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「そして、次の曲が、始まるのです」。

 大学3年になって、地元の公立高校(おそらく他校)の吹奏楽部の顧問がかわったという情報を、妹に問い合わせる。高校受験を機に吹奏楽とは縁を切ったとは思えない。その未練、私は嫌いではない。

 私にも、大学3年生の頃には、夢があった。

「誰もが安心して長生きできる社会保障制度を設計したい」

とね。

今、笑った人、いると思う。
 
筆者が21-22歳の頃(2001年から2002年)、進路に迷っていた。厚生労働省にキャリア入省して世の中を変えればいいのでないか。そう思ったこともあった。東大法学部卒でないと入省するのはきわめて困難。そんなことが言われていた頃の地方の国立大。大阪大学法学部。

駿台で浪人していた頃に東大模試の成績が良くて(高校3年生の時は京大命だった)、「東大を目指せばよかったかな」ということが脳裏をかすめたこともあった。もっとも、1999年出題・数学第1問20点満点中でゼロ点をとって、センター試験の200点相当の失点をして不合格になっただろうなと今では思うけれど、失敗らしい「失敗」というものを大学入学試験浪人生くらいしかしていなかったあの頃の筆者は、若かった。

妹の黄前久美子にとって進路とは、「お姉ちゃんは『いい大学』に行って『いい会社』に入る」とか、「(お姉ちゃんは吹奏楽をやめたけれど大学受験では)第一志望の大学には行けなかった」なのだろう。妹にこういわれている、姉の黄前麻美子。『響け!ユーフォニアム2』では感動的な名古屋でのシーンがあるのだけれど、ここでは割愛。

リアルの昔俺(高3、1998)は、「浪人した」とはいっても、センター試験・数学IIBで100点満点を28点の大失点をやらかした以外には、それなりの結果が出ていた。過去問を買わないどころか、全く勉強しない状態(センター試験数学IIBで志望校の京大法学部に出願しなかった時点で、まったく勉強しなくなった)で受験した、関西大学法学部と関西学院大学法学部。合格した。同志社大学法学部は英語で時間配分をミスって不合格になったけれども、関西学院大学法学部現役合格には納得がいかなかった。「いい大学」なのだろうけれど、全く試験勉強せずに合格したけれど、「浪人」という選択を許してもらえるのだろうか全く見当がつかなかったので、悶々と過ごしていた。

 そんな時、長年の「結果」が出た。
 小学生の頃から通っていたバッティングセンターで、ホームラン賞。
 ふっきれた。
 野球部に入るわけでもない中学・高校生活だったけれど、バッティングマシーンを相手にそれなりの打球を返せるだけの力量があって、たまたま籠に入った「ホームラン」。

 受験勉強をやり直したい。

 丸山真男『「文明論之概略」を読む』(上・中・下)岩波新書と、指定された原典箇所を朗読する(福沢諭吉『文明論之概略』(岩波文庫)を音読する)という夏休みを送ったり、古文の先生に「受験生でありながら『大鏡』を読んでもよいのでしょうか」と質問したり(『大鏡』で刀伊の入寇の記述を期待してがっかりしたり)、好きな子に恋文を書いて突撃玉砕したりする不思議な「受験勉強」をしていたけれど、現役生の頃に努力せずに合格した関西学院大学法学部は、浪人生の時には過去問で対策をした上で、納得して合格し直した。
 
「東京大学に行っておけばよかったかな」。

 大阪大学法学部で鬱屈していた昔俺は、今から思えば、憐憫の情を禁じ得ないのだけれど、センター試験で同じような点数をとった駿台同級生がみんな東京大学に合格していたのだから、ムリもない。模試とはいえ、東大模試では互角だったし、駿台の三者面談では、第一志望の慶應義塾大学法学部政治学科を親(学費負担者)にバレないように担任職員のKさんと事前に打ち合わせしていた。

「神谷(かみたに)君。ホンマは、慶應に行きたいけれど、三者面談では『阪大法学部』を第一志望にする。これでエエねんな?慶應の話は出さない、ということで」
「はい。お願いします」
「でも、『東大』の話は出してもエエねんな?」
「はい。大丈夫です」
「『東大』をすすめる、というのは、僕(Kさん)の立場上は避けられへん。これは理解してね」
「はい」

 三者面談では、Kさんが母親に「東大受験をすすめるも、母親はそれを辞退する(東大なんてトンデモナイ)」というシナリオ通りに話が進んで、第一志望の慶應義塾大学(大阪から、学費の高い東京の私立大学を受験する)を一言も話さず、センター試験で「結果」を出して、慶應義塾大学法学部政治学科を2回受験した。

 2回とも筆記試験は合格して、7人に1人しか不合格にならない面接試験で2回とも不合格になったのは、「やれるだけのことはすべてやった結果」なので後悔はない。むしろ、ネタにできる。

 でも、筆者が入学した大阪大学法学部。

 おもろなかった。

 当時は司法試験予備校に通うダブルスクールを敵対視したある教授が、講義で話していない内容を答案用紙に書いたら単位認定をしないという謎ルールが適用されるは、その教授の講義はドヘタだは(声が聞こえない)・・・・・・別のM教授の講義は面白いし、指定された教科書で疑問に思ったことを出席確認の質問票に書き込んだら「良い質問」として翌週の講義で何度も取り上げてくれたのだけれど、謎ルールの教授が担当した講義が民法Iだったので、救いようがなかった・・・・・・。

 社会保障制度への思いは、大学受験当時からというか、高校生の時から抱いていた「夢」なので、大学受験では政治学科ばかり受験していたことにもあらわれていた(「政策の立案」というのは、政治学の領域だと思っていた。政治学を勉強すると、それは違うとわかったけれど)。そんなズレを大学時代に感じつつ、厚生労働省にキャリア入省することが夢を実現する俺の道だと思って、それなりに頑張った。厚生労働省の業務説明会を大阪大学キャンパス内で実施するところまでこぎつけた。

筆者は、自宅から通う、恵まれた大学生だった。

その時、霞が関では。

厚生労働省のキャリア官僚は、大学生の筆者に、業務説明会のパンフレット文書(Word)を筆者宅のPCのメールアドレスに送信するも、それがはじかれてFAXを送ろうとする。しかし筆者宅の電話機が、ナンバーディスプレイが非通知のものを受け付けないシステムにしていたため、「業務説明会の案内を送ろうとしたけれど、メールもFAXも送れないorz」という試練に見舞われていた。

午前0時を過ぎて一般家庭にFAXを送ろうとした(2002年)のも今から考えれば「普通」なような気がしないし、霞が関では午前3時4時まで省内で勤務しているという労働実態も、「それが当然」だと覚悟していた筆者。その勤務を2003年に民間生命保険会社で筆者自身が体験。心身を病んで早期退職して、時代は就職氷河期のまっただなか。どこにも再就職どころかエントリーした30秒後に不採用メールが届いて「失敗」をこじらせた。

#anime_eupho における、黄前麻美子の「進路」。それは、父親との葛藤の中で起きている、筆者からみれば小さなものに思える。「『いい大学』に入って『いい会社』に入る」という黄前久美子のセリフ自体、筆者(1980生)にとっては、一周回って新鮮だった。そんな価値観の実現は、高度経済成長期で終わっているだろうし、黄前姉妹の育った1990年代後半から2000年代にかけては「都銀」と呼ばれる大銀行上位行が一つの例外もなく、名前がかわった(住友信託銀行は2012年に三井住友信託銀行になるまで「例外」だったのでは、という方には、日本長期信用銀行(長銀)との合併が検討されていたことをもって「反論」としたい)。大手製造企業では、何千・万人単位の「希望退職」「追い出し部屋」が登場していることを、黄前姉妹の両親に知らないとは言わせない。

 あえて言おう。「『誓いのフィナーレ』で黄前麻美子のことが、黄前父子のセリフで言及されただけでは、 #anime_eupho は完結していない」と。上記の自分語りについて、「お前(神谷(かみたに))は昔のクダラんことをグダグダ書き上がって、ホンマにしょーむないオッサンになり果てたな、乙!」と言われたい。田中あすかをして、「あの曲を黄前ちゃんにボロカスに否定されたいのかもしれない」と言わしめたように。

 作品には、力がある。

 私は、信じている。

 何を?

 『誓いのフィナーレ』のBlu-rayに同封されていた、インタビュー記事(2019年)に、つづきがあることを。

 「そして、次の曲が、始まるのです」。


拙著

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