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見送る夏②

 次に会ったとき、伯父は横たわっていた。きれいな状態だったけれど、最後に会ったときとは全く違っていた。蝋人形のようで、そこに命がないことは明らかだった。どんなに痩せても生きている人と、亡くなった人とではこんなにも違うのかと他人事のように思った。まだ実感が湧かなかった。
 伯父の死を感じたのは遺影を見たときだった。元気な頃の、私のよく知る伯父が微笑んでいる。それがもうこの世にいないのだと突きつけられた。

 その後も実感があるのかないのかよくわからないまま、お別れの式が進んでいくのを見ていた。食事の際に親戚のお姉ちゃんが
「ちょっとだけ飲む。□□の伯父ちゃん、お酒好きだったから、献杯。」
と言ったとき、もう一度実感した。こうして親戚はお正月のように集まっているけど、この場とお酒を愛していた伯父はもういないのかと。私も伯父に献杯をした。

 「葬送儀礼は見送る側の心の整理のためにある」といつかどこかで聞いたような言葉が頭を過った。伯父の死出の旅立ちの準備をする私たちが、一つ一つ心の整理をしていた。当然その時間でしきれるものでもないけれど。
 私たちは、この世ではもう会えない人との思い出を大切に持って、明日からを生きなければならない。伯父とはまだ言葉を交わすこともできた。最期の日も会いに行けた。1か月早かったらきっと二度も会いに行けなかった。伯父は待っててくれたんだろうか?
 でも、その日は突然来ることだってある。私は突然の別れが来ても、後悔のないよう大切な人たちに接することができているだろうか?
 このまとまりのない気持ちを久しぶりに書き残したいと思った。伯父との思い出や最期のやりとりを色褪せることなく、大切に持っておくために。

甘いものを食べなかった伯父は、入院してからGODIVAとハーゲンダッツのおいしさを知り、好んで食べた。(画像はGODIVA公式サイトより)

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