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ミュージカル「アリージャンス」

アリージャンスは実話を元に作られたブロードウェイミュージカルで、舞台は第二次世界大戦下のアメリカ。自由を求めてアメリカに渡った日系人たちは、生活の基盤を作り、次の世代も平和に暮らしていた。しかし、真珠湾攻撃がアメリカを激震させた。これを機に日系人たちの暮らしは一変する。この物語の中心であるタケイ家も例外ではなかった。

タケイ家は日系1世で農場のオーナーのタツオ、長女ケイコ(ケイ)、長男イサム(サミー)、タツオの父カイト(おじいちゃん)の4人からなる。家族ははじめ、アメリカへの忠誠の証として、住み慣れた土地を離れ、強制収容所へ向かった。おじいちゃんが発した「我慢」という言葉を繰り返しながら。(ここでの「我慢」は「尊厳と不屈の精神をもって耐え抜く」という意味だそう。)その後、状況が変化するにつれ、家族の思いはバラバラになり、引き裂かれてゆく。戦争や人種差別等、様々な問題を孕んだ作品だが、実はこれは1つの家族の物語なのだ。(※以下多分にネタバレが含まれます)

この作品の主題はタイトルにもある「忠誠」だが、対になるように「誇り」という言葉が繰り返される。何に忠誠を誓うのか、それは家族であっても一人一人異なる。家族を大切に思いつつも、自分に嘘をつかず、自分自身に忠誠を誓うタツオ。自身の人生を懸けて築き上げた農場を手放したのだから、「誇り」だけは手離さないと言う。対照的なのはサミー。家族と自由を守るため祖国アメリカに忠誠を誓う。日系2世であるサミーはアメリカ人だと自認しており、祖国のために戦うべきだと考えている。また、サミーは父に愛されている実感を持てず、度々反発するが、ソロナンバー「男は」の中でも「戦う俺を見たらパパも誇りに思うはずさ。俺も誇り持てるさ。」と歌い、誰より父に認めてほしいと思っている。

また後にケイの夫となるフランキーもサミーと対照的な在り方をしていた。フランキーは政府からの徴兵へ抵抗する正義を貫いた。どちらも真っ直ぐに自身の信じる正義を貫いたが、だからこそ、サミーはフランキーを受け入れることが出来なかった。そして、タツオが「フランキーが息子であることを"誇り"に思う」と口にした瞬間、サミーの心がずたずたに引き裂かれたのを痛いほどに感じた。

サミーの苦悩は晩年まで続く。彼がうなされる夢の中で「それーでーきーまるー」と「男は」の一部が繰り返される。かつて、迷うことなく「男は何を成し遂げるか、それで決まる」と歌っていたサミー。家族との決別以降、二度も戦争に行ったことが明かされたが、それでも尚「自分は何者なのか」、「何を成し遂げたのか」、「どこかで誤ったのか」と苦悩し続けていたことがわかる。

サミーの苦悩を終わらせる鍵はケイが残した封筒にあった。サミーの載った「LIFE」。観客は知っている、タツオがツールレイクの収容所から出るときに、「LIFE」をもらい、抱きしめていたことを。だが、サミーは知らない。そして、そこにタツオの筆跡で書かれた「My Hero」の文字を見つける。「Hero」の一般的な意味は「勇敢で多くの人々から賞賛される人」の意味だが、実はもう一つ意味がある。「彼らが持っている固有の性質や能力のためにあなたが尊敬する人」である。つまり、他ならぬタツオがサミーを尊敬し、誇りに思っていたことが明かされるのだ。不器用で伝わりにくい父からの愛がそこに刻まれていた。

この作品のもう一つのテーマである「許し」という言葉はケイの口から度々発せられる。死しても心残りのあるケイはかつての姿でサミーの前に現れ、「この結末をやり直したいと星に願いをかけた」、「許し合うチャンス」と歌う。父とのすれ違いが解消されたサミーは溢れるようにケイへの愛を呟くが、当然サミーにはケイの姿は見えない。だが、サミーの前にはケイの「許し合う二度目のチャンス」という言葉と共に、ケイの娘であるハナコが現れる。ハナコの中にケイを見て、抱き合う。だから、抱き合う二人の隣に在りし日のケイとサミーが重ねられた。サミーは相手を許すと同時に自分を許すことができたのだろうか?一生会えなくなってようやく許し合えたのだとしたらそれは何とも切ない。

初めて観たときは渦に飲まれたような状態だった。感情の渦、そのエネルギーに巻き込まれ、ただただ真っ白になった。前から2列目だったことも関係しているのかもしれない。生の歌ががんがん響いていた。そして、もう一度観たい!観なければ!とだけ思い、強行スケジュールで翌日のチケットをとった。2回目、かつ一定の距離があって初めて「観劇」できた。

アリージャンスの魅力は語り尽くせないほどあるが、一つにキャストたちの歌唱力がずば抜けていることが挙げられるだろう。元々濱田さんが好きでとったチケットだったが、コロナの影響もあり、濱田さんを直接拝見するのは初めてだった。彼女が歌い始めると空気が変わる。ケイの感情に空間が埋め尽くされるような感覚。また、ソロナンバーの「もっと高く」を二回目に聴いたとき、既に前日とは変わっていた。自身と弟との違いに苦しむ場面ではその苦悩が深まり、その後、ケイの強い意志を感じさせる場面では更に強い覚悟が感じられた。これを「深化」というのかと圧倒された。また、サミー役の海宝さんは、これまで歌唱力が高く、模範のような歌い方をする方だという印象を勝手に持っていた。だが、舞台で観ると、一切ぶれることのない素晴らしい技術を持ちながら、そこに目まぐるしい感情を乗せる最高の役者さんだと感じた。観劇中、何度もサミーの感情に引っ張られ、終わってからも彼の歌が一向に頭から離れなかった。(翌日から複数名で出張していたのに、不意に歌い出しそうになるほどだった。)

生きている中で、これほど充実した体験はなかなかない。舞台に関わる方々の想像を絶する努力と、思いにただただ感謝した。そして、こんなご時世だからこそ、自分は何を誇りに思い、何に忠誠を誓うか考え続けなければならないのだろう。今日の昼に大千秋楽を終えたアリージャンス。名古屋や大阪へは行けなかったが、来月WOWOWで放送されるそうだ。もう一度あの家族に会えると思うと、どんなことも頑張れそうな気がする。そして、これだけ書いてもまだ、書きたいことが溢れている魅力的な作品をぜひご自宅で多くの方に観てほしいと思う。


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