自分が嫌で死にかけた高校二年生のゲイが、みなさんに伝えたいこと

2007年生まれ。
現在高校二年生。
性別:男。

普段は表に出さない、自分の中で常にうごめいている気持ちを、絵に表現しています。


、、、と、真面目に自己紹介文を書こうと思っていたけれど、ここからは、ラフな女口調(というかオカマ口調、、、?)で文章をを進行させて頂こうと思います。

普段の生活で、実際に人前で女口調になることは全く無いし、そもそもそうならないように気を付けすぎていて、自分の中でも男口調がデフォルトになってしまっているのだけれど。

アタシにとっては、女口調の方がより正直に、心の内をさらけ出すことが出来るのよ。

こんな馴れ馴れしい調子の文章を、不特定多数のみなさんに公開することが失礼にあたることは重々承知しております。

それでも、自分の心を正直にさらけ出すことが、この文章を書くにあたってなによりも優先すべき事項だと思いました。

という訳で、みなさんに向けてより正直な話が出来るように、嘘をつかなくてもいい様に、そうさせていただくわ。

まだ高2になりたての青二才が、何生意気な事を言ってやがるとでも受け取られそうだけれど、それでも、青二才なりに伝えたいことがあるのよ。

どうか、よろしくお願いしますね。

ここからアタシがどんな人間なのかをゆっくり語っていくのだけれど、結構生生しいというか、人によっては自分と重ねて辛くなってしまうような話が出てくることになるかもしれないわ。
そんなにキツイ表現をするつもりはないんだけれどね。
あとは、性的な言葉も少しだけ飛び出すかも、、、しれないわね。
もしもそれが嫌なら、この先を一切見ずにページを閉じることをおすすめします(それでも読んでほしいのはやまやまだけれど)。
先にお断りしておくわ。


あのね、正直なことを言うと、
「まっちゃん(現実でのあだ名)、今まで言ってなかったんだけど、実はあんたとあんたの親の間にゃあね、血縁なんかこれっぽっちも無いんだよ!ゼロだよゼロ!あっはっはっはっハ!」
とでも誰かが言ってくれれば、むしろ心の中がすっきり晴れやかになると思ってしまうことがあるのよ(実際には顔も体形もソックリすぎて、傍から見れば血縁を疑う余地なんて微塵もないんだけれどね)。

なぜアタシが、親に失礼だとわかっていながらも心の中でこう思ってしまうのかというと、「どうして、あんなにマジメで普通で素敵な男女から、こんな妖怪みたいな人間が生まれてしまったのだろう」という疑問を持っているからよ。

もうね、「生まれてきた」じゃなくて、「生まれてしまった」よ。

まあ、アタシにもいい所があるにはあるのだけれど。

アタシ、本当にめんどくさい人間なんですよ。アタシみたいな人間が近くで生活していたら、アタシでも距離を置きたくなってしまうレベルなんです。

その「アタシの面倒くさい所」で一番大きい部分を占めているのが、筋金入りの「我の強さ」。

自分のした行動の責任は、すべて自分で取れないと納得がいかない。

自分が理想とするテリトリーから自分がはみ出していると、とにかくそれを正そうとする。

自分が本気でしたいと思ったことは何がなんでもしようとするし、欲しいと思ったものはなにがなんでも手に入れる。

完璧主義みたいなところがあるのよ。

アタシのこの面倒くさい性格は、幼い時から確立されていたらしく。
母親から聞いた話で恐縮だけれど、アタシの母親って、必ず毎日絵本を読んでくれていたのね。
それで、ある日、好きな絵本を持ってきていいよって伝えたら、アタシったら、本棚の絵本ウン十冊をすべて持ってきて、母親は5時間かけてそれを読み切ったそうよ(その節は本当にありがとう)。

まあ、粘り強いとか忍耐強いとか、良さげな言い方も出来るとは思うのだけれど、それを自分のためにしか発揮しないところが問題なのよね。

要するに、すごく自分勝手でわがままなのよ。

そして、ここまで我が強い人間って、何らかの形で自己表現をしていないと、つまり、普段は抑制している「本来の自分」を解放するタイミングを設けておかないと、生きているのがすごく辛くなってくるのよ。

アタシの場合は絵がそれに当たるのだけれどね。

父親にも、「○○は下手したら人殺しをしちゃううらいには我が強いから、何かで自己表現をした方がいいし、続けるべきだよ」と言われたことがあるわ。

ここまで我が強いからこそ、アタシは、男なのに男が好きな自分が、本当に大嫌いだったの。

このことに気づいてから、一回たりとも、自分を許せたことが無かったのよ。


好きの反対は嫌いじゃなくて無関心、って、誰が言い始めたのか知らないけれど、本当にその通りだと思う。

だって、自分のことが大嫌いだったアタシは、自分を意識し過ぎて、大嫌いな自分の洪水に呑まれてしまいそうだったから。

無関心でいられたら、気にも留めずに生きていられたら、どれだけ楽だったのかしらね。

アタシが、自分ががゲイであることをはっきりと自覚したのは中学校に入ってから(そもそも、ゲイっていう単語を知ったのが中学に入ってからだったわ。男が男を好きという概念としてはそれより前に知っていたけどね。)だったけれど、今思い返してみれば、やっぱり生まれてからずっとゲイだったのよ、アタシ。

幼稚園に通っていた頃から、というか、下手したらそれより前から、絵本に描かれている男の人や、図鑑に写真を貼られた男の人を見るたびにドキリとして、なんだか落ち着かなくなって、親の目を盗んでそういうページを何分も見続けていたわ。

小学校に上がると、人と関わる機会がぐんと増えて、老若問わず男性を実際に見る機会もぐんと増えて、そういう気持ちを必死に隠してはいたけれど、隠しきれないときもあったわね。

はっきり覚えているわ。
小学二年生のプールの授業のとき、ある男の子がどうしても気になって、ドキドキしながらもその男の子から目を離せずにいられなくなっていたら、「○○オレの腹ガン見してんだけどwww」って周り数人に言いふらされて、笑いの種にされてしまったわ。
鈍感なあの子に指摘されるって、相当見入っていたのね、あのときのアタシ。
まあ多分その男の子は次の日にはそんなこと忘れてたと思うんだけど、穴があったら入りたいって、ああいうことを言うのね、きっと。

ほかにも、男の子のシャツがめくれていたら思わず目を横にして見入ってしまったりとか、トイレで小便器を使うときも隣を気にしてしまったりとか、、、

出来るだけ周りに気づかれないように注意してはいたんだけれど、それでも自分の気持ちが収まることはなくてね。

ここまで自分の意志と関係なく心が引っ張られてしまう経験は他には全くなくて、スタイルの良い男の子を見るだけで自分を律せなくなることに、当時のまっちゃんは相当困惑していたわ。

それにしても、自覚が無かっただけで、まっちゃんって頭の中が相当アレというか性的な小学生だったのね(なんとなくショックかも)、、、。

そうして中学校に上がるころには、ようやっと性行為とか、自慰の知識が一気につき始めて(これって頭が性的な割にひょっとしたら遅かったのかしらね)、ここに来て「性的欲求」という概念を初めて知ったわ。そこで、それまで男の子に感じていた感情が性的欲求そのもので、本能的な行動だからこそどうしようもないことに気づいたのよ。

そして、自分がゲイだと仮定すると、それまでの自分の考え方や行動のすべてに辻褄が合うことにも気づいたわ。

最初はおそるおそる疑心暗鬼だったのだけれど、考えれば考えるほど、性や思春期についての知識が増えれば増えるほど、自分ってやっぱりゲイっぽいっていうか、自分がゲイとしか思えなくなってきたというか、自分ってゲイそのものじゃん。生まれつきの、超天然物のゲイじゃねえかよ(気づくのおせえ)。

第一、老若問わず女性を欲したことが本当に一度もない。女性を見てドキッとしたり、おっぱいやお尻が良いと思ったこともない(むしろ少しだけグロテスクに感じて苦手まである)。ドラクエに登場する多種多様でやたら気合の入ったビキニ衣装の良さに共感したこともない。

母親のことは自分の中で一、二を争うほどに大好きだったけれど、今思い返しても、これはただ純粋に母親として崇めていただけだった。
母親を一般的な男性にとっての「女性」として、性的対象として認識したことなんて全く無かったわ。

普通の男の子には、成長するうちに母親が「女性」であることを意識する、せざるを得なくなるタイミングが必ずと言っていいほどどこかで訪れる。

アタシには、それすら無かった。

という訳で、遂にまっちゃんは自分がゲイであることをはっきりと自覚するに至ったわけでありますが。

けれど、これって当時のアタシにとってはあまりに大きな問題だったの。

何故なら、ゲイは基本的に子供を作れないから(すべてのゲイの方々がそうでないことははっきりと述べておくけれど、アタシはそもそも女体をグロテスクに感じてしまうから、女性と性交して、更に射精なんて絶対に出来ないのよ)。

アタシの父親は、人間は子育てをするのが当たり前だということを、アタシが小さいころから繰り返し話していたわ。

そもそも生物である以上、子孫を残すのが最も大きな目的なんだから子供を作らないなんて、ましてや結婚しないなんぞ論外とまで話していたのよ。母親も、全肯定はしないけれど同調していたわ(単純に、一度でも父親につっかかると面倒だからだとは思うけれどね)。

まあ、本人に悪気は一切ないのよ。というか、父親のは行き過ぎにしても、子供を作るのはいいこと、理想的なことだっていうのはごくごく一般的な認識だと思う。

第一、そのときは私も普通に父親に同調していたわ。子供がどうやって出来るかを、まだ知らなかったから。

話の脈略によって自然に出てきた本当にたわいのない言葉で、多分、父親本人はこれを言ったことすら全く記憶にないと思う。自分の口から何度も話しているにも関わらず。

だからこそ、やっぱりこれが父親の本音だと思うのよね。

それに、両親共々、孫の顔を見ることを本当に楽しみにしていた筈なのよ。

というか、アタシだって見たいレベルよ。

アタシの赤ちゃんの時の写真、本当にかわいいのよ。びっくりするくらい。

母親だって、すんげえむすっとしたバチバチの男子高校生だとか爺さん婆さんでさえ、アタシの乗ったベビーカーを押していれば思わず立ち止まって顔をほころばせていたって言ってくるのよ。

まあ多少は話盛ってるかもしれないけれど、アタシがもし子供を作ったとしたら、きっとすごくかわいい(両親にとってはもうこれ以上ないくらいの)赤ちゃんが生まれてくるのよね。

父親も母親も、アタシが女性と結婚して子供を設けること、つまり、普通の家庭を築いていくことを切に望んでいた筈でね。

けれど、自分がゲイだと気づいたアタシは、しばらくも経たないうちに、自分が親の望む人間にはなれないことにも気づいてしまったの。

アタシの両親を「子供にエゴを押し付ける奴ら」と言って非難したくなる人もいるかもしれないけれど、それは違うのよ。

親が、子供に普通の家庭を築いてほしい、つまり、大多数の、普通のレールに乗って生きてほしいと思うのは当たり前なの。

しかも、その気持ちは子供を大切に思ってれば思ってるほど強くなるのよね。

そもそも、少なくともアタシの両親は「普通のレールに乗って生きること」が普通に出来る人たちだから。

自分や身近な人が出来ることを、ほかの人たちもみんな出来るんだと勘違いしてしまうのはアタシにだってすごくよくあることなの。

そして、こんな生活を送っている両親は、性的少数者を含む、自分たちにとって「普通じゃない世界」の詳細はきっとほとんど知らないわ。

だからこそ余計に、そんな危険かどうかすらわからない環境に子供を放っておくことも出来ないのよね。

両親の気持ちが、そのころのアタシには手に取るようにわかったわ(いや、今も)。

だからこそ、両親の愛をひしひしと感じられたからこそ、アタシはますます自分のことを嫌いになっていったのよ。


急に関係ない話って思うだろうけど、ちょっと我慢してくださいね。

実はアタシ、小学生のころから、結構勉強は出来てたのよ。

まあ、一方の運動のほうは全然ダメで、小1から剣道をやっていた(なんとびっくり、一度も自力で勝てたことがないのです)けれど、結局小5のときにやめてしまって、それからは運動らしい運動は全くしていないわ。

それでも、勉強だけは紆余曲折ありつつもしっかりと続けていたの。

そもそもうちの両親は結構な教育熱心で、アタシが幼稚園に入る前から簡単な教材をやらせて、幼稚園に入ったら幼稚園児向けの通信教育を取ってくれていたわ。

小学校でも継続して通信教育を取ってくれていたのだけれど、学校の教科書に比べると相当にレベルの高い教材で、アタシだけではとても受け止められないことを知ってか、両親(特に母親)は、アタシのした勉強の内容を毎日確認して、全てに丸付けをして、アタシが分からない問題があれば何時間もつきっきりで一緒にやってくれたわ。
しかも、6年間ずっと。

それはそれはもう親子ともに猛烈に大変だったのだけれど(体力、精神、お金において)、お陰様で学校の勉強は余裕にこなすことが出来ていたのよ。

そうして中学校に入ったアタシだったのだけれど、相変わらず通信教育は継続していて、両親が毎日のように見てくれていたわ(もうレベルが高すぎるのよ、一人じゃ絶対に無理で、家族ぐるみで3時間かけても解けない数学のテストとかもあったの)

みなさんがご存じの通り、小学校の成績と違って中学校の成績はダイレクトに受験に響くので、うちの両親は通信教育だけで浮きすぎることなく、学校の勉強もちゃんとやって、地に足を付けた方がいいと言ってきたのよ。

でも、うちの両親は口先で言うだけではなくて、最初の定期テスト(2020年初頭で、新型コロナの影響で休校してすぐだったので、割と小規模ではあった)の時は、一緒にテスト範囲をすべて確認して、計画をきっちりと立てて、学校のワークだけでは不安だということで、ネット上で範囲の合うプリントを探して印刷してくれたりと、相当綿密にサポートしてくれた。

もちろんアタシ自身がすごく頑張ったのだけれど、両親のサポートの甲斐もあって、点数は500点中498点、席次はぶっちぎりの一位だったわ。

その時のアタシは物凄く驚いて、ちょっとにわかには信じられないといった感じだったわね。正直、嬉しさや快感の類はあまりなかったの(両親はまあすごく喜んでいたけれど)。

けれど、この最初の定期テストを通して、アタシはあることに気づいたわ。

今回のように猛烈に勉強で忙しくなれば、大嫌いな自分が頭の中に居る時間が減ることに。

このころのアタシは、自身がゲイであることをはっきりと認識したばかりで、親の望むようには生きていけないことにも気づいたばかりで、それを誰かに相談できる訳でもなく、抑えることもできず、そのことだけで頭が常に溢れかえって、本当に辛かったのよ。

もう、生きていたくないと、心の中で思い始めていたわね。

けれどそこに、中学校に入学し、通信教育と定期テストの二刀流で爆裂に忙しくなった勉強が襲ってきた。

こいつは、使用者が自身の手で上手く扱ってやる必要があるわ。扱いようによっては自身を向上させるけれど、扱い方を誤ったまま使い続ければ、やがて自身を蝕み始め、最終的に殺しにかかるの。

つまるところ、リスクの大きな諸刃の剣だ、ということよ。

けれど、自身がゲイであることに爆裂に苦しみ、それを吐き出せる場所もなく、毎日それが溜まるばかりで生きることがどんどん重たくのしかかっていた当時のアタシにとって、諸刃の剣はこれ以上なく光輝いて見えたの。

アタシは、その時自身の手元にかろうじて残っていた、生きながらえるためのただ一つの選択肢、逃避を選び取った。

いや、気づかぬままに自然と手に持っていた。

ゲイの自意識によって死にかけていたアタシには、まともな思考は既に出来なくなっていた。

それからのアタシは、ひたすらに逃げた。

息切れがしても、突き刺すような痛みが襲っても、血が噴き出しても、ずぶ濡れになっても、干からびかけても、吐いて吐いて、遂に吐き出すものがなくなってしまっても、一度も走りを止めなかった。

平日は最低5時間、休日は12時間は勉強していた。

定期テスト期間中は定期テスト対策をし過ぎてそれしか出来ないので、尋常じゃない量まで溜まった通信教育を半月で一か月分終わらせていた。

トイレにいる時も、風呂場にいる時も、家族で食卓を囲んでいる時も、ノートや教科書をひたすら暗唱していた。布団に入ってもろくに寝ず、2時間ほどは暗唱だけをひたすら続けていることもざらだった。

成績は、もうこれ以上ないくらいに伸び、完全に頭打ちした。

本当に、ただの一度も休まず、全力でゲイの自意識から逃げ続けた。

友人にも、親にも、先生にも、ほか超大量の人々から、なぜそこまで勉強をするのかを数えきれない回数質問されましたよ。

親にも、よ。

このころのアタシは、既に親の求めるレベルを大幅に超えていたのよ。

両親ともども、きっとさぞ困惑していたのでしょう。

勉強のみが眼中にあり、ゲイである自分の存在すら消していたアタシには、親がどんなふうに思っていたのかは想像することしか出来ないわ。

ただ、狂ったように勉強にかじりつくアタシを見て、むしろ休ませようとしてくれていたのは覚えている。

きっと、とにかく心配してくれていたんだろうね。

いつの間にか、勉強しろなんて全く言われなくなった。

けれど、力ずくで止めさせようとまではしなかった。

まあそりゃあ、これだけ成績伸びてるもの。もうすんげえ息子が褒められまくるんだもの。

止めないのが当たり前なのよね。きっと。

それか、ひょっとしたら、自分がこれを必要としているってことをなんとなく察してくれていたのかも。

そう、信じたいわ。
望みは、限りなく薄いけれど。

まあ、彼ら彼女らの考えついたアタシが勉強する理由は、その全てが外れていたわ。

とにかく一番になりたいんだろう?

褒められたいの?

ランク上げるためかね?

入りたい学校あるの?

注目されたいんだね?

気持ちいいからでしょ?

受験で楽する為?

親に強制されてんの?

言い方悪いけど、ひょっとして自分に酔ってる?

、、、うん。

違う。

違うよ。

ぜんっぜん、違うんだよ。

もうさ、そんな理由なら、どんなに幸せだったんだろう。


自分が嫌だからだよ。

ゲイの自分が、大嫌いだからだよ。

子供も作れない。

普通の社会生活を、送れない。

ばれたら、気持ち悪がられて、嘲笑されて、いじめられて、つまはじきにされるのが、目の前に見えてる。

もう、親とも、弟とも、じいちゃんばあちゃんとも、おばさんおじさんとも、いとことも、友達とも、先生とも、、、

大好きなみんなと、今までのようにはいられない。

そんな理由、正直に言えるわけ、ないじゃない。

それに、そこから逃げるために、それが霞んで見えなくなるように、こんなに速く走っているのに。


なんで、そんな馬鹿みたいな質問をするんだよ。


どうして、そこを掘り起こそうとするんだよ。


アタシの走りを、どうして邪魔するんだよ。


なんで、大嫌いな、醜いアタシを、アタシの視界に入れようとするんだよ。


あんたらには、何も理解できないんだ。


アタシのことなんか、なんにもわからないんだ。


あんたらなんか、みんな、死んでしまえ!!!!!





、、、、、なんて、言えるわけないじゃない。

こういう質問をされるたび、適当に同調して、作り笑いをして、足早にその場を去った。

そのあとは、涙が枯れるまで泣いた。

この速さで走り続けていれば、自分でも気づかぬうちに、涙は干からびた。

いつの間にか、流れるものも、流れなくなった。


という訳で、このころのアタシは、勉強に依存していたわ。

完全に”勉強中毒”よ。

もう、勉強がないとあまりに辛すぎて、生きていけない状態にまで達していたのよね。

みなさんには、どうか覚えておいてほしいわ。

人は、死にかけると、こんなに面倒くさい、怠い、絶対にやりたくない、依存性なんて全然無さそうなものにさえ、依存してしまうのです。

勉強なんて、まあ人によっては良い成績を取ったり、席次が上になったり、それで周囲から褒められたりで快感を感じたりするかもしれないけれど、それでも、酒タバコ薬物みたいな、誰でも知っているような超分かりやすい依存物質なんて全然含まれていないのよ。

それでも、依存せずにはいられない。

しかも、こんな屑みたいな依存でさえ、救いを感じてしまうんです。

もはや普通の快感の範疇には収まりません。「救い」です。

かろうじて息が残っている人間を、地獄の淵から乱雑に引っ張り上げ、その辺のフックに適当にぶら下げて放置する、歪な形をした「救い」です。

勉強に限らず、こういう状態に陥りかけている、あるいは陥っている人がもしもいたならば、その人は放っておけばそう時間の経たない内に死にます。
間違いなく、死にます。

適当にフックにぶら下げられて放置されたままでは、体はどんどん固く、もろくなり、やがて崩れます。
その時には、もう、本当の地獄にまっさかさまです。

どうせ死ぬなら、風化して崩れるのではなく、もっとまともな死に方をすべきだと、自分の手でそれを選ぶべきだと、今のアタシは思います。

そして、死に方を選ぶこととは、生き方を選ぶことなんです。


そして、もう一つ。同じ事じゃんって言われそうではあるけれど、念のために一緒に書いておきますね。

自分の限界をとうに超えてまで、頑張り続けてはいけないのです。

限界突破×サバイバーという名前の素晴らしい歌がありますが、フィクションで、みなさんの人生がよりよくなる方向に楽しみつくす程度に留めておきましょう。
現実世界の生身の人間が、本当の限界突破×サバイバーをしてはいけません。

もしもしてしまったら、体と心がズッタズタにぶっ壊れます。

そうなってしまえば、周囲のとんでもなくバカデカいサポートがない限り、確実に死にます。

しかも、今度はそのとんでもなくバカデカいサポートを行う周囲が、更に本当の限界突破×サバイバーをする可能性があります。

これが繰り返されれば、一度発生したら断ち切りが困難を極める、とんでもない地獄の連鎖が出来上がり、です。

こんな悲劇は、絶対に起こしてはなりません。

そのためには、そもそも連鎖の原因を生み出さないこと。

本当の限界突破×サバイバーが起こってしまわないよう、日々努めて生きることです。

アタシの例で伝わってくれていれば嬉しいのですが、本当の限界突破×サバイバーは、もうどうしようもなく追い詰められている時、そこでたまたま発生した何かがきっかけになり、本人の意思ではどうしようもなく起こってしまうのです。

だから、みなさんは、このような極限まで追いつめられた状態に陥らないためにも、どうか、悩みを一人で抱え込まないでください。

アタシのように、人に話しづらいとか、話したら生活がおかしくなってしまうんじゃないかとか、下手をしたらもう生きていけないんじゃないかとか、そんな悩みの場合もあるでしょう。

けれど、それを話して本当にそんな悪い状況に陥るかどうかなんて、実際に話してみないとわからないではありませんか。

あの時のアタシは、あまりにも愚かだったわ。
先ほどは、当時のアタシの感情をそのままお伝えするために、思い込みも含めてそのまま書かせて頂きました。
けれど、実際には、ゲイであることを周囲が完全に受け入れてくれないとは限らないし、立派な社会生活を送られているゲイの方も、幸せな生活をされているゲイの方も沢山おられます。

そんなことは、あの時のアタシも知っていた筈なんです。
それなのに、パニックになって、それに対処しようともせず、そのことが見えなくなったままで行動してしまいました。

だから、アタシのような状況に陥っても、どうかみなさんは冷静に、落ち着いて対処してくださることを願っています。

アタシの例に限らず、悩みを打ち明けられない原因の恐怖心をよくよく探ってみれば、その種は思い込みであることが大半なのです。

もちろん、悩みを打ち明けてみたら件の恐怖心は思い込みでなく事実で、結局死に向かってしまうこともあるでしょう。

しかし、悩みを打ち明けなかったとしても、やがて死に向かっていくのは変わりません。

それなら、ごくわずかな生きていける可能性に賭けるのも、決して悪くはないと思うのはアタシだけなんでしょうか。

みなさんの中に、今はなんとか一人で抱え込んでいるけれど、もういつ爆発してもおかしくないような悩みがあれば、勇気を振り絞って打ち明けてほしいのです。

もちろん、悩みを打ち明けられた周囲も、負担を抱えて生きていくことは避けられません。

しかし、本当に自分の限界を超えて体と心を壊してしまったとき、それとは比べ物にならないほど大きな負担を周囲が抱えることを忘れないでください。

自分の行動の責任が取れなくならないように、みなさんがよりよい生き方をしてくださることを望みます。

あの時のアタシは、アタシの行動に、責任が取れませんでした。

あれだけ好き勝手に、自分の為に自分を追い込んでおきながら、その責任を全く取れませんでした。

その責任を代わりに負うことになったのは、アタシの家族でした。

アタシは、大好きな家族の心に、どうしようもない傷を負わせてしまったのです。


中学三年生になって、いよいよ受験が目視できる位置に迫ってきた、春から夏への変わり目くらいの時期の出来事だったと思うわ。

このころのアタシは、もう睡眠も碌に取ってなくて、ただただ機械のように勉強を続けていたわ。

、、、いや、もう勉強ではなくなっていたわね。

完全な作業だったわ。
初めの頃は知識をしっかりとつけよう、将来役立てられるようにしよう、受験勉強に繋がることをしようなんてこともほんの少しは思っていたけれど、この頃には既に、逃避行のためだけの空虚な作業になり果てていたのよ。

そんな作業だけををギッチギチに詰めて続けていれば、そりゃあ人間だもの、おかしくなるに決まっているわよね。

そんな簡単なことにも気づけないくらい、当時のアタシは狂っていたわ。

ある日、なんだか体調が優れなくて(今思い返すと普段から相当調子が悪かったのだけれど、それがデフォルトになってしまっていたのよ。この日は特段悪くて、流石におかしいと気づけたわ)、午前の授業が終わる前に早退したの。

父親が有休を取ってくれたらしく、心配した様子で迎えに来てくれたわ。

「すごく頑張っていたから疲れが出たんだよ。ゆっくり休みなさい」という旨のことを言ってくれて、ご飯を一緒に食べた後、何時間かゆっくりと休もうとしたのよね。

けれど、何もしていない間は、やっぱりゲイの自意識がにじみ出てくる。

流石に休まないといけないと思って耐えていたんだけれど、やっぱりどんどん辛くなってしまって、大した休みも取らないまま勉強(という名の作業)をしたくなって、通信教育のテキストを開いたわ。

その日やる問題は珍しく簡単で、全て復習の範囲だったの。
だから、早く終わってしまったらどうしよう、なんてことを考えながら、問題を解こうとしたわ。

そうしたら。

すごく簡単な問題なのに。

10秒以内に解けてしまうような、一番最初の問題なのに。

解けなかった。

1時間経っても、2時間経っても、3時間経っても、解けなかった。

シャーペンを持った手が、金縛りみたいに固まって、びくともしなかった。

力を振り絞って動かそうとしても、小刻みに震えるだけで、線の一本も引けなかった。

なぜか、怖かった。

一つでも、どんな小さなミスでも、怖かった。

もし、一つでもミスをしたら、死んじゃうんじゃないのかとさえ思ってしまった。

急に悪寒が襲って、尋常じゃない量の冷や汗が噴き出した。

顔の全体が火照って、目頭が熱くなった。

泣いた。

とにかく泣いて、泣いて、泣き続けた。

あんなに干からびていたはずの涙が、急に押し寄せてきて。

どうしようもなくなったアタシには、ただ泣き続けることしか出来なかったのよ。

その後、なんとか父親のところに向かったのだけれど、父親は全くわけがわかっていない様子で、すごく動揺していたわ。動揺のし過ぎで、怒り声にすらなっていたの。

その後すぐ、暫く学校に行かず、家で療養することが決まったわ。

もうそのときのアタシ、ひどく困惑してしまってね。

父親と母親に何を言っても、「何もせずにゆっくりしていていいよ」としか言われない。

人生で初めての経験だったわ。

でも、勉強をしないと、すごくそわそわして、気が気でなくて。
何としてでも勉強しようとするアタシを、両親は強い言葉で叱って制止したわ。

遂に勉強を奪われてしまったアタシには、もう自分から逃げる術は残されていないかに思われたけれど。

アタシはそれでも、自分から逃げ続けたわ。

、、、いいえ、いつの間にか逃げ続けていた、のほうが今考えると正しいわね。

勉強を選び取った時にはあった、僅かな「逃げよう」という意思すら、この時のアタシには残っていなかったわ。

それに、この状態が「逃避」であることも当時はわかっていなかった。
だって、そもそも何も考えていなかったのだから。

そう、アタシがいつの間にか陥っていた最後の逃避方法とは、「何も考えないこと」っだったのよ。

今では物事をしっかりと考えられるし、当時のこともようやく自分の中で消化出来て、受け入れられるようになったから言えることなのだけれど、「何も考えない」ってきっと、人間が持つ最後の生存戦略、生きるための最終兵器なのよね。

もともと脳を酷使し過ぎていて、何も考えられないくらいに疲れ切っていたのだと思うのだけれど、それが結果的にアタシの命を救うことにつながった。

もう、こうでもしない限り、辛すぎて生きていけないのよ。

この時のアタシは、一日中ベッドの上で横になるだけで、他の事は何もできなかった。

何かに反応してしまうと、心の中が辛さだけで埋め尽くされてしまうから。

何かを考えようとしても、辛いことだけで頭の中が一杯になってしまって、他のことが全く考えられないから。

こんなに辛い状態が少しでも続いたら、もう確実に死んでしまうから。

だから、生きるために、何も考えないで、何もしないでいたのに。

アタシの周囲も、アタシの体も、ことごとくアタシを反応させた。

反応させて、頭のなかを辛さでいっぱいにした。

頭が辛さでいっぱいになると、もう泣くことしか出来ることがなくて。

家族の顔が視界に入るたび。

ご飯の時間が近くなって、その匂いを感じるたび。

何か、物音がするたび。

話しかけられるたび。

雲が空を覆って、少し部屋が薄暗くなるたび。

尿意や便意を感じたりするたび。

頭が少し痒くなったり、勝手におならが出た時でさえ。

泣いた。

とにかく泣いて、泣いて、泣いた。

脳をことごとく疲れさせて、麻痺させて、また何も考えない状態になれるまで、ひたすらに泣いた。

人間の脳は、周囲の物事に反応しないようには、出来ていないわ。

生きる為に脳を麻痺させて、何も考えないようにしていても、周囲に反応してしまうのよ。

だから、自殺未遂すら、出来なかったの。

ちょっと行動しようとするだけで泣きくずれてしまって、そもそも何か行動をできる訳がなかったわ。

この間、母親(当時はパートの看護師だったのよ)は職場に事情を説明して休みを取り、アタシにつきっきりで面倒を見てくれていたの。
時々学校に行って市のカウンセラーさんとお話したり、精神科のある総合病院に通いはじめたり、担任の先生(穏やかな雰囲気の方だったわ)も何度か家まで来てくれて、少しお話をして、プリントを置いていってくれていたわ。

両親ともども、アタシが体まで壊すことになってはいけないと、早朝の誰もいない公園にアタシを連れ出して一緒に散歩したり、買い物に行くときも、車から降りることはなかったけれど、太陽の光を浴びた方がいいということで連れ出されたのよ。

ほか、アタシが好きだった場所にも、平日の人気が少ない時間帯に連れていってくれたわ。

もう、その度に、泣いてしまってね。

両親は、何もしないで泣くだけのアタシを見てイライラしたり、たまに叱ったりしてきたけれど。

仕方がないのよね。それって。

両親もきっと、アタシのことを全く理解出来なかったのだと思うし、アタシのことを理解できず、うまく手助けしてやることも出来ない自身にも情けなさや怒りを感じていたのよ。

その「自分に対する怒り」がアタシに噴出してしまったのは、本当に仕方がなかったと思う。

だって、ほかに吐き出せる場所が無かったんだからね。

それでよかったのよ。

両親まで潰れてしまっては本当にどうしようもなかったし、一人残った弟も潰れてしまっていただろうからね。

あの時、アタシにキレてくれて、ありがとう。

弟に矛先を向けないでくれて、ありがとう。

アタシの両親、よく潰れずにやっていけてたと思うわ。


そういえば、アタシね、父親からしょっちゅう言われていた、印象に残っている言葉があって。

それは、「もう絶対に子供扱いしないからな。大人として振る舞え。」というセリフ。

何かやらかしてしまって怒られるたび、これを繰り返し言われ続けていたのよ(アタシ、勉強以外に関しては結構なポンコツだったの)。

今になって考えると、「いくらでも好きな事をしていいけれど、自分で責任を取りなさい」という感じの意味だったのでしょうね。

確かに、うちの父親は勉強以外のことをほとんど強制してこなかったし、アタシが欲しいと言ったものも出来る範囲で買い与えてくれていたのよ。

アタシ、勉強漬けになる前から父親のそのセリフは半分くらいしか信じていなくて、口先では大人として扱うと言っておきながら、実際にはまだまだ子供だと考えてるんだと思ってた。

こうして病気になってみて、それが正しかったことを確認したわ。

後の話にも繋がってくるのだけれど、やっぱりアタシ達、親子共に共依存していたのよね。

親は親の立場、子供は子供の立場に甘んじて、お互いにベッタベタに甘え切っていたの。

アタシはなんだかんだ言って「何かあっても親が助けてくれるからへーきへーき」とか、「親なんだから何でもしてくれる」とか、そういう考えを持っていたのよ。

親だってただの人間なのよ。神様じゃないの。

親の言うことが全て正しいとか、親の言うとおりにしていれば平気だとか、自分の尻ぬぐいまでしてくれるとか、親は特別すげえとか、そんなふうに親を神格化したり、崇めてはいけないわ。

第一、ものすごく失礼な話なのよ。これって。

親を、人間扱いしていないんだからね。

子供に甘え切っている親も同様よ。
子供をものすごく大切にしているように見えて、自分でもそう思い込んでおいて、じつは子供を人間扱いしていないというのはよくあることだと思う。

この経験を通して、親子それぞれ、しっかりと自立しなくてはならないということが分かったの。

もちろん、共依存の状態にならない親子はいないのよ。幼い子供は親に依存しなければ死んでしまうし、親だって子供に依存しなければ子育てなんてやってらんないわよね。

けれど、ある程度の年月が経過したら、自分たちが共依存の関係にあることを受け入れて、そこから脱却出来るように、お互いにお互いを人間として認めて、自立していかなければならないのよ。


こんなボロボロな状態にあったアタシだけれど、ゆっくりと、段々と気持ちが上向いてきて、最終的には再び学校に通えるようになったわ。

あんな死にかけの状態からどうしてそこまで回復できたのか、実は、自分でもあまりよく分かっていないのよ。

実は、そのころの記憶がなぜかすごく薄くて、自分の気持ちを中々はっきりとは思い出せないのよね。

でも、ゲイの自意識を少しずつ受け入れはじめて、不器用ながらも共存していけるようになったことは間違いないわ。

自身がゲイに対して持っていた見方の多くが思い込みであることに気づけたというのはもちろんあるんだけれど、それだけじゃないのよ。

二年以上の時間が経つにつれて、ゲイの自分を否定しても仕方がないと思えるようになったのよね。

先述の通り、アタシって完璧主義というか、自分のテリトリーから自分がはみ出すことをとにかく許せない人間なのよ。

だから、自身がゲイであることも到底許せなくて、そんな自分を否定し続けてきたの。

けれど、こうして一度心をぶっこわした結果、「自分を許し、受け入れること」の大切さを実感して、それまで許せなかった自分の様々なポイントを少しずつ、少しずつ受け入れられるようになっていったわ。

自分を許せなくなりそうな時も、そうならないように、自分のことを大切にするように自分に言い聞かせたわよ。

そのときはゲイであることを周囲に打ち明けるまではしなかったから、結局一人で抱え込んでいたままではあったのだけれど。

それでも、抱え込む量が大幅に減って、すごく生きるのが楽になったのよ。

先ほど、追いつめられ過ぎないために、悩みは周囲に打ち明けたほうがいいという話をしたけれど、もしもその悩みが自己否定からくるものならば、もし打ち明けられた場合の周囲の負担を減らす為にも、自分自身を受け入れる努力を怠ってはならないということを知ったわ。

まあとにかく、夏休みが明けて少ししたくらいには学校に毎日通えるようになって、午前中で早退することも無くなって、「完璧でなくてもいい」と思えるように自分を変えたことで、再び勉強が出来るようになったの。

まあ、勉強に裂く時間は大幅に減ったのだけれどね。通信教育も止めたし。

けれど、以前のような「逃避のための作業」ではなくて、本来の意味の「勉強」をするようになったことで、手ごたえや満足感といったものが出てくるようになって、自分をよりよく変えていけてる気がして、勉強が少しずつ楽しくなっていったわ。

確かに、小学一年生のころは勉強ってすごく楽しかったわね。
まだ知らないことを知れて、凄くワクワクして、毎日学校が楽しみだったわ。
あそこまでは行かなくとも、近い気持ちになれたのよね。

それに、以前に比べればしていないに等しいレベルに勉強時間が減っても、テストでは相変わらず高得点を取ることが出来ていたのよ。
自分でも驚いたのだけれど、まあ勉強漬けになりたての頃はまだちゃんと「勉強」していたから、ノウハウだけは残ってくれたのよね。

加えて、勉強時間が減ったおかげで好きなことをする時間が大幅に増えて、それまで一色だった生活が様々に彩られたわ。

という訳で、アタシの人生は大分マシなものに変わったのだけれど、正直、受験勉強をする気力がもう全く残っていなかったの。

親にも、また勉強のし過ぎで病気にならないかを心配する気持ちがあったのよね。

そもそもアタシ自身、今だからこそ自己分析をしてすらすらこの文章を書けているけれど、立ち直りたての時のアタシは、あの勉強が逃避行であったこともあまり理解していなかったし、この一連の流れと自身がゲイであることの間に因果関係があるなんて全く気付いていなかったのよ。

だから、アタシにも「またああなったらどうしよう」という恐怖心は少なからず残っていて、結局一般受験はせず、それまで上げに上げたランクを生かして、面接のみで推薦受験を突破したわ。

なんやかんや死にかけつつも無事に中学校を卒業し、4月から新しい環境に置かれることとなりましたとさ。

めでたしめでたし。

、、、となるにはまだちょっと早いのよね。


という訳で4月になったのだけれど、実は、入る学校が結構家から遠くて、寮生活をすることにしたのよね。

というか、寮生活をするためにこの学校にした節も少しだけあるような。

親と会話して、自分でもたくさん考えた結果、親子の間で距離を置いた方が、お互いの成長のためにいいのではないか、という話になって。

第一、アタシ、勉強しかしてこなかったのよ。
身の回りの世話なんて親がしてくれてたから、生活力は0。
洗濯乾燥の仕方すら知らなかったわ。

精神的うんぬん以前に、自力で生活をある程度回せるようにしなきゃ話にならない、とアタシは思って。

いずれにせよ、アタシみたいな人間は早く親から自立すべきだし、その裏で親もアタシから自立すべきという考えがあったので、その第一歩として、寮に入ることにしたのよ。

まあ、男女分かれてるから、男子寮よね。事務や清掃業者、給食業者の方々を除けば男子しかいないわよね。

そこで、何も起こらない筈もなく、、、

んなわけ、あるかい。

何も起こっていませんよ。アタシもそんなに大馬鹿じゃないです。

というか、いつの間にかゲイの自分を周囲に見せないようにカモフラージュするのがすごく上手くなっていたのよね。

みんなと普通に仲が良いし、アタシも普通の男子として振る舞っています。

疑われることも全くないです。

そもそも、実生活で勃つようなことって今のアタシにはほとんどないので、一緒にお風呂に入ってゲイだとばれることもまずありません。

第一、共同生活の場なのにそういう身勝手なテリトリーを持ち込むのはあまりにも周囲に対して失礼だし、そもそも持ち込んだとしてもアタシ自身不利益しか被りません。

なので、寮や学校では、というか普段は男子として、本当に普通の生活をしていますよ。

ただ、寮生活そのものはまあ凄く忙しかったし、メンタルにも結構響くものがあったわ。

やっぱり、運動部っぽいというかなんというか、先輩後輩の上下関係がすごくはっきりとしているのよね。

これまでそういう環境に置かれたことのなかったアタシは、身の振り方がわからずに相当疲弊していたわ。

特に一年生のうちは、日課や規則がかなりがっちりとしていて、出来ていないことがあるとまあすごく怒られるのよ。

あとは、単純に家族が近くに居ないので、最初の内はなんだかんだ言いつつも寂しかったわ。

という訳で、入寮して1か月で10キロも痩せてしまって。
まあもともと標準よりは太っていたし、忙しさとストレスによるものだとは思うんだけれど、今思うと結構ヤバいわよね。

その後も、やることが多すぎて昼食を取れなかったり、食欲がなくて夕食を食べたり食べなかったりと、体重が低い位置で増減していて。

一か月に1回は帰省していたのだけれど、親は相当心配していたわ。

とにかく、入寮、入学してからの数か月は、忙しすぎて自分を顧みる余裕もなく、本当にあっという間に過ぎていったのよ。

大変だったけれど、やることが決まっていたから実は気持ちは楽だったのかもしれない。

まあ、相当に消耗はしてしまったわね。

けれど、数か月が経って生活が落ち着き、身の振り方もなんとなくわかってきて、自分を顧みる余裕が生まれたわ。

そこで必ず第一に飛び出して思い悩んでしまうのが、やっぱりゲイの自意識だったのよ(というか、逆にこれ以外ほとんど思い悩んでいなかったわ)。

この悩みは、恋愛がしたいとか相手が欲しいとかっていう以前の問題で。

そもそも自分がゲイとして生きて行っても良いのか、こんな自分を受け入れてしまっても良いのかという、ずっと変わらない根本の悩みだったわ。

ゲイの自分をある程度受け入れたとはいえども、やっぱりここは変わらなかったのよ。

アタシは数か月間、忙しさを口実にこの問題から逃げ続けていた。

それでもやっぱり、自分の問題には、どこかで必ず向き合わなければならないんだと悟ったわ。

けれど、いざ向き合おうとすると、怖くて。

アタシ、こういうことに対する勇気が驚くほどないのよね。

やっぱり逃げ出そうかと思った。

けれど、それはしたくなくて。

したら、もう一生後悔しそうな気がして。

悪寒を感じながら、冷や汗が噴き出しながらも、じっくりと向き合うことにしたのよ。


けれど、こうして自分と向き合えば向き合うほど、やはりゲイである自分に嫌悪を感じたわ。

かなり思い詰めてしまうようなことも時々あって、その回数は次第に増えていったの。

やがて、また食事が喉を通らなくなり始めて、夜もうまく寝付けなくなって、勉強にも身が入らなくなっていったわ。

もういっそ、一生普通の男の皮をかぶって生きていこうかと思って、普通の男の感覚を学ぶために、夜な夜なkindleでいろんな本を読み漁っていたのよ(寮にはあまりものを置けないので、本はすべて電子に切り替えたの)。

そうして、晴れない気持ちをずっと抱えたまま、一年生の終盤に差し掛かったころ。

相も変わらず眠れない夜、kindleの画面を眺めていたら、ある一冊の本が目に留まったのよ。

ここでは書名は伏せておくけれど、その本の著者の人間性があまりにもアタシと一致していて、夢中で一気読みしてしまったの。
そして、著者の自己分析を通して、アタシも細かく自己分析をすることが出来たわ。

結果、分かったことは。

  • アタシには、周囲との感覚のずれがある(同性愛以外の部分でも、多少)。

  • 周囲が当たり前に言っていることが理解できないので、表面を取り繕いながらもいつも孤独を感じている。そして、それによって差別されることを恐れている。

  • 周囲と上手く会話が出来ない。してみても続かない。

  • アタシが精神的に自立出来ていないのは、両親を未だに「絶対に間違いを犯さない神」「2人の言うとおりにすれば絶対に幸せになれる」と心の底で考えているから。

  • 両親もただの人間だということを受け入れられない自分が悔しい。

  • アタシは、自分のことばかり考えている人間。とにかく我が強い。だから、自分が人間として扱われていないと感じてしまうと、その相手を殺したいとさえ思ってしまう。

  • 本当は、今のように卑屈でいたくない。徹底的に尖って、誰も寄せ付けたくない。

ということ。

そして、ここに来て初めて、あの勉強漬けの日々が逃避であったこと、自分がゲイの自意識からずっと逃げていたことに気づいたのよ。

そこの因果関係に気づいたことで、これまでの人生のすべてに辻褄が合ったの。

そして、これらのことは、あと何年か経てば確実に両親にもばれてしまう。

そうしたら、うちの両親は、アタシがゲイであることを察しながらも、それを隠すアタシに気を遣って生きることになってしまうかもしれない。

それなら、自分から正直に伝えてしまったほうが、お互いの為にもいい。

こうして、アタシは遂に、ゲイであることを両親にカミングアウトするに至ったわ。

自身がゲイであることに加えて、自分がどういう人間であるかということ、そして、これまで悩みの本当の原因を打ち明けず、迷惑をかけて来たことに対する謝罪を含めた手紙文を、父親のスマホ当てに送ったの。

でも、当時のアタシ、心が追いつめられていたせいか、相当父親の迷惑になる送り方をしてしまったのよ。

kindleで本を読み終わったのが午前三時くらいだったのだけれど、そこからダーッと手紙文をスマホで書いて、父親のスマホに送ったのが午前六時。

朝の六時よ。
アラームが鳴っていても、二度寝三度寝する時間帯よ。
そんな時間帯に、息子から人生大一番のバクダン投下されちゃったのよ、うちの父親。

もうちょっと頭を働かせろよ。当時のアタシ。

でも、まあ仕方がないと言えばそうなのよね。
その時も、時間帯的に送るのをためらう気持ちも当然あったのよ。
しかも、これからの親子関係的にもめちゃくちゃ大事な話なのに、こんな朝っぱらにささっと送るもんじゃない、もっとしっかりした局面で話すべきことだとも思ったわよ。
けれど、今送らなかったら、もう一生送れない気がしてしまって。
そうしたら一生、親子ともども後悔することになる気がしてしまって。
この時のアタシは、相当追いつめられていたのよ。
結局、送ってしまったわ。
嗚呼、アタシの馬鹿。

こんな時間帯なのに、文の冒頭に、決して急ぎじゃないから見なくてもいい、時間のある時でいいって入れておいたのに、五分も経たないうちに父親が返信をくれて。

「これまでずっと気づいてやれなくて申し訳ない、あんたはあんたのままでいてもいいし、うちらはあんたの味方だ」って旨のことが書いてあったわ。

謝るべきは、どう考えてもアタシの方よね。

その日の晩にもう一度父親からメッセージが来て、「あんたは嫌がるかもしれないけれど、母親にも手紙の内容を伝えて話し合った、弟についてはまだまだ知らなくてもいいことだし、兄貴のことが大好きだから言わないでおこう」という旨の内容で、アタシもそれに同意したわ。

アタシの弟、こんなアタシなのに、すごく優しくしてくれるのよ。
アタシも弟が大好きだし(性的なうんぬんを一切抜きにして)、このことを中学生の弟に伝えたら大きな負担になってしまうし、きっと思い悩んでしまうし、できれば自分のことを一番に考えて生活してほしいと思っているから、今でも弟には伝えていないわ。

家族間で弟だけに事実が伝えられていない今の状態が、本当に最善なのか。正直なところ、考えれば考えるほどわからない。

言い方は悪いけれど、弟一人をのけ者にしているようで申し訳ない気持ちもあるわ。

けれど、やっぱり今はまだ黙っていようと思う。

弟はこれからどんどん忙しくなっていくのだから、貴重な時間を自分のために使ってほしいのよ。
アタシみたいなやつのために時間を割いてしまうのは、あまりにも勿体ないし、こっちも申し訳なさすぎるわ。

ひょっとしたら弟も、言わないだけでなんとなくこのことは察してくれているのかもしれない。
気を遣って、言わないでいてくれているのかもしれない。

そう考えるとますます弟に申し訳なく感じて思い悩んでしまうけれど、今のアタシたちの選択は間違っていないと信じることにするわ。

そんなわけで、アタシがゲイであることを知っているのは、これを書いている今でも両親だけです。

他の人たちの前では、普通の男として振る舞い続けています。

けれど、以前のように、普通の男を演じていることにストレスを感じたり、ゲイであることに嫌悪感を抱くことはほとんどなくなりました。

これは、紛れもなく両親の支えのおかげです。

カミングアウトした週の金曜日、親から帰ってこないかと誘われてJRで帰省したの。

駅に父親が迎えに来てくれて、車に乗って父親とふたりきりになったとき、「正直、俺は2、3日考えこんでしまった。母さんは割とすんなり受け入れられたようだけど」と、少し申し訳なさそうな顔で話されたわ。

その時のアタシは素直に感謝の言葉を述べたけれど、正直、母親がそんなにすんなりとこのことを受け入れられているとは思えなかったの。

母親とは特にこのことに関する話はせずに、家族で楽しい週末を過ごして、寮に戻る日曜日になったわ。

母親とふたりで車に乗って、普通に楽しく喋りながら(母親とアタシは好きなものがよく似ているのよ)、高速に乗って寮に向かったのだけれど。

人気のない寮の駐車場について、どうもありがとうと言って車を降りようとした瞬間、右腕をつかまれて引き留められたわ。

アタシがびっくりして右側を見ると、母親が泣いていたの。

アタシはそれまで、泣いている母親を見たことがほとんどなかったの。
しかも、その記憶も相当な昔のもので、母親が泣いているところは初めて見たに等しかったのよ。

驚いて言葉が出なくなってしまったアタシに向かって母親は、

「今まで、ごめんね。
大丈夫だからね。
○○は、○○だからね。
○○がひけめを感じる必要なんて絶対にないし、そのままでいていいんだからね。
でも、孤独にだけはなってしまわないようにね。」

と、泣きながら言っていたわ。

アタシも、感情が高ぶってしまって、母親に何度も感謝を伝えて、母親の左腕をしっかりと握り返してから車を降りたの。

これより後、アタシと両親の間で、アタシがゲイであることに関して話をしたことは実は一度もないし、カミングアウトの前と後で親子間の付き合い方が変わったかと言えば、全く変わっていないのよ。

アタシはこのことに対して、両親にものすごく感謝をしています。

両親も、アタシがゲイであることをきちんと受け入れられているかといえば、未だにそんなことはないと思うのよ。

アタシの手前では普通に接してくれていても、その裏ではゲイを気持ち悪く感じるとか、理解できないとか、近くにいたくないとか、そんなことを思っているのかどうかはアタシにはわからないけれど、思っていたのだとしたら、それがなくなることって一生無いと思うのよ。

両親はそれでも、アタシに対して表面を何も変えることなく接し続けてくれているの。

これは、両親が、本当にアタシの為になることは何かをよく考えた結果、結論付けた行動なのだと感じています。

散々偉そうなことを書いておきながら、アタシ、結局、両親から全然自立出来ていないのね。

けれど、両親に対する感謝を忘れたことはないし、アタシも、自分に胸を張って生きることが出来るように努力し続けています。

この文章を両親が偶然に見つけてくれるのかどうかはわからないけれど、今のアタシがあるのは、あなたがたのおかげです。

本当に、ありがとう。

これからも時々、笑って会うことが出来るように、楽しい話が出来るように、お互い、一生懸命に生きてまいりましょう。


あとがき

ここまで読んでくれたみなさん、私の独りよがりにお付き合い頂いて、本当にありがとうございました。

ここからは、いつもの調子に戻して書かせて頂きます(最も大事な部分はもう既に書き切れたので)。

ゲイの方々が自身の経験を綴った文章は数多くありますが、高校生のゲイでそれをやっている方って意外と少ないんじゃないかと思い、だったらちょっとやってみようかなあと、割となんとなく思い立ちました。

実は、こんなオカマ口調で文を書くこと自体、これが初めてだったんです。

最初は今のような普通の口調で書き進めていたのですが、そうすると、細かい部分の言い回しがどんどん気になりだしてしまいまして、、、

何度も修正していく内に、一番大事な「伝えたいこと」がないがしろになっていることに気づき、思案。

ゲイなんだし、いっそのこと、、、と、オカマ口調を思いついた次第であります。

そうしたら、自分でもびっくりするくらいにすらすらと書き進めることが出来て(汗)、、、。

気づいていなかっただけで、私のデフォルトってオカマ口調だったのでしょうか。

まあ、当初の目的通り、自分に嘘をつかずに書き切れたので満足です。

ただ、心をぶっこわしていた頃の記憶がけっこうぐしゃぐしゃなので、そのへんの内容が事実とは少しずれているかもしれませんが、そこはご勘弁を。

そうして書き進めるうちに、20000文字に到達。

こんなに長い文章を書いたのは、正直に言ってこれが初めてです。

まあ、確かにこれまでの人生を結構しっかりと説明しているので、ひょっとしたら長くなるかもしれないとは思っていたけれど、行っても4000字だと思っていました。

実は私、ゲイであることは既に両親に伝えているのですが、中学時代の勉強し過ぎの原因もそれ、とまでは伝えていないんですよね。

なので、両親は今でも、私が勉強をしていた理由を「一番になりたかったから」とか、「認められたかったから」みたいに考えているのかもしれませんが。

正直、それでいいかな、と。

私の「中学時代の勉強のし過ぎとゲイの自意識の間には因果関係がある!!!」という結論も、ひょっとした私の単なる思い込みの可能性もあるかもしれません。
今のところ、これが自分で最も合点のいく結論なのでそう書きましたが。

そもそも、人生における様々な出来事に、理由なんてないのかもしれません。

そこに、人間が自身にとって都合のいい理由を後付けしているだけなのかもしれませんが、それはそれでいいよなあ、とも思います。

多分私もこれから、その時その時の生き方に応じて、自分にとって都合のいい理由をとっかえひっかえ後付けし続けていくんだと思うんです。

なので、両親の考える理由が私のそれとは違っていたとしても、わざわざ否定したり、自分の都合のいいように改変するつもりは無いです。

あとは、私の両親なら、お金、、、って考えている部分もあるかも。

実は、当時の我が家のお小遣いはテストの点数制でして、満点を取ればとるほど、席次が上に行けば行くほどもらえる金額が増えていくという、超努力主義システムだったのです(0点でも最低限の分はもらえましたが)。

父親が、「学生にとっては勉強が仕事なんだから、仕事なのに給料を与えないでやれとだけ言うのは無責任だわ」と考えていたので。

でも、正直なことを言うと、当時の私はお金なんて大して欲しくはありませんでした。

ゲイの自意識から逃げるので脳がいっぱい過ぎて、そこまで考えが回っていなかったので。

結構な金額をもらえて嬉しい気持ちもありはしましたけれど、それよりも自分から逃げるストレスの方がよっぽど大きかったです。

でも、今ではお金のことをすごく気にしています。
もう最高だよ、お金。お金がほぼ全てだよ。
マネー・イズ・ジャスティス。

なんだか汚れちゃったなあ、と思いつつも、以前のアレに比べたら余程健全だよなあとも思ったり。

少なくとも、あんなにあった自己否定も今は一か月に一回も無くなりましたし、自分のことも好きまではいかずとも、嫌いではなくなりました。

、、、うん。

やっぱり、今の方が健全です。

食欲も回復したし(抑制しないと体重的にはあかんくなりそうだけど)、寝ようと思ったらいくらでも寝られるし、運動も意外と頑張れるし、勉強もめんどくさいけどやれば楽しいし。

ついこの間も、小学生の時からの友達と二人でカラオケに行って、チルノのパーフェクトさんすう教室を一時間ぶっ続けで一緒に歌うとかいうアホなことをして。

ようやく高校生らしい、年齢相応の生活が出来るようになったというか、なんというか。

生きてるっていいなあって、本当にたまにだけれど、思えるようになりました。

多分これからも、どん底に落ち込むことって、沢山あると思うんだよ。

けれど、きっと大丈夫。

そうなったら、また時間をかけて、ゆっくりと、這い上がっていけばいい。

急ぐ必要なんて、どこにもない。

無責任ながらも、自分に対して胸を張ってこう言えるくらいには、私は成長することが出来ました。

近道でも、遠回りでも、人生は、少しずつよくなっていく。

そうやって思い込んでおくのも、意外と悪くないのかもしれません。

知らんけど。


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