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#10 日本に住む人は渋沢栄一と共に生きている。

 皆さん、歴活してますか?歴史探偵Qです。
今回の報告書は、2021年度の大河ドラマの主役
2024年度の1万円の新紙幣にも選ばれた…
渋沢栄一」です!

 皆さんは渋沢栄一
どれくらい知っていましたか??

大河ドラマを見る前は…
歴史探偵Q自身は正直、歴史の教科書に
第一国立銀行の創設に渋沢栄一が尽力
という1行があった記憶だけあります。
その程度だったのですが…
 
 放送が始まり、渋沢栄一ってすげ〜となり
中盤は渋沢栄一さんはすごいな…となり、
最後は渋沢栄一先生の様になりたい
とまで思いました。笑笑

ドラマの影響力は凄いですよね!笑

 今回は、渋沢栄一の経歴をおさらいし
日本に住み、生活している人達は
渋沢栄一なしでは生活できない事を
ご紹介できればと思っています!

1、渋沢栄一って?

 渋沢栄一は明治・大正期の実業家。
生家は農業のほか藍玉の商業も営んでいた。
一橋慶喜に仕え、幕府で働き明治維新後、
政府に仕官するもののすぐ退官し、
第一国立銀行の頭取となり、日本の近代化に向け
育成と指導に尽力しました。

2、渋沢栄一の経歴

・1840年:武蔵国(現在の埼玉県深谷市)
 に生まれる。
 渋沢家は、藍玉の製造販売と養蚕を兼営し
 米、麦、野菜の生産を手掛ける農家でもあった。

・1861年:江戸に出て、「海保漁村」という
 儒学者の門下生となる。
 江戸で勤皇志士と交流し、その後尊王攘夷の
 思想
に目覚める。
 後に、京都で志士活動を開始するものの
 「八月十八日の政変」がおき活動停止状態に。
 一橋家家臣の「平岡円四郎」の推挙により
 一橋慶喜に仕える。

・1867年:一橋慶喜が15代将軍になり、
 渋沢栄一も幕臣になる。
 パリ万博に出席する為、慶喜の弟である
 「徳川昭武」に従って渡欧し欧州各国を
 訪問し、欧州の技術を目の当たりにする。
 その後、大政奉還が起き帰国の途につく。

・1868年:日本に帰国。
 静岡で謹慎していた徳川慶喜に会う。
 慶喜の恩に報いるために静岡藩に出仕する。
 静岡藩の財政改革が徐々に結果が出る。
 明治政府から出仕の呼び出しがあるが拒否、
 大隈重信の説得により明治政府に出仕する。

 しかし、4年で大久保利通や大隈重信らと
 対立し、明治政府を辞める

・1873年:政府を辞めた栄一は…
 「第一国立銀行(現みずほ銀行)」を
 設立に尽力し、総監役に就任

・その後の栄一は…
 企業の創設、育成に力を入れ
 生涯に約500社以上の企業に関わりを持ち、
 約600以上の社会公共事業・教育機関
 支援もした。

・1931年:91歳の生涯を閉じた。

3、「日本資本主義の父」たる由縁

 渋沢栄一は「日本資本主義の父」と
言われることが多いですが、
それは上記でも書いた様に約500社の設立に
関わっているからです。

■渋沢栄一が設立に関わった企業

金融機関
 みずほ銀行、三井住友銀行
交通機関
 JR東日本をはじめとする全国のJR系
 日本郵船
建設系
 太平洋セメント、清水建設
ライフライン
 東京ガス、東京電力
工場系
 新日本住金、王子製紙
飲料系
 キリンビール、サッポロビール
その他>
 東京証券取引所、東京海上火災保険
 東京商工会議所など

■日本の社会福祉事業の創始者

 渋沢栄一は1874年に
最初、国が生活困窮者救済事業として
養育院(現東京都健康長寿医療センター)
運営していたが、「富国強兵」など
国を強くするために税金を使うべく、
生活困窮者を国は切り捨てようとしていたが
それを助けたのが渋沢栄一でした。
養老院の運営に携わり
後に事務長、院長に就いた。
幼少年や長期療養者ごとの分院や
感化が必要な少年への学校を設置する等、
終生この事業に係わり運営に心血を注いだ。

1877年には、博愛社が創立されると社員となり、
後に同社が日本赤十字社と改称されると常議員となり、
引き続き運営に関わった。

1884年には生活困窮者に無料で診療治療を行う
事業のために設立した同愛社の
幹事となり事業に協力した。

■学校・教育にも協力

 渋沢栄一の考えに…
人材育成の根底には教育がある
とのこと…
有言実行の男渋沢栄一は教育に支援し、
大学の設立に尽力。
 また、男尊女卑の風潮が強い中、
女性の高等教育の必要性を唱え、
学習機会の拡大の為に継続的な支援を行った。

設立に尽力した学校
 東京大学、東京工業大学、二松学舎
 早稲田大学、日本体育大学、国士舘大学
 拓殖大学、同志社大学、東京女子大学など

4、まとめ

 渋沢栄一の経歴と「日本資本主義の父
と呼ばれる由縁を紹介しましたが、
これを見て日本に住んでいる人は渋沢栄一なし
では生活できないことがわかりましたよね?

 なぜ、渋沢栄一はそこまでして日本の近代化
力を入れたのだろうか?
それには渋沢栄一の理念である
道徳経済合一説」が関係しています。
この説は、倫理と利益の両立を掲げ、経済を
発展させ、利益を独占せず、国全体を豊かに
する為に富を国全体で共有し、社会に還元する
事を唱えている説で渋沢栄一も心掛けていた。

 ここまで、渋沢栄一という男が再評価され
論語と算盤」という書籍が注目される
というのは…

 この日本が約30年不景気で元気がなく、
暗いニュースばかりで気が滅入ってしまい、
こういうヒーロー(政治家?)
求めているからなのかもしれない…

 私自身も少しでも渋沢栄一の様な
人間に近付きたいと思っているが
人間は弱いもので私もこの様なヒーローが
現れてくれる事を願ってしまっている。笑

以上
調査報告完了


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