。

また、残業することも多々あって、忙しいときには、朝5時に起きて、日付を越えたぐらいの時間に家に着き、就寝する、という日々を繰り返すこともありました。

そうすると、一日の平均睡眠時間がとても短くなり、日が経つごとにどんどん眠くなって、仕事中でも、うたた寝することが増えました。休日でも、昼まで寝ていたり、起きても疲れて、しばらくぼーっとする時間が増えていきました。

それに、仕事が忙しくなるにつれて、遊ぶ時間もだんだん減っていって、遊ぶこともできずにストレスが溜まるようになったので、なんとかストレス発散しようとして、代わりとして、外食しまくって、肉とかいろんなものをとにかくいっぱい食べまくっていたと思います。

そのような生活を続けていくと、気づいた時にはやがて、仕事帰りには、体が異常に重たくなって動きにくくなる、という症状が出るようになりました。
また、好きだったAKBにも興味がなくなり、AKB関連で新しいイベントの情報が発表されても関心がなくなってしまい、好きだったことが楽しめなくなりました。

さらに、心身に余裕がなくなっていたので、休日に友達から誘いがあっても、面倒がって誘いを断るようになり、一部の友達との関係性が悪くなったこともありました。
それで、仕事だけでなく、プライベートなことでも常にストレスを抱えるようにもなり、悪循環となっていました。(今は解決しましたが)

その頃にはもう、趣味の一つだった、曲に字幕を付けるという作業も、余裕がほとんど残っていなかったので、作業が完全にストップしました。

それでも、「推し」のことだけはずっと応援して追いかけていました。当時のわたしは、「推し」の活躍を見るたびに励みになって元気をもらえましたし、握手会に行って会うたびに笑顔になって癒しにもなっていたため、「推し」のことだけはわたしの心の支えになっていました。

見えない「音」に阻まれた気がした。

しかし、その「推し」についても、応援して追いかけていくうちに、「推し」に対する心の支えはいつしか、苦しみを伴うようになってきました。

なぜかというと、わたしは「推し」のことを知るたびに、
「画面上で見るだけでなく、実際に会いたいなあ。」
「握手会で話している内容がもっとはっきりわかるといいけどなあ。」
「ライブや劇場公演に行ったときに、「推し」が歌っている様子とか、話しているときの内容がもっともっと知りたいなあ。」

というように、親密になるほどに「推し」のことを知りたい欲求が少しずつ強くなっていくのですが、その欲求が満たされることはないからです。

例えば…
・ライブや公演等で、曲の合間にフリートークがあったとき
⇒「推し」がどんな内容をしゃべっていたのか、どんなコメントをしていたのか。
・わたしの知らない歌を「推し」が歌っていたとき
⇒「推し」はどんな声をしていて、「推し」はどのように歌っていたのか。
・AKB総選挙など様々なイベントで、「推し」が感情を込めて話しているとき
⇒「推し」はどんな思いを持って、そしてどんな内容で語られていたのか。
などなど。。。
その時どのように話していたのか、どんな歌を唄ったのか。
わたしの聴力ではわからないことが多く、その場で顔には出さないものの、心の中では切なくなって悲しくなることもありました。

特に、「推し」が感情を込めて話しているときは、その場でわかりたいのに、わたしはわからないことが多くて、それでも周りにいる「推し」のファンは、すぐ理解することができて、泣いたり、笑ったりしながら、「推し」のことを力強く、声の限り応援していて、また、時には優しく「推し」を見守ったりもしていて、わたしはその変化についていけないことに苦しくなりました。

ライブやイベントが終わったとき、「推し」のファンが、インターネットで「推し」が話している内容やコメントをSNSに載せている場合があり、わたしはそれを検索して後から知ることはできましたが、それでも、「推し」とそのファンの間でリアルタイムに楽しんでいたり、「想い」が通じ合っているその様子に、わたし自身が参加しきれていない、常に乗り遅れているような感覚がありました。

目の前にあるのに、まるで見えない音に阻まれたかのように、孤独と寂しさを味わいました。
その雰囲気というかその世界に参加できず、「推し」にもなんだか申し訳ないような気持ちにもなって、きつかったなー…と思いました。

こうして、「推し」のことを知るたびに、好きになるたびに、その「わからない」ことがどんどんと苦しくなったかなー…と思います。

ファンの人に「推し」がどんなことを話しているか聞いてみれば、というのもあると思いますが、当時のわたしには同じファンであったとしても話しかける勇気はなかったですし、また、感情がこもっているときとかは、その雰囲気を壊したくなくて、大事にしたかったので、聞こうとも思いませんでした。

それに、もし聞けたとしても、わたしは推しの話している内容のほとんどがわかっていないので、何度も何度も人にお願いして聞くことになるのでやっぱり申し訳ないなとも思っていました。ですので聞けませんでした。

当時のわたしには聞こえる人で友達とかはいませんでした。また、いたとしても、同じ趣味でもない限りは、頼み込んで一緒に行くのは恥ずかしかっただろうなとも思います。

それでも、「推し」には会いたかったです。そのため、内容はわからなくとも、苦しくても、「推し」に空いたくて、応援したくて、ライブ・イベント・握手会など、参加し続けました。ですがある日、転機が訪れました。

「推し」の卒業が決まった。

仕事の忙しさがピークを迎え、心身ともに疲れ切っていたころ、「推し」の卒業が決まったことを知りました。
わたしはそれを聞き、ショックを受けましたが、以前から、「推し」が卒業した後は別の道で活躍することをある程度把握していて覚悟はしていました。

また、「推し」の卒業が決まった際の公式メッセージを見て、「よし!卒業しても応援できるし、なんとかこれからも追いかけられるだろう」と楽観的に思っていたので、それほど落ち込みませんでした。
「推し」が卒業するまでの残り少ない時間の間は、忙しい仕事の合間でも握手会やイベントに参加していって、会いにいったり、卒業後も応援する、というようなことを言って、安心させようとしていたと思います。

そして、いよいよ「推し」が卒業する日、その日はAKB劇場で卒業公演がありました。
AKB劇場内には席がありますが、座る席は開演前ギリギリまでは決まっていません。
開演前に、劇場公演のチケットに当たった人の中で複数のグループに分けて、AKB劇場内に入る順番を抽選で決めていく機会があって、その入る順番が早いグループほど、劇場内へ先に入って空いた席から座ることができます。

空いた席の中には、ステージ前の一番近くの席もあります。そのため、入る順番が最初であれば、ステージ前の一番近くの席に、それもステージど真ん中の前に座ることができます。
わたしはその日初めて、運よく一番最初の入場グループに選ばれました。そこで、少しでも「推し」を近くで見たいと思って、劇場ステージ前の最前席に座りました。

しかし、開演して、そこで体験してわかったことは自分の感情が麻痺していた、ということでした。
卒業して悲しいという気持ちも、初めて最前席が当たって嬉しいという気持ちも、推しの話し声が聞こえなくてファンと一緒に雰囲気を楽しめなくて苦しいという気持ちも、ほとんど感じなくなってしまっていました。

それを知ったときに、「やばい・・・、こんな時なのに、心が動かない。こんなに、疲れていたんだ・・・」と、そこで自覚しました。
仕事から来るストレスも、推しが卒業することによる悲しみも、それ以外のものも含めて、色んなものを全部心に抱えてしまってパンクしたのだと思います。
わたしは、その場にいるのに、楽しむことも悲しむことも、無理やり味わうということもできなくて、とても苦しくて、申し訳ない気持ちになりました。

それでも、何も感じなくなったとしても、せめて、「推し」の雄姿くらいは目に焼き付けようと、それだけは強く思いました。なので、今でも、推しがその劇場で踊っている姿だけは今も覚えています。それだけはその思い出での、唯一の救いだったと思います。

卒業が終わった後、その日から少し経ったぐらいの時期に、タイミングがいいのか悪いのか・・・
仕事の量が減って、仕事のスタイルも客先常駐から社内で実施するものに変わっていました。そのため、通勤時間が劇的に減って、残業もしなくなりました。

時間ができたときに、最初にわたしが優先したことは寝まくったことでした。とてもとても眠かったことがわかっていたので。
そのため、仕事から帰ったら、すぐに寝ていました。
とにかく寝る。寝る。寝る。

寝て、寝て、時には寝すぎてなかなか眠れないので漫画を見たりしながらも、とにかく寝まくっていました。
晩御飯をすぐ食べて、夜7~8時から仕事が始まる朝の遅刻しないギリギリの時間帯まで、ずっと寝ていました。
毎日11~12時間以上は寝まくっていました。

1か月間くらい寝ることを優先し続けたら、多少は気持ちが元気になって、身体が動くようになりました。
それでも、時々体が異常に重く感じて動きづらくなるなど、後遺症みたいなものは残りました。

また、「楽しい」・「嬉しい」という感情や、「好き」・「面白い」という興味・関心が、以前と比べると湧きづらくなりました。
何よりも、楽しかったはずの思い出が、とても悲しくて苦しい痛みとして残ることになりました。ただ、その時のわたしはその痛みが心の中に残っていることに気づいていませんでした。卒業したあの日を無意識に思い出さないようにしたことで。

追いかけるのを止めてしまった。

「推し」が卒業してしばらく経った頃、別の道にて「推し」が活躍を始めるようになりました。わたしは心身が不調になってからも、Twitterなどで「推し」の情報を集めていたので、新しい道で活躍を始めたことを知って、嬉しくなりました。また、時々イベントが開催されることもあったので、そこに参加したこともありました。

ですが、以前と比べるとエネルギーが明らかになくなっていて、感情も鈍くもなっていて、複雑なものになっていました。
イベントに参加しているのに、「楽しさ」だけでなく、「苦しさ」「虚しさ」も感じていました。

「苦しさ」についてはたぶん、その頃は心身が不調になっていたのもあると思いますが、考え方がネガティブになっていたので、「耳が聞こえないのにイベントなど参加していいのだろうか、応援していいのだろうか」という気持ちもあったのだと思います。
今ならその時の自分に「そんなことないよ」、と言えますが…苦笑

その追いかける「苦しさ」に耐えられなくなり、ある日、「推し」を追いかけることを完全に止めてしまいました。
AKB、曲への字幕付け、そして「推し」を追いかけることも含めて、わたしのすべての「青春」はわたしから離れていきました。
幸せな思い出で終わる形ではなく、心の傷として残ることになってしまいました。

それから数年。

苦しかったのですが、追いかけることをやめたことによって、皮肉にも心の余裕が少しは出てきました。

それで、心身を休ませながら、仕事などはだましだましなんとか乗り越えていって、気まずくなったプライベートな人間関係も持ち直していきました。数か月もたてば、だいぶ落ち着いて行動できるようになったのかな、と思います。
ですが、次第に自分自身のことに目を向けるようになってきました。
「このままでいいのかな?」と。

落ち着いた時には、会社に入社して4年目くらいでしたが、「もっと自分のできることがしたい」「もっと自分の生きている意味が欲しい」と考えるようになったのです。

当時、会社で働いていたのですが、もともと会社に入っていたのはお金のため、生活のためでもあったため、「もっと自分が本当にやりたい仕事をしたい!」と思うようになって、自分の仕事に対して疑問を持っていました。

そのため、入社してちょうど5年で会社を辞め、個人事業主になりました。(その経緯については以前、こちらの記事で少し触れて書いております。)

今にして思えば、会社を辞めた時から、以前の「推し」に関係する心の傷から申し訳なさのようなものもあり、無識的に、「これじゃなきゃ」という自責や強迫観念のようなものもあったかもしれません。

また、以前と比べて、エネルギーがなくなっていて苦しくなっていたのもあると思います。会社を辞めることができれば、納期のプレッシャーや仕事のノルマからも解放される、仕事上の付き合いで気を遣わなくていいんだ、とも思っていたと思います。

実際、会社を辞めて、個人事業主になってからはずっと楽になりました。もともとプログラミングが得意だったので、その技術を生かして何とか仕事をすることができました。
また、わたしが以前世話になっていた人がいましたので、その人を通じて仕事をいただくことができました。

そのおかげで自分のペースで仕事をしながら上手く生き繋ぐことができ、それで1、2年かけて、仕事をしつつも、身体と心を少しずつ休ませ、自分自身をある程度取り戻すことができました。

それでも、時々不調になることは治っておらず、「楽しい」・「嬉しい」という感情もまだまだ湧きづらいままでした。
それで、色々と調べていって、「もしかすると菜食生活を過ごすと健康になるんじゃ?」と思い、昨年から菜食(+玄米)生活を試してみることにしました。(詳しくは以下のリンクから)

(↓菜食を始めるきっかけとなった記事↓)

(↓玄米・菜食生活で過ごした内容や気づいたことを書いた記事のまとめ)

菜食・玄米生活 & 自分にとことん優しくして完全回復!

菜食・玄米生活を送るようになり、また、健康になるように他のことも色々と試していると、日が経つごとにどんどん元気になって、不調になることもだんだんなくなりました。

また、気が付くと、嬉しい・楽しいという気持ちも復活して、漫画を楽しんだり、ゲームを楽しんだり、「今日は何を食べよう?」と、軽やかな明るい気分も復活しました。

わたしが今日書いた記事を見て、わたしの不調について、病院にいったり、薬をもらった方がいいのでは?と思う方もいるかもしれません。
ですが、わたしは子どものころから、何となく本能的に薬が嫌で、服用したくないなと思っており、薬を使わずに自然療法で、できる限り自然の力で直したいと考えております。(自然が好きというのもあります)

そのため、病院にいって薬を貰うことになったら嫌だなと思い、これ以上悪くしたくないなと思って、それを避けるためになぜ不調になったのか原因を調べ、どうすれば回復するのかも、徹底的に調べていました。

数年前、「推し」が卒業して「寝まくる!」と決めた時も、実は”睡眠負債”で心身が不調になるという情報がネットや本にあって、それまでの仕事やストレスで睡眠がなかなか取れていないということと心当たりがありまくったので、時間があればとにかく寝まくることにしていたのです。(参考記事はこちら)

また、「楽しい」・「嬉しい」という感情が湧きづらくなることがわかったときも、その原因についてネットや本を調べていたりしました。
色々と調べてわかったことは、「苦しい」「やりたくない」という自分の気持ちに向き合わずに人に合わせてばかりいると、自分の感情が麻痺していって、自分の気持ちが見えなくなる・わからなくなる、ということでした。

「推し」との苦い思い出でもそうですが、わたしは誰かと一緒に行動するとき、自分のしたいこと・やりたいことがあっても言わずに終わることが多いので、わりと人に合わせることが多かったのです。
もしかすると、色々と我慢して溜め込んでいたのかもなあ、と思いました。

そこで、それからは「もっと自分を大事にしよう」「自分に優しくしよう」「自分に素直になろう」と思って、日々を過ごすようにしました。
・好きなものを食べまくったり。
・好きな漫画やゲームを思う存分楽しみまくったり。
・元気ややる気がないときは素直に仕事を休んだり。
・気ままに散歩したり、ノープランでどこかへ出かけたり。
・noteで心のままに思う存分書いてみたり。
(実は、noteで記事を心のまま書くことも、わたしがしたいことのその一つです^^;)

そうすると、自分の気持ちが見えてきて、「楽しい」・「嬉しい」という気持ちも湧きやすくなりました。

そしてやがて、自分自身を追い詰めてきたもの、自責や強迫観念といったものからも解放され、「自分はこれでいいんだ」「これで大丈夫なんだ」「これでよかったんだ」と思うようになりました。
自分を受け入れ、自分を認め、自分を許すことができるようになりました。

最近、やっと苦い思い出と向き合う余裕ができた。

このように、色々と試して、過ごしてみたら、やっと、心に余裕ができて、最近は思い出を振り返る余裕ができました。
今わたしが書いている内容は、わたしを長く苦しめてきた、痛くて悲しい思い出ではありますが、その思い出に向き合いたくなり、苦しみにサヨナラを言いたくなって、書いています。まだ誰も言えなかった内容ではありますが、このnoteなら書けるのかな、と思って、書いています。

AKBのことも、字幕を付けた日々も、推しを追いかけたことも、今ではやっと、あのときの自分を許すことができて、笑って思い出しながら書いたものを読み返すことができています。

あんなことがあったなあ。
こんなことがあったなあ。
痛ったいなあ、と笑

それでも、推しを追いかけたときの苦しみや、追いかけるときの止めてしまった悲しみが溶けきれずに残っていて、思い出すとその痛みを今もチクりと感じます。

「推し」に対しては、応援すること、追いかけることを止めてしまった罪悪感が微妙に残っていて、まだ消えていませんが、それでも、最近はTwitterを時々ちらっとチェックして、「おっ、頑張ってる!今日も可愛いな(^^)」と気楽に思えるくらいになりました。

表立って「好き」と言えませんし、以前のようにイベントに参加するなどもできなくて、「推し」には「追いかけられなくてごめんなさい」としか心の中で言うことしかできません。
ただ、改めて「推し」のことを思って、「推し」のTwitterのタイムラインを眺めてみると、あの時大好きだった感情が蘇ってきて、今も変わらず大好きなままなんだな、ということがわかりました。

なので、今は無理せずに、時々Twitterをチェックするくらいに、活躍を陰から見守る程度にして、細々とこっそり応援しています。

わたしに何ができるかな?

話が非常に大幅に逸れてしまいましたが、なぜ今回の記事を書いているのかというと、わたしのなかで輝きながらも痛みとして残る思い出を整理したくて、そして、いまのわたしだったら、【見えない「音」に阻まれて苦しかったときのあの時のわたし】を助けるために何ができたのだろうか、ということを改めて考えたかったからです。

noteに思いっきり書けば、わたしの想いが解放されて、わたしの苦い思い出はスッキリ終わると思っていたので^^;
でも、どうやら、このまま終わることに、まだ自分の中で納得ができていないようです。。。

この記事は全5回に分けて書いていて、非常に長い文章になってしまいましたが…汗
もともとは、【世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方】という本を読んで、そして「得意なこと」を見つけるために、自分の過去を思い出して整理するために書いていました。

そこで、改めて自分と長く向き合ってわかったことは、自分には「(知識・技術・経験が足りなくても)思いつき・創意工夫・諦めない心で何とかする」ことが得意であり、それが自分の一番の武器である、ということです。

第1回~第4回目までの記事にて、字幕を付けるために色々な方法を検討していって組み合わせていったら、自力で字幕をサクサク付ける方法を見つけられましたし、仕事でプログラミングを行うときに、どうしようもできなさそうなバグや不具合に出くわした時も、追い詰められてとことん悩んで考えていくうちに解決方法が見つかって窮地を乗り越えるときも多々ありました

そのため、「思いつき・創意工夫・諦めない心で何とかする」というのが自分の最も活かすべき長所であると思います。

プログラミング自体が好き、楽しいなど、好きなものに対して知識・技術・経験をとことん磨いて、極め続ける人に対して、その道に対する専門的な強さにはかなわないかもしれませんが、わたしにはその足りない知識・技術・経験を最大限に活かして、上手に組み合わせて、どんな場面でも解決策を見つけて逆境を跳ね返す強さはあると自分で思います。
知識・技術・経験によらない応用力があると、胸を張って自信を持って言えると思います。

それに新しい方法を思いついた時の興奮はわたしにとって、最も「生きている」と思える瞬間であり、そのあたりはわたしの「大事なこと」の「困難に挑戦すること」とも、合っているのかな、とも思います。(以前に書いた記事がこちら)

しかし、当時は仕事が忙しくなって、ストレス・プレッシャーが重なって心身が不調になっていくと、考え方がネガティブになり、「思いつき・創意工夫・諦めない心で何とかする」という長所が影に隠れてしまいました。そのため、【見えない「音」に阻まれて苦しかったときのあの時のわたし】を助けたくとも助けることができませんでした。

だから、もし、今のわたしが【見えない「音」に阻まれて苦しかったときのあの時のわたし】を助けるならば、自分の武器である「思いつき・創意工夫・諦めない心で何とかする」という長所を活かして、見えない「音」が見えるように、世界を思う存分楽しめるように、その可能性を探して、【あの時のわたし】を救いたいと思います。

それがどんな方法か、わたしがこれまで仕事で培ったプログラミングという技術を活かしていくのか、どうすればいいのかは、まだ考えていませんが、もし、そのことが「本当にやりたいこと」であると明確に決まったならば、もう一度改めて【見えない「音」に阻まれて苦しかったときのあの時のわたし】を助けられるように「挑戦」したいと思います。今度は、人生を通じた「仕事」として。

そうして、初めて、この苦い思い出に決着がついて、完全にサヨナラを言えるのかなと思います。できれば、ですが笑

とても長くなってしまって申し訳ありません。
色々とまとまっていなくて申し訳ありません。
非常に読みづらい内容だったと思います。もしかしたら読んでいくうちに色々と思ったのかもしれません。
それでも、ここまで読んでくださってありがとうございました。

今回の記事で、「見えない音を追いかけた青春、とても特別でかけがえのない興奮」は終わりますが、「本当にやりたいこと」を見つけるための【自己理解】に関する記事はまだ書き続ける予定ですので、興味がありましたら、そちらもご覧いただけると幸いです。(「自己理解」をまとめた記事はこちら)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?