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餃子から「普通」を考える

「普通」とか「常識」いうのは恐ろしいものだ。

私の出身地には「ホワイト餃子」という変わり種の餃子がある。後々知ったが、支店は結構あちこちにあるらしい。我が家での愛称は「ホワギョ」。
父がこの餃子を溺愛していて、飽きもせず好きなものを延々と食べるタイプだったため、幼い頃は恐ろしい頻度で通っていた。週に何回か……今となってはよくわからない。

もちっとした厚い皮に熱々の餡が入った餃子で、何より特徴的なのは、その厚い皮を大量の油で揚げ焼きにしているところ。ほぼ揚げ物だと思っている。外はさくっと、中はもちもち、熱々。とてもおいしい。家族でお店に行くと、ご飯などを注文することなく、すごい数の餃子を頼んでいた。餃子オンリーだ。(餃子専門店なので餃子しかないらしいが、もちろんご飯くらいはある。)

誤解のないようにもう一度言うが、ホワギョはとてもおいしい。ただ、いかんせん通い過ぎだった。子ども心に「また餃子ー?」と思っていた。(当然口にも出していた。)間違いなくおいしいのだが、飽きていたのだ。

ある時、家族で餃子の王将に行った。餃子に飽きていたわけなので、当然餃子は頼まない。たぶん中華丼か何かを食べていた。誰かが頼んだ焼き餃子を「食べてみなよ」と1つもらった。衝撃を受けた。「こんなにさっぱりした餃子があるなんて!」と。

お察しの通り、完全に餃子=ホワイト餃子になっていたのだ。1ミリも疑うことなく。王将の焼き餃子を知ってから、「ホワイト餃子は揚げ餃子なのだ」と理解したが、その後、中華料理屋さんで一般的な揚げ餃子を食べ、それともまた違うと首を傾げることになったのは言うまでもない。ホワイト餃子がご当地B級グルメのような餃子であると理解するまでには大分かかった。

「普通」という概念のいかに恐ろしいことか。明らかな少数派を「普通」だと理解することがこんなにもたやすいという顕著な例だ。本当にいい加減なので、簡単に信じてはならない。

余談だが、夫を父に紹介するとき、ホワイト餃子(正確には系列店)で顔合わせをした。何しろ変わり者の父なので、「父を紹介するならホワギョも一緒に紹介しよう。」と思ったのだ。私も十分変わり者なのかもしれない。当たり前だが、ビールを飲みながら餃子を食べるだけなので、のんびりと話す雰囲気ではなく、もう一軒行くはめになった。

初めて食べた夫は「面白いね。フランスパンみたい!」と新鮮に感じたようだった。私は「フランスパン?ホワギョはホワギョでしょう」と思っていた。やはり数年離れてもホワギョはホワギョ以外の何物でもない。慣れ親しんだ味。久しぶりに食べたホワギョはおいしかった。

(写真におさめたことがなかったので、写真は最近行った友人の提供。)

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