rei

つれづれなるままにエッセイを書いてみようと思います。よろしくお願いします😊

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最近の記事

見送る夏②

 次に会ったとき、伯父は横たわっていた。きれいな状態だったけれど、最後に会ったときとは全く違っていた。蝋人形のようで、そこに命がないことは明らかだった。どんなに痩せても生きている人と、亡くなった人とではこんなにも違うのかと他人事のように思った。まだ実感が湧かなかった。  伯父の死を感じたのは遺影を見たときだった。元気な頃の、私のよく知る伯父が微笑んでいる。それがもうこの世にいないのだと突きつけられた。  その後も実感があるのかないのかよくわからないまま、お別れの式が進んでい

    • 見送る夏①

       今年の夏から秋にかけて大切な人をニ人見送った。そのうちの一人は伯父だった。  伯父と伯母の間には子どもがなく、小さな頃からとてもかわいがってくれた。お酒とおいしいものが大好きな伯父は、私の成人を誰より心待ちにしており、会う度に「あと◯年」とカウントダウンしていた。10年以上前だったので、あまりに気が早くていつも笑っていた。  実際に成人してからは、「おいしいものを教えてやる」と言われ、何度か一緒に飲みに行った。伯父の連れて行ってくれたお店はどこも本当においしかったし、大人

      • 身体の声を聴くー今何が食べたい?ー

        先日スーパーで、何か野菜を買おうと悩んでいた。メニューを考えながら見ていたのだが、あの濃い緑のつやつやを見た瞬間、メニューがどうとかいう思考は飛んでいった。 "ピーマンが食べたい!" 別にピーマン関して特別な思い入れがあるわけではない。好きでも嫌いでもないし、いわゆる我が家のスタメン野菜ではない。近くにあったナスの方が圧倒的に好きなのだが、その日はなぜか無性にピーマンに呼ばれた。 結果、近隣で育った大きくてユニークな(誰かねじったでしょう?という)形のピーマンをほくほく顔

        • ミュージカル「アリージャンス」

          アリージャンスは実話を元に作られたブロードウェイミュージカルで、舞台は第二次世界大戦下のアメリカ。自由を求めてアメリカに渡った日系人たちは、生活の基盤を作り、次の世代も平和に暮らしていた。しかし、真珠湾攻撃がアメリカを激震させた。これを機に日系人たちの暮らしは一変する。この物語の中心であるタケイ家も例外ではなかった。 タケイ家は日系1世で農場のオーナーのタツオ、長女ケイコ(ケイ)、長男イサム(サミー)、タツオの父カイト(おじいちゃん)の4人からなる。家族ははじめ、アメリカへ

        見送る夏②

          今1人の芸術好きとして思うこと

          突然だが、舞台は人生や人の在り方を凝縮したようなものだと思う。たった数時間の舞台に人々の喜怒哀楽がぎゅっと詰まっている。 「人生は素晴らしい。生きるに値する。」 これは劇団四季が戦後間もない頃から舞台を通して伝え続けてきたメッセージだ。舞台を見ると感情を揺さぶられ、満ち足りた気持ちになるのは、そこで表現される感情の渦に少なからず共鳴するからなのだと思う。多くの物語はただただ幸せな日々を描いたものではない。むしろ、苦しみや葛藤を孕むものの方が多いのではないか。だが、その中で懸命

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          祖母と信仰の話

          信仰…神や仏を信じ敬い、その教えに従おうとすること。特定の対象を絶対的なものとして信じこむこと。(『明鏡国語辞典 第3版』より) 母方の祖母は昔からクリスチャンで、教会は幼い頃から身近な場所だった。はじめは祖母が礼拝の間、祖父とドライブや買い物をしたり、妹と教会の端で絵を描いたり、折り紙をして待っていた。そして、そのうちに自然と子どもの礼拝に参加するようになった。元保母さんの祖母は、クリスマスになると子どもたちにキリストの誕生の紙芝居を読んでいた。親戚のお姉ちゃんはいつもパ

          祖母と信仰の話

          餃子から「普通」を考える

          「普通」とか「常識」いうのは恐ろしいものだ。 私の出身地には「ホワイト餃子」という変わり種の餃子がある。後々知ったが、支店は結構あちこちにあるらしい。我が家での愛称は「ホワギョ」。 父がこの餃子を溺愛していて、飽きもせず好きなものを延々と食べるタイプだったため、幼い頃は恐ろしい頻度で通っていた。週に何回か……今となってはよくわからない。 もちっとした厚い皮に熱々の餡が入った餃子で、何より特徴的なのは、その厚い皮を大量の油で揚げ焼きにしているところ。ほぼ揚げ物だと思っている

          餃子から「普通」を考える

          柑橘からwithコロナを考える

          みかんをほぼ毎日食べるようになってから半年近く経った。"手軽にビタミンを"と季節の柑橘を箱買いすることは以前から何度かあったが、去年のステイホーム期間あたりから、すっかりお取り寄せの癖がついてしまった。 はじめは産直サイトで、宮崎県のみかん農家から5キロを箱買い。傷ありの訳ありみかんだったが、こだわって育てられたもので、これまで食べていたものとは剥いている時点で香りが違った。皮を剥くと立ちこめる華やかな香り、その濃厚な味にすっかりはまってしまった。そして、生産者の方に直接「

          柑橘からwithコロナを考える

          「透明人間」の生まれる理由(漫画『ヤンキー君と白杖ガール』のすすめ)

          ここ数年、機会がある度に人に薦めている漫画がある。うおやまさんの『ヤンキー君と白杖ガール』だ。絵柄はとてもかわいらしいが、内容は「普通」「社会」「仕事」「生き方」など、いつも深く考えさせられる。タイトルにある通り、ヤンキーの男の子が主人公で、白杖を使う弱視の女の子(ユキコ)がヒロインなのだが、登場人物一人一人にスポットが当てられ、みんなが主役であるような作品だ。 最新話「透明」は全盲の男の子がホームから落ちそうになる話なのだが、どちらかといえばそれを目撃した健常者の女性の話

          「透明人間」の生まれる理由(漫画『ヤンキー君と白杖ガール』のすすめ)

          食いしん坊のルーツ

          私の食いしん坊は小さな頃からで、これは根っからの遺伝である。 父方の祖父母は正月には庭で餅をつき、親戚が来れば庭でバーベキュー、かつお節はいつも家で削っていたし、クリスマスには七面鳥に本格的な詰め物をして焼いていた。 母方の祖母も食べることが大好きなので実に4分の3が食いしん坊。歩き始めるのはとても遅い子どもだったが、ストローは早々と当然のように使いこなしたらしい。 母方の祖父母は今に至るまで常に身近な存在で、私はこの二人に育てられたと言っても過言ではない。一方、父方の祖父母

          食いしん坊のルーツ