「患者力」を高める秘訣は?『一流患者と三流患者 医者から最高の医療を引き出す心得』
前回、『患者の話は医師にどう聞こえるのか』を読んで、患者と医師とのコミュニケーションの重要性――ただ「傾聴」することが、通常の治療以上の効果を発揮することもある――を、あらためて認識した。
けれども、コミュニケーションというものは、どういう相手においても、勝手に成り立つものではない。
グループ魂の曲で「モテる努力をしないでモテたい」というキラーフレーズがあるが、それができたら歌にしないのだから、やはりモテるためには努力が必要なのだろう。自分の気持ちを上手に伝え、相手の心をつかむためには、不断の努力が欠かせないのだ。
では、患者としてのコミュニケーション能力をあげるためには、いったいどうしたらいいのか?
その具体的な方法が、『一流患者と三流患者 医者から最高の医療を引き出す心得』(上野直人著)にまとめられている。
でも、医師が書いた患者の心得なんて、上から目線で患者にああしろこうしろと説教している本じゃないの?
…………なんて思われる方もいるかもしれない。
だがこの本は、がん専門医である作者自身が、5年生存率50%の希少がんに罹ったところからはじまる。
ふだん患者に冷静であるように伝えているにもかかわらず、自分ががんになるとどうしても焦ってしまうと、作者は正直に記している。
自分が患者になってはじめて、患者さんの気持ちが心の底からわかったのです。
「頭ではわかっていても、いざ患者になるとなかなかできないんだよ……」ということが
自らが病気になってはじめて、作者は「後悔しない患者の心得」をとことんまで考えるようになり、患者を一流、二流、三流に分けて、あるべき患者の姿を説明する。
といっても、自分こそが一流だ!と言っているわけではない。
もちろん、個室に入院するお金持ちが一流というわけでもない。
作者の言う一流患者とは、医者の提案を受けとめたうえで、自分なりの解答を導き出し、自分で治療を選択する患者である。
こう書くと当たり前のように思えるが、「治療を選択する」のは簡単なことではない。
巷には病気に関する情報があふれている。一切の治療を否定するようなトンデモ本も多く並んでいるし、奇跡のような話があるかと思えば、めったにない副作用に見舞われた体験談を読んでしまうこともある。
「治療を選択する」ためには、そういう情報を取捨選択し、なおかつ自分の人生においての優先順位を見極める必要がある。
しかも通常の精神状態ではなく、突然襲われた病気の不安と向き合いながら、冷静に判断しないといけない。これほど難しいことがあるだろうか?
現実では、「先生におまかせします」と、完全に医師に従う患者がいちばん多いのかもしれない。
医師の言うことをちゃんと聞くのはいい患者なのでは?
と思うが、ひと昔前ならともかく、医療技術が発達して、いろいろな治療法の選択肢がある現代においてはそのスタンスは通用しないと、作者は指摘する。これが二流患者だ。
では、どういう患者が三流なのか?
三流患者とはモンスター患者、つまり「病院や医者に文句ばかり言う患者」である。
「なんとかしろ」だけ声高に主張する、医者の前では「わかった」と言うのに、診察室を出たとたん横柄になって看護師に文句を言う、医者や病院を悪者と決めてかかっている、等々。
さらに、職場で優秀なエンジニアが患者としては「残念」な場合が多い、と書いているくだりは、まちがいなく特定の患者を頭に浮かべているのでは? と思えてならなかったが……私も書かれないよう気をつけねば。
さらにこの本では、一流患者になる具体的な方法も示しているので、現在通院している人はもちろん、いまのところ病気とは無縁だと思っている人も(かつての私のように)、この先何があるかわからないので、読んでおいて損はないだろう。
私自身ももう少し早く読んでおけばよかったとも思ったが、いまも絶賛ホルモン治療中なので、エビデンスレベルについての解説、薬をきちんと知っておくこと(商品名と一般名)や、副作用についてチェックすべきことなど、参考になった。
ところで、作者の上野先生はTwitterもされているので、見てみると、気になる投稿があった。
身体所見については、『患者の話は医師にどう聞こえるのか』でも、何より雄弁なコミュニケーションツールとして書かれていた。
まさにこの投稿どおり、身体所見をうっかり忘れた作者が患者に責められるエピソードもあった。
ものすごく大雑把な印象だが、アメリカの医療はデータ重視のように思っていたので、日本よりも身体を診ることを大切にしているらしいくだりが少し意外だった。
ただ、日本とアメリカでは、身体に触れることについての感覚がちがうのではないかとも思う。
アメリカでは日常の挨拶として握手やハグが行われるようだが(アメリカに住んだことがないので、これまた大雑把な印象だが)、日本では触れることへの忌避感があるような気がする。
私も身体を触られたくないというのが、病院に行きたくない理由のひとつだった。さすがにもう慣れてきたが、それでも先生が変わっていきなり知らん人が来たら困る。
けれどもやはり、患者に触れること、その手を握り、その身体を抱きしめることは恵みであり、患者と医療者双方にとってかけがいのないものなのだろう――
と、ずっと昔に読んだレベッカ・ブラウン『体の贈り物』(柴田元幸訳)を思い出した。
翻訳本を読み続けるきっかけになった一冊とも言えるこの本についても、また書いてみたい……と、なんだか数珠つなぎ状態になってきましたが。
(↓先に書いたことと矛盾しますが、努力しなくてもモテる人もいれば、いくら努力してもモテない人もいるような気もしますね……)
この記事が参加している募集
↓↓↓サポートしていただけたら、治療費にあてたいと思います。(もちろん強制ではありません!)