夢のような魔法の恋をした第9話
『恥ずかしさを越えれば、成長する(〇慰禁止令)』
池袋のジュンク堂のカフェに2人はいた。
約束通り、彼女は彼に自分の絵を見せるために
描きためている、デッサンのカルトン=画板を持ってきていた。
絵の時系列順では、
ラボルト・ヘルメス・ブルータス・マルス
だっただろうか?
彼女の絵は、描く度に上達していたはずだった。
マルスの講評時、
建築の先生から初めて注意がほぼなく、褒められた。
デッサンをラボルトから描き始めたときは、
「デッサンは、自分に似るんだよ」と言われたごとく、散々だった。
木炭を使いこなせず、描いて消して厚みや深みをだす
作業を次第に知っていった。マルスを描く頃には、マッス(量感、存在感、迫力など)を表現できるようになっていた。
後にその技術は美大に行って、活かされることはなかった。
だが、彼女にとってその経験は人生を豊穣にさせた。
2人にお茶が用意される。
彼女は確認したかった。
「本当に見るの?」
「うん!見たいよ!見せて!」
「えー。私のなんて。凄い、恥ずかしい。」
しばしの沈黙の後
彼は硬い笑顔で話し出した。
「恥ずかしいのはね。プライドが高いってことなんだよ。」
「お前にみせるほどのものではない。凄いものなんだって言っているようなことなんだ。カッコつけてるだけ。それは、≪最高にダサい≫。てヤツ。」
その言葉に彼女は、強い衝撃を受け、とまどった。
内心はこう、言い訳していた。
プライドなんて高くない。
人様にみせるほどのものではないだけ。
格好なんて、つけてない。
凄くなんかない!
でも、それを彼に言えなかった。
知らなかった真実を知った、ショックの方が上回った。
彼女は黙って、そのまま画板を持って、
1人カフェを後にした。
≪最高にダサい≫自分で、彼といたくなかった。
ダサい自分が、嫌だった。
ジュンク堂をでて10歩も歩かない内に
電話がかかってきた。彼からだ。
「ごめん!言い過ぎた。戻ってきてほしい。」
「私に、その資格はないよ。」
「違うんだ。俺が悪かった。ごめん。俺に、絵を見せてくれないかな?」
数秒の沈黙。。。
「私こそ、恥ずかしがってごめんなさい。素直になります。」
今度こそ、絵を見せた。
「Rちゃん、全然上手いじゃん!凄いよ!」
悩んで描き出した成果物に、かかる言葉は
≪最高にダサい≫
その時、褒められはしたが
彼女には、勿体なかった。
突然彼が提案してきた。
「俺ね、ジェームス・ギャドソンていうドラマーが好きなんだ。この、フライヤーの人。」
彼がカラーのLIVEチラシの黒人を指し示す。
「このフライヤーのジェームス・ギャドソンをこの手帳サイズの紙に描いてくれないかな?」
今までの、発言とは裏腹にこんな自分に描く依頼が入っている。
彼女の目がスケールになって、そのフライヤーを見つめた。
自信なさげに彼女はポツリと言った。
「私で良かったら、描きます。」
「よろしくね!楽しみにしてるよ!」
それから、毎日 彼女は
フライヤーのジェームス・ギャドソンをながめた。
暗めの照明で撮影されたその人を
慣れた木炭ではなく、鉛筆で表現するのは難しかった。
もう、描くことがない!というところまできた頃、
阿佐ヶ谷のセッションがあることを彼から聞いた。
彼女は、その日に完成品を持っていくことにした。
阿佐ヶ谷のセッションの日
夕方からはじまるバー。
駅からは細い道を延々と歩いた。
暗い階段を上がり、扉をあける。
いきなり、目の前に楽器がならんでいる。
カウンターから首を出したのは、
初めての新高円寺で会ったベーシストの男性、Mさんだ。
開口一番
準備をする彼にむかって、彼女に聞こえよがしに
「Aくん、〇ナニー禁止だって?」ニヤニヤしながら問いかける。
彼女はバーの世界の洗礼を受けた。
何を言っているのだろう?
どうして、前に彼にお願いした秘密を
(A〇は観ないでほしいという、幼い願い事。)
このおじさまはなぜ知っているのだろう?
それから、バーに入って挨拶をした彼女は、状況を把握した。
彼が、彼女の願いを ココでボヤいていたのだ。
さらに、口撃はつづく。
「いやー!犯罪でしょう!Aくん!!」どこからか声が聞こえる。
暗いのでよく見えない。
どうやら、彼女と彼の年の差のことを言っているようだ。
彼は苦笑いしている。
「そんなこといって、 羨ましいだけでしょー?!」
彼に、反撃をする余裕はあるみたいだ。
実際、他に恋人のいる人はいなかった。
セッションが始まる。
ドラムを彼が澄ました顔で叩き始める。
何故だろう、ベーシストのMさんも同じような表情をしている。ギター兼ブルースハープ兼ボーカルは男性。記憶を辿ると、たしかEさんだ。
これが、LIVEではなくsessionなのか!
彼女は興味深く聴いた。
毎週水曜日、彼らはこのお店にあしげく通う。
海老名から原チャリで来る、強者もいた。
後に彼がとあるバンドに所属したときのサックス担当のTさんにも出会った。
Tさんは、色が凄く白くて、ひょろ長く、物腰柔らかく、ひょうきんでとても優しい。彼女は一気に距離をつめた。
「Tにいちゃん!」と呼ぶようになるまでに。
後に、彼女はそのTさんが躁鬱病。今では双極性障害といわれる病で、
病院に通院していることを知った。
まさか、彼女もその病に侵されているとは知りもせずに。
セッションの後、彼は終電で帰宅する彼女を送りに
駅まで歩いた。彼女は、お店から出てすぐに
人気のないところで、例の頼まれた絵を彼に渡した。
「これが、今の私の全力です。」
自信はないが、彼は輝いた笑顔で喜んでくれた。
その後の彼のリュックサックのなかに、その絵はいつも入っていた。
お店に後ろ髪ひかれながらも、
大きな頼まれ事の達成感に
少しだけ自信をもった彼女は、終電で帰宅した。
次に逢うときは、海に行く約束をしていた。