今1人の芸術好きとして思うこと
突然だが、舞台は人生や人の在り方を凝縮したようなものだと思う。たった数時間の舞台に人々の喜怒哀楽がぎゅっと詰まっている。
「人生は素晴らしい。生きるに値する。」
これは劇団四季が戦後間もない頃から舞台を通して伝え続けてきたメッセージだ。舞台を見ると感情を揺さぶられ、満ち足りた気持ちになるのは、そこで表現される感情の渦に少なからず共鳴するからなのだと思う。多くの物語はただただ幸せな日々を描いたものではない。むしろ、苦しみや葛藤を孕むものの方が多いのではないか。だが、その中で懸命に生きる姿を見せられ、苦しくても「それでもなお、人生は、生きるということはこんなにも素晴らしい!」と訴えてくるのだ。
昨年は「不要不急」という言葉が度々使われた。劇場やコンサートホールもその言葉によって閉ざされた。確かに舞台やコンサートへ行かなくても死にはしないし、物理的に飢えるわけではない。だが、芸術のない人生がどれほどつまらないものか思い知った人も多かったのではないか。私は自粛中、完全に食べることしか楽しみがなくなった。(食べることは最上級の楽しみではあるが、残念ながら胃袋には限界がある。)現代は様々な芸術を楽しむ機会に満ち溢れているので、ある意味、芸術がどれほど人生を豊かにしてくれていたのか痛感する貴重なチャンスだったとは思っている。
そして今、再び劇場やコンサートホールが閉ざされようとしている。「人手を抑制する」という意味ではわからなくはないが、そうして芸術が衰退してしまうことは文化的に大きな損失だということは本当に理解されているのだろうか。二度目はより重いことをわかっているのだろうか。
昨年、劇場が閉まったとき、ある役者さんが「本当に必要な職業がわかったな」という旨の投稿に対して、何の反論も出来なかったと言っていた。これはとんでもないことだと思う。芸術の担い手が必要のない社会なんて社会と呼べるのだろうか?
学生時代、映画「Sound of music」を題材に自由にレポートを書く課題があった。私は「Power of music」というベタなタイトルで、音楽の持つ力について書いた。詳細は忘れてしまったが、音楽によって幾度も人の心が動かされ、状況が変わっていくことに着目した内容だったように思う。音楽は、時に人と人との心を通わせ、また時には悲しみに凍てついた人の心を溶かし、抑圧された人々の心を解放する。「Sound of music」を見ていて、音楽は人の心に直接響き、作用するものだと思ったのだ。
思えば、昔から音楽は人々に愛されてきた。有名な荀子の「性悪」の中にも「人には生まれつき音楽と美女を愛するという性質がある」という文言がある。美女はともかくとして、現代においてもジャンルは様々あれど、すべての音楽を嫌いな人はなかなかいないのではないか。いるとすれば、「Sound of music」の初期のトラップ大佐のようにトラウマを抱えた人くらいなのではないかと勝手に思っている。
何故、門外漢の私がこんなに長々とミュージカルや音楽について語るかといえば、3月末に「アリージャンス」を観て、強烈に音楽や舞台の力を感じ、感情を揺さぶられたからだ。そもそもこの1か月くらいずっと記事にまとめようとしていたのに、今の今まで全く形にならなかった。それだけ揺さぶられたのだ。同時に、これ(舞台や芸術)は絶対になくてはならないものだと再認識した。
ただ、随分と長くなってしまったため、具体的な感想等は次の記事に持ち越したい。
今日はアリージャンスの大千秋楽。様々検討され、「直前の中止により混乱を招くことを避けるため」と開催に踏み切ったようだ。渦中の大阪で、最終日を迎えることに賛否両論あるとは思うが、観る者の気持ちを慮ってくださった主催者の方と、役者さんやその他カンパニーの方々に拍手を送りたい気持ちでいる。
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