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卒業論文『写真のこれまでとこれから』を公開します #卒論公開チャレンジ

 本論文は、梶礼哉の大学4年間(というか後半2年間)の研究の成果です。面白がって読んでいただいて、かつ多分読む人が読んだらいろんなツッコミどころがあると思うので、どうかnoteに住まう皆さんの知恵をオラに分けてください。写真のことに留まらず、カメラや動画のことも書いています。それではどうぞ〜

目次

はじめに
1:写真の技術の発達
2:ロラン・バルトらにみる写真の本質
3:フィルムの永続性と信頼性
4:動画はどのように写真をリプレイスするか
5:写真のこれから
おわりに

はじめに

 私たちにとって、写真とはどんなものだろう。写るのが苦手、iPhoneで毎日写真を撮っている、張り切ってカメラを買ってみたけど使わなくなってしまった、とにかく写真が好き、昔親がよく撮ってくれていた、などなど。人によって色々な立ち位置があるものだと思う。そんな中でも、私は「写真家」を名乗って活動している。写真、また映像全般の仕事を取り扱うため、2018年の8月に法人(合同会社)を作った。ある時は仕事として人間や建物の内観、イベントの記録などの撮影をし、ある時はアートになりうる写真を撮るために街を歩き回ったり、モデルと話し合いながらポートレートを撮影したりしている。「写真とは一体なんなのか? これから先も写真は存在しうるのか? いい写真とそうでない写真の違いとはなんなのか?」といった疑問に、私はつねに付きまとわれてきた。
 そのような問いに対する答えを求めているうち、多くの先人たちがそれぞれの写真に対する考え方、いわゆる写真論を、本にして残していることを知った。また、現代の商業カメラマンや写真作家に対する評論も、数多く存在することに気づいた。本研究では、写真の起源から遡り、現在の状況も整理することで、写真というメディア/アートが今後どのような道を辿っていくのかについて考察する。「1:写真の技術の発達」では、写真を撮影するための機械であるカメラの起源から今日にいたるまでの技術革新について解説する。「2:ロラン・バルトらにみる写真の本質」では、写真というものが持つ意味、オリジナルの価値について考察した論者たちの言葉を紐解きつつ、写真を観る側に必要な視点について考察する。「3:フィルムの永続性と信頼性」では、前の二節で吟味した写真技術と写真の本質について、現代において凋落気味のフィルムが担う役割について論じる。「4:動画はどのように写真をリプレイスするか」では、動画というメディアの持つ可能性と、写真がこれまでに担っていた役割を動画がどう引き継いでいくのかについて考察する。最後に、「5:写真のこれから」では、絵画など他のメディアから類推する写真の未来、そして第3節で見た写真の本質についての考察を深めていき、写真そのものの価値について論じる。
自分自身の経験則だけでなく、数多くの参考資料に基づいて「写真」という極めて視覚的なものを言語化することは、もちろん私自身にとって、そして写真となんらかの関わりを持って生きる我々すべての人間にとって、有益なものになると信じている。

1:写真の技術の発達
 本項では、写真を撮影する機材であるカメラがどのような起源を持ち、どのように発展したかを明らかにすることを通して写真が時代によって果たしてきた役割について解説する。

1-a:ダゲレオタイプからフィルムまで
 小さな針穴を通して像を映すことができるピンホールカメラは、紀元前から存在した。しかし当時は映された像を人間が絵でコピーするという手法でいわば「撮影」していたのであり、そこに現在でいうような撮影機能はなかった。感光材を使った撮影が始まった歴史については、キヤノンサイエンスラボに詳しい記述がある。これによると、感光材料によって撮影が実現したのは19世紀に入ってからのことで、1826年にフランスのニエプス兄弟がアスファルトを感光材料として、8時間かけて1枚の写真を撮影した。この時撮影された実験室の窓からの風景、いわゆる「ニエプスの窓」は世界的に有名な写真である。その後、1839年にフランスのルイ・ダゲールが銀メッキした銅板を感光材料として使う「ダゲレオタイプ」という技術を発表。露出時間が30分程度に短縮されたが、このダゲレオタイプは現在のフィルムに相当する銀板にそのまま写真になっていたため、焼き増しができなかった。1841年に、イギリスのウィリアム・タルボットがこの点を改良した「ネガポジ法」を開発し、現在のフィルム写真にも用いられている。その後、19世紀後半には感光材料の改良が進んだ。この時代の感光材料はサイズが大きく、取り扱いや持ち歩きが不便だったからだ。1888年に現在のフィルム写真につながる「柔らかいために巻き取って扱える」フィルムが、アメリカのイーストマン・コダック社から発売された。1935年にはカラーフィルム、20世紀半ばにはインスタント・フィルムも登場し、写真技術はさらに発達した。

19世紀後半、感光材料の改良があいつぎます。この時代の感光材料は光を感じる物質をガラス板にぬったもので、サイズも大きく、取りあつかいや持ち歩きがたいへん不便だったためです。そして1888年、現在の写真フィルムにつながる「柔らかいために巻き取ってあつかえる」フィルムが、アメリカのイーストマン・コダック社から発売されます。その後の1935年にはカラーフィルムが、さらに20世紀の半ばには、撮影(さつえい)した直後にプリントが見られるインスタント・フィルムも登場して、写真技術の発達はさらに加速していきました。(注1)

 ここでわかるのは、写真技術が最初は非常に時間のかかる難しいものであったということ、そして写真技術が一般に普及したのは1888年以降であったということだ。写真は、まだ130年しか経っていない、新しいメディアであり、芸術なのだ。絵画や彫刻、舞台などと比べると、その新しさ、歴史の浅さは明白である。

1-b:写真の大衆化とアート化―森山大道、ソール・ライター、ウィリアム・クラインらの写真を例に
 写真の急激な一般化に、フィルム製造販売の雄イーストマン・コダックと同じくらい大きな貢献をした会社がある。それが、ドイツのエルンスト・ライツ社である。同社は「ライカ」ブランドで知られるカメラを次々に世に送り出しているが、その源流は1925年に初の大量生産35mmカメラとして発売されたライカA型である。その後、日本でもキヤノン社や日本光学(のちのNikon)がライカを参考にフィルムカメラを開発するなど、世界的に写真が市民のものになっていった。そこからフォトジャーナリズムというジャンルができ、『マグナム・フォト』や『ライフ』といったグラフ誌が写真家の主戦場となっていった。木村伊兵衛や名取洋之助といった写真家たちが、海を渡り海外の写真を撮るようになったのは、1950年代になってからである。彼らもまた、その当時に出たライカM3などをぶら下げて撮影に出ていた。1950年代といえば、日本でも展示が開かれ人気を得たアメリカの写真家のソール・ライターが、ニューヨークをカラーフィルムで撮り歩きはじめたころでもある。写真がグラフ誌等でメディアとしての力を強める傍ら、写真術が容易になったことでそれをアートとして捉える向きも出てきた。20世紀の前半に、写真と人々の距離は大きく変わったのである。
「写真家」という職業が生まれ、写真がアートとして認知され始めたのもこのあたりからである(アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集『決定的瞬間』は写真の地位を上げるのに一役買った)。また、写真家たちも、写真が明瞭に写らない「アレ・ブレ・ボケ」といった要素を、作品性の一部として取り入れるようになった。この「アレ・ブレ・ボケ」でニューヨークの都市を切り取ったのが、写真家のウィリアム・クラインである。彼について書かれた論文『ウィリアム・クライン試論―写真はいかにして写真となりうるのか?』で、桝矢桂一は、世界で初めて撮影されたとされる写真「ニエプスの窓」を引き合いに出している。その写真の表れている「アレ・ブレ・ボケ」は、先述した通り露光時間が8時間に及んでいることなど、技術的制約に起因するものであり、意図的なものではなかった。ニエプスの対象を明確に写したいという意図からはかけ離れたことなのだ。結果として写真が見づらくなっているが、あくまでも風景をあるがままに写そうとしのであった。そうした前提を踏まえた上で、こう書いている。

ニエプスの場合、写真は「反写真性」以前のものであり、それどころかこれこそがまさに「写真性」の萌芽に他ならない。彼が、像を定着させたことによって、その写真は写真として成立したのであり、その見づらさは、鑑賞者の前に積極的に置かれたのでなく、仕方なくそこに入り込んだに過ぎない。それに対して、クラインの作品では、「荒れ・ブレ・ 暈け」のあり様は決定的に異なっている。クラインは、被写体を覆い隠そうとする否定性としてではなく、むしろ、積極的な一つの表現手段として「反写真性」を開示するのだと言える。この意味において、クラインにおける「荒れ・ブレ・暈け」は「反写真性」と強く結びつく。(注2)

 桝矢が述べるとおり、ウィリアム・クラインは、「荒れ・ブレ・暈け」を、写真のメッセージを伝える手段として効果的に使っている。もともとは避けられるべきものとしてやっかまれていた要素が、時が経つにつれて芸術的手法の一つになっていったのである。
ウィリアム・クラインと同様に、「荒れ・ブレ・暈け」を取り入れることを惜しまずに強烈なインパクトのある作品を撮影し、世界へ名前を売った日本の写真家・森山大道も、自身の著書『通過者の視線』でニエプスの写真に触れている。

かつて、186年前、ニエプスが窓辺に固定した暗箱(カメラ・オブスクラ)の向こうには、窓枠越しの右手に鳥小屋が、中程の下方には鳥小屋の屋根が、左手にはパン焼き窯の軒下が、そしてその背景に、西洋梨の若木を植えた果樹園が広がっていた。その風景を写し撮ることに成功したニエプスはその一枚をヘリオグラフィ(太陽の描く絵)と名付け、《実験室からの眺め》とタイトルした。写された画像に、それらさまざまな事物が明確に転写されていたわけでは決してなく、それどころか、不確かな事物の輪郭が、荒々しい光りと影のマッスとなり、強いコントラストのままに滲んでいる。しかし、そのイメージの持つ名状しがたさは、その不確かさゆえに、かえって見る僕の想像力を呼び覚まし、さまざまな示唆を与えてくれる。(注3)(58)

森山が彼自身の作品に「荒れ・ブレ・暈け」を取り入れるのは、ニエプスの写真が森山自身に対してそうしたように、鑑賞者の想像力を呼び起そうという試みなのかもしれない。しかし、桝矢が指摘しているとおり、ニエプスの写真では技術的な不完全さゆえに「荒れ・ブレ・暈け」が生じている。ある程度写真の質自体が向上したからこそ、ウィリアム・クラインや森山大道らはそれらを芸術的要素の一つとして規定できたのである。これは、写真が事実を伝えるためのメディアであるという意識からは遠いところ、対岸に位置する考え方である。よって、写真をアートとして捉える/捉えられる文化は、この周辺の時代から本格的に加速してきていると考えられる。

1-c:フィルムからデジタルへ―超大衆化する写真
 先日、大手家電量販店で「フィルムはどこにありますか」と店員さんに尋ねると、「デジタルカメラのフィルムですか?」という意味の通らない答えが返ってきた。デジタルカメラはSDカードなどのフラッシュメモリに写真(=画像)を記録するが、フィルムカメラはフィルムに記録し、その後現像処理を経て写真を得る。私とそう年の変わらなさそうな若い店員さんは、きっとそのことをほぼ知らずに育ったのだろう。
 事実、フィルムの時代は終焉に向かっている。2012年、かつて写真フィルムで世界中を席巻したイーストマン・コダック社が倒産した。日本でも、2017年に富士フィルムが一部のフィルムの生産中止を発表した(図1)。これが何を表しているかというと、写真を撮るための道具は、もうフィルムではなく、カメラでもなく、スマートフォンに移り変わってきているということだ。フィルムからデジタルへの移行は、写真のあり方を大きく変えた。人々は写真を印刷してアルバムに貼ることをしなくなったし、日常の記録はスマホのカメラで行うようになった。写真館のカメラもデジタルになったし、写真のやり取りはオンライン上でデータにより行われるようになった。写真のあり方、利用の仕方が変わったのだ。
 しかし、かと言って、フィルム写真や写真を印刷する行為のすべてが無意味で需要がゼロかというと、そんなこともない。というのも、写真が本質的なところに回帰し、メディアとしての役割については、動画など新しくてリッチなコンテンツに、徐々にその活躍の場を譲っていくからである。これについては詳しく後述する。

▲図1:写真フィルム一部製品の販売終了をアナウンスする富士フィルム公式サイト(注4)

2:ロラン・バルトらにみる写真の本質
 本項では、「写真」というものが内包するその本質的な意味や価値について、ロラン・バルトやスーザン・ソンタグら著名な思想家の言葉を参考に紐解いていく。

2-a:写真の本質「それはかつてあった」
 写真の「本質」を知る上で、写真論を参照することは意味がある。なぜなら、写真論とは「写真とは何か」について考え抜くものだからだ。時代を代表する思想家たちが、写真論について名著を残している。その中でも、ロラン・バルトの『明るい部屋』はあまりに有名である。本書は前半と後半の二章に分かれている。第一章では、バルトがナポレオンの末弟ジェロームの写真を見たときの感動をきっかけに、「写真」そのものとは何かについて読み解かれていく「そのとき私は、ある驚きを感じてこう思った。《私がいま見ているのは、ナポレオン皇帝を眺めたその目である》と」(注5)(7)。しかし、第一章の24節「前言取り消し」で、バルトはそこまで述べてきたことを間違いであったと言い切ってしまう。

かくして私は写真から写真へと遍歴を重ね(といっても、実のところ、これまで見てきたのは、いずれも公表された写真 ばかりであるが)、なるほど自分の欲望がどのように働くのかを知ったが、しかし私は、「写真」というものの本性(エイドス)を発見したわけではなかった。(中略)私は自分自身のなかにさらに深く降りていって、「写真」の明証を見出さなければならなかった。その明証とは、写真を眺める者ならば誰にでも見て取れるものであり、しかも彼の目から見て、写真を他のあらゆる映像から区別するのである。私はこれまで述べてきたことを取り消さねばならなかった。(72)

 続く第二章では、亡くなった母と母の写真、母を亡くした悲しみをもとに自らの写真論を展開する。写真という偶像に頼ったところで母のすべてを心に呼び戻すことはできないと絶望しつつも、母の若いころに砂浜を歩いている写真だけは「母の歩き方や健康や明るさを《ふたたび見出す》」(76)に足りるものだった。しかし、母の顔は遠すぎてうつっていないし、それを友人たちに見せたとき、彼らに語りかけるものがあるかは疑問だった。その後も母を「ふたたび見出す」ことのできる写真を探し続けたバルトは、ある日ついにそれを発見する。

その写真は、ずいぶん昔のものだった。厚紙で表装されていたが、角がすり切れ、うすいセピア色に変色していて、幼い子供が二人、ぼんやりと写っていた。ガラス張りの天井をした「温室」なのか、小さな木の橋のたもとに、二人は並んで立っていた。このとき(一八九八年)、母は五歳、母の兄は七歳だった。(82)

 五歳当時の母親を、バルトが知っていたわけはない。しかし、彼は、その写真に写る少女の顔の明るさ、無邪気なポーズなどの要素から、母が生涯維持してきた姿勢「優しさを主張するということ」(83)を読み取ったのだ。この「温室の写真」を見つけたとき、バルトの母は衰弱しきっており、その姿から出発して彼女の少女時代の写真にたどり着くことで、バルトは母のあるがままの姿を見出すことに成功した。これらの思考を経て、バルトは、「それはかつてあった」という言葉を用いて、写真の「真実」について明確化してゆく。写真は決して未来を写すことがない。撮影された瞬間から、写真は過去を永遠に繰り返し提示することになる。

われわれはとかく「現実のもの」に、絶対的にすぐれた、いわば永遠の価値を与えてしまうのだ。しかしまた写真は、その現実のものを過去へ押しやる《それは=かつて=あった》ことによって、それがすでに死んでしまっているということを暗示する。それゆえ、「写真」のたぐいない特徴(そのノエマ)は、誰かが血肉を備えた指向対象、あるいは個人としての指向対象を目撃したという点にある。(97)
「写真」はもはやないもののことを(必ずしも)告げはしないが、しかしかつてあったもののことだけは確実に告げる。(中略)つまり、「写真」の本質は、そこに写っているものの存在を批准する点にあるのだ。(105)
「写真」のノエマは単純であり、平凡である。深遠なところは少しもない。《それはかつてあった》ということだけである。(119)

最後に、バルトは「写真」が人々に向けてつねに炸裂しようとする狂気を、社会が鎮めようとしていると説く。そのために、社会は次の二つの方法を用いるという。

1「写真」を芸術に仕立てる方法
2「写真」を一般化し、大衆化し、平凡なものにすることによって、ついには「写真」の前に他のいかなる映像も存在しなくなるようにする方法

 1について、「芸術は狂気ではない。写真が絵画の修辞法などを取り入れ芸術家と張り合おうとした作品を見て、《それはかつてあったのだ》と叫ぶことはない」とバルトは言い切る。2については、あらゆるものがイメージに変換され消費されていく過程で、イメージが一般化され、人間の世界を例証すると称して完全に非現実化してしまい、人々がもはや信仰ではなくイメージを消費する中で写真の狂気が習慣化されることを言っている。それは、狂気が存在しなくなったも同然である。さらに、写真の狂気、つまり「事物の流れを逆にする本来的な反転運動が生ずる」(145)ことを「写真のエクスタシー」と定義した。写真の狂気を鎮める方法、そして狂気を写真のエクスタシーとした上で、最後にバルトはこう結ぶ「《写真》が写して見せるものを完璧な錯覚として文化的コードに従わせるか、あるいはそこによみがえる手に負えない現実を正視するか、それを選ぶのは自分である」(146)。

山形県立米沢女子短期大学の小池隆太教授は、バルトのいう「写真」をプンクトゥム(偶発的に惹きつける「細部」としての写真)とストゥディウム(鑑賞者の知識や教養に依拠する形でもたらされる写真)の二軸があることを指摘した上で、このように述べる。

バルトにとっての「写真」とは,言語活動と意味を中断させる「まなざし」regardの発現として,その写真的エクリチュールの成立に関わる重要な契機として存在していることを忘れてはならないのであり,したがって,バルトの「写真論」である『明 るい部屋』は,単に「写真」を論じるためにのみ存在する「写真論」ではなく,むしろ「写 真」を経由することではじめて成立する,バルトの「写真的エクリチュール」による語りの著作として考えられなければならないのではないだろうか.(注6) (51)

思想家のスーザン・ソンタグも著書『写真論』の中で写真の本質について触れている箇所がある。ソンタグは写真が警察の捜査資料として使われたり法廷での証拠として使われるように、写真が写していることが「かつてあった」ことであるとされる前提を認めつつも、このように書いている。

写真は時間だけなく、空間の薄片でもある。写真映像に支配された世界では、境界(「フレーミング」) はすべて任意のものに思われる。どんなものも、他のどんなものからも分離したり、分断したりすることができる。要するに主題をちがったふうに切り取ることがかんじんなのである。(注7) (30)

 写真が写しているのは「かつてあった」ことである。しかし、写真はすべてを写すことができない。撮影時のフレーミングはレンズの焦点距離によっても撮り手の意図によっても変わる。この恣意的なフレーミングの外側に、撮り手や写真が掲載されたメディアにとって不都合なものが存在していた可能性がある。この意味で、ソンタグの指摘はもっともなものであると筆者は考える。後述するデジタル写真の編集容易性についても、バルトの指摘する「それはかつてあった」という写真のノエマが通用しなくなってきている現実がある。

2-b:記憶としての写真
 バルトが自身の母親に対して感じたようなものを、筆者自身も感じたことがある。


 この写真は、筆者の祖父が16年前に撮影したものだ。寝ているのは筆者、微笑む女性は筆者の母、右側のこどもは弟だ。筆者はこの写真を見るといつも穏やかな気持ちになる。この風景は16年前にはありふれたものであったはずで、その瞬間にカメラを向けシャッターを切り、残しておいてくれた祖父に対する尊敬と感謝を強く感じるし、母親の「優しさ」や「愛」と言った無形のものを感じさせる力がある。筆者は(寝ていたので)この時のことは記憶にないが、この写真があるからこそ残っている、思い出せる感情や記憶がある。こうした私自身の経験から、バルトの「それはかつてあった」が写真のノエマであるとする考え方には賛同しているし、本研究でもそれを前提として論を進めていく。
 

2-c:写真家の言葉から見る写真の本質
 写真について語るのは、思想家や評論家だけではない。写真を撮ることを生業とする写真家たちもまた、写真とは何かを考え、それを作品だけではなく言葉として残している。ファッション誌の撮影で一世を風靡し、1950年代のニューヨークの街の風景をカラーフィルムで撮影しその並外れた構図・色彩感覚で日本でも人気を集めた写真家ソール・ライターは、「写真家を見る人への写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時々提示することだ」(注8)(104)と語る。また、写真集『決定的瞬間』で世界にその名を知らしめた20世紀を代表する写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンは、写真を撮ることは、目の前の風景だけでなく自分自身の内部もまた同時に記録されるという立場から、次のように語っている。

撮ることは集中力や感受性、造形感覚が同時に必要とされる。そして世界に意味を与えようとすればカメラが切りとるものと己とを一体化させる必要がある。撮ることは事実と、事実に意味を与える視覚言語の構造を同時に認識することに他ならない。つまり自己の知と眼と心を同一軸線上に置くことなのだ。(注9)(3)

写真家は写真を通して何かを語る。その時、目の前の景色や人物をありのままに捉えるだけでは足りない。撮り手自身の感情がそこに内包されていることが必要である。

2-d:鑑賞者の態度の変容―今橋映子『フォト・リテラシー』とTOPコレクション『イントゥ・ザ・ピクチャーズ』
 写真の撮り手だけでなく、鑑賞者の立場も写真を読み解く上で重要である。2018年夏、この「鑑賞者の写真の見かた」をメインテーマ、そして「たのしむ、まなぶ」をキャッチコピーとして、『イントゥ・ザ・ピクチャーズ』と題された写真展が東京都写真美術館で開催された。そもそも1枚の写真を見た時に何を感じられるか?どんな情報が隠れているか?を鑑賞者が読み解いていけるよう、会場に展示された多くの有名写真家による作品には「この被写体の男性はこのときどういう気持ちだったのだろうか」「このあとこの人はどういう行動に移るだろうか」などといった、鑑賞者に対する「問いかけ」をキャプションとして展示した。これについて、東京都写真美術館の学芸員、武内厚子は『イントゥ ザ ピクチャーズ』公式図録の中でこう述べている。

普段、展示室でキャプションを先に見ている人にとっては、情報からではなく、見えていることから始める鑑賞は勇気を必要とするものかもしれないし、頭をフル回転させるのでかなり疲れるだろう。けれども自らの発見に基づいた鑑賞や、誰かと作品について話しながらの鑑賞によって、与えられた情報にはなかったことや一人では気づかなかった視点に気づくことができるだろう。そして「こんなことを考える自分」や「自分と違うことに気づく他者」に出会い、ともに認め合い、美術館での「たのしむ、まなぶ」を実感できるのではないだろうか。(注10) (16)

 本来これは鑑賞者自身が自問するべき問いかけだが、写真がSNSにも広告にも氾濫する現代において、そのような意図を持って写真を読もうとする考え方を持つ人間は多くない。写真がメディアとしての役割を徐々に動画に譲り、アートとしての価値を高めていく時代において、鑑賞者のリテラシーの有無は切実な問題である。
 この鑑賞者の写真を見る目について、東京大学の今橋映子は自身の著書の中で「フォト・リテラシー」と呼んだ。今橋は「フォト・リテラシー」の定義を

市民が写真メディア(特に現実を報道する役割を担う写真)を、芸術史的および社会的文脈の双方でクリティカルに分析し、評価できる力、延いてはその知識と倫理をもって、一方で歴史認識を精錬し、他方で現在における多様なコミュニケーションを創り出す力を指す。(注11) (8)

としており、先に武内が指摘した内容よりは一歩突っ込んだレベルのことについて論じている。今橋がいう「フォト・リテラシー」が一般市民に浸透するにはまだまだ時間がかかりそうだが、そのためにも『イントゥ ザ ピクチャーズ』で示された写真への能動的な見方が重要になってくると筆者は考える。

3:フィルムの永続性と信頼性
 本項では、現代で最も撮られるデジタル写真と下火になりつつフィルム写真とを比較しフィルムの優位性、現代における存在意義を明らかにする。

3-a:Photoshopでの写真修正と事例
 Adobe社がサブスクリプション形式で販売するクリエイティブ支援ソフト「Adobe Creative Cloud」に含まれる「Adobe Photoshop CC」と「Adobe Lightroom CC」は、現状その性能を上回るソフトウェアが存在しないことから、世界中の写真家・カメラマンにとってのデファクトスタンダートとなっている。このPhotoshopは元々はフィルム写真の暗室作業でできる写真修正をデジタルフォトでもできるように、という志向から開発されたソフトで、それが高いレベルで実現できるようになった。今ではさらに進化を遂げ、その状況が少し変わってきている。

 左の写真は筆者が就職活動の時に使った証明写真である。対して、右は筆者自身がPhotoshopで加工した写真である。顔の骨格やもの大きさ、鼻の高さなどを簡単に編集でき、この画像を作るまでに2分とかからなかった。操作も指定されたパラメータを調整するだけで、このソフトさえあれば簡単に加工ができる。スマートフォンのアプリでも、自撮りで撮影した写真をより痩せていたり血色が良くなったりスタイルがいいように見せられる加工を自動でしてくれるものが溢れている。つまり、加工がもはや撮影と同時になされるようになっている。こうした点から、デジタル写真がバルトのいうところである「かつてあった」というノエマを持つことは難しいと筆者は考える。

3-b:フィルムとデジタルのワークフローの違い
 フィルム写真とデジタル写真で最もその差が大きいのは、「撮影した結果をすぐに得られるかどうか」である。後述するが画質自体の差はカメラや使用するフィルムに依存するのでフィルムの方が画質が良いこともざらにあるが、デジタル写真は撮ってすぐにインターネットでデータとしてやり取りできるし、プリンタで出力すれば印刷もできる。フィルムは現像というプロセスを経るので、時間がかかる。暗室作業で露出や構図を補正するとなると、デジタルで処理するよりももっと時間がかかる。
 ただし、最終的に現像したフィルムをスキャンしてデジタルデータとして扱うこともできる。その上で、アナログな「モノ」として写真を残すことができるのは、後述するが写真の保存期限を考える上で一日の長がある。

3-c:デジタルデータと紙媒体の保存期限
 先に紹介した筆者の祖父の写真は、16年前に撮影されプリントされた写真をスキャンしたものだ。また、先述した「ニエプスの窓」も、1826年に撮影されてからすでに200年弱が経過しているが現存している。もちろん保存される環境などにもよるが、フィルム写真が「残る」ものであることは歴史が証明している。対して、デジタル写真はまだそれ自体の歴史が浅い。理論上はデータさえ残っていれば永遠に残り続けるが、クラウド上の保存されている写真データが大規模な障害等により一瞬で失われる可能性は否定できない。写真を「保存」するという観点で見ると、今なおフィルム写真にその優位性はあると筆者は考える。

3-d:商業写真の現場で今尚使われるフィルム写真
 デジタル全盛の現代においても、フィルムをメインに使用する商業写真家は存在する。写真家・映像作家の奥山由之はインスタントカメラの「写ルンです」をメインカメラとして使用することで知られ、アーティスト写真や広告写真の撮影を行なっている。彼はNHKの番組『SWITCH 達x達インタビュー』の中で、写ルンですの利点について「設定をいちいち考える必要がなく、画角も決まっているので構図に集中できる。デジタルだと選択肢があまりに多く、迷ってしまう」と語っている(注12)。
 グラフィックデザイナーから写真家に転身し、企業広告やテレビドラマの公式Instagramアカウントなどで活躍する写真家、濱田英明のメイン機材はペンタックス67というフィルムカメラだ。濱田は「中判」と言われるフィルムを使用し、現在広く出回っている35mmフィルムやデジタルの35mmセンサーを超える高画質を実現している。そして、フィルムの持つあたたかみや空気感を作品に効果的に活かしていて、濱田が写真を担当したTBS系列のドラマ『この世界の片隅に』のInstagramアカウントは2019年1月4日時点で4万9900人のフォロワーを集めている。フィルムはスキャンする時のレンズ性能に画質の高低を依存せざるを得ないので、今後より高品質なスキャナーが出てきた時にもっと高い解像度を得られるという利点もある。これは映画の業界では実際に起こっていることである。2017年に公開され全世界で大ヒットした映画『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』は、全編フィルムで撮影されている。これは、将来的なデジタル解像度が大きくなった時にアップコンバートに対応するための布石である(注13)。

4:動画はどのように写真をリプレイスするか
 本項では、近年になって台頭してきた「動画」が、これまでに写真が担っていたメディアとしての機能をどのように引き継いでいくかについて解説する。

4-a:動画2.0の時代に
 テレビの時代から映像というものは我々のごく身近にあったが、スマートフォンが「動画」という形でそれをさらに身近にした。皆が撮影機材、そしてスクリーンを持つ世界になったのだ。ちなみに、日本で最も売れているスマートフォンiPhoneの画質は素晴らしく、2016年に公開され大ヒットした映画『シン・ゴジラ』の中ではiPhoneで撮影されたカットが複数あることで大きな話題となった。言い換えると、映画で使うようなカメラをみんなが持てるような時代になったということだ。
 2018年に発売された本『動画2.0 VISUAL STORY TELLING』では、YouTuberが生み出した動画の文法の代表例として「ジャンプカット」を挙げている。これはナレーションや言葉の間を極端に削り、短い時間で多くの情報を詰め込む手法である。そして、ITP(Information per time)が高いものが若年層に好まれ、低いものは忌避されるという。これが視聴者に及ぼす影響について、著者の明石ガクトはこう書いている。

YouTuberのファン、特に小さい頃から夢中になっている小学生や中学生は、テレビ番組を観ていると「かったるい」「CMまたぎで同じこと繰り返すのがいやだ」「なんで最初から再生されないの?」というようなことを言うそうだ。これは情報量が濃いものを若年層が求めているということを示唆している。(注14) (72)

 動画はうまく作れば、非常に有効にストーリーを伝えることができる。編集ソフトや通信インフラの進化もあり、その日視聴者が撮った動画がその日のうちにテレビのニュースで流れるということもざらだ。
 この点、写真は難しい。1枚の写真だけで全てを伝えることは困難だ。同時にキャプション、場合によっては記事、または組写真として何枚かの写真の組み合わせによって伝えたいメッセージを紡いでいく必要がある。写真は「余白のある」メディアであり、写真だけで均一に意図した情報を素早く伝えることが難しい。観る人によって解釈が異なることがあるからだ。

4-b:動画と写真の情報量の違い
 情報量という観点において、1枚の写真と1本の動画を単純比較することは難しい。なぜなら、動画は長くすればするだけ情報量は増えていくし、デジタルデータとしての定量的に測れる容量も増えていくからだ。単純な比較はできないが、一枚の写真がもつ情報のすべてを、写真を見た人すべてが感じ取れるかどうかはわからない。しかし動画はテロップやナレーションを用いることで言葉を使うことができる。これが受け手のイメージを均一化することに役立っている。

4-c:編集容易性
 先述した通り、Photoshopなどのツールを用いて写真を編集することは容易である。その場にないものがあるかのように、あるものがないかのように見せかけることが簡単だ。また、動画をそのように編集することも可能になりつつある。Adobe社は動画編集ソフト「Premiere Pro CC」もリリースしているが、その2018年度最新のアップデートでは、動画に写る人をさながらPhotoshopでの処理のように簡単に消すことも可能になった。その精度はまだばらつきがあるものの、今後より高まっていけば動画の恣意的な編集も写真でのそれと同じようにできるようになる。現状それを写真のように多くの人がスマートフォンで手軽にやれるような環境にはないが、通信技術の進歩によって大容量の動画を一瞬で送付できるようになったり、端末のストレージやクラウド上のストレージが巨大化すれば、記録の意味で撮影される動画はもっと増えるだろう。それと反比例するように、撮影される記録写真は減っていくだろう。

5:写真のこれから
 本項では、これまでに論じてきた前提を踏まえた上で、写真がアート/メディアとして今後どのような道筋を辿っていくかについて考察する。

5-a:絵画の辿った変遷にみる写真の行先・フィルム文化の再興と超記録化、超アート化する写真
 絵画は写真の生まれる以前には、メディアとしての活躍の場が多かった。戦場カメラマンなど存在しない時代には、戦の様子を伝えるのは絵の役割だった。しかし写真の登場以降、絵画のメディアとしての活躍の場は減りつつある。現在のところそれが確認されるのは、カメラの持ち込みや撮影が許可されていない場所での絵画の役割がある。その代表例として、法廷画が存在する。また、絵画の発展形として、漫画もまた難しい事柄をわかりやすく伝えるメディアとしての活躍の場が存在している。しかし、現在のところ絵画の役割の多くはアートになっている。記録を主な目的としないメディアには速報性が必要だが、絵画に速報性を求めるのは、場合にもよるが難しい。対して、デジタル写真と近年の回線の高速化によって、写真のメディアとしての速報性は非常に高い。こうした絵画と写真の関係性について、スーザン・ソンタグは著書『写真論』の中で写真はシュルレアリスムを体現できる簡単な手段だという立場から、こう述べている。

写真は模倣芸術の中では一番写実的で、したがって手軽なものであるというありがたくない評価がある。事実、写真は一世紀にもわたって、シュルレアリスムが近代の感受性を継承するという大層な脅しを実行してきたひとつの芸術である。(中略)絵画は、ひとつひとつの作品が唯一の、手作りの原作である美術なので、当初からハンディキャップを負っていた。そのうえ負担になったのは、一般にはシュルレアリストのはんちゅうにありながらも、キャンバスを造形的素材としか考えない画家たちの、まれにみる技術上の妙技であった。(注7)(57)

 現実的には不可能なことであるが、写真に関してはプロと全く同じ撮影機材を使用し、全く同じ場所で同じタイミングでシャッターを切れば、プロとアマチュアの差はなくなる。その「手軽さ」が写真が手軽なものであるというありがたくない評価につながっていて、かつクリエイターやアーティストが容易に生まれやすいものになっている。一方、絵画の技術の巧拙は描き手に依存する。ピカソが絵を描いている様子を真似しがら絵を描けたとしても、同じようにはならない。

 しかし、先述した通り情報量の多いメディアである動画の編集容易性が格段に上がっており、大容量のデータ転送も一瞬できるようになっていけば、もはや写真の優位性が薄れていくに違いない。仮に写真としてメディアに掲載されたとしても、それが動画の1コマの切り出しである可能性もある。現に、Panasonic社が開発する「LUMIX」シリーズのカメラには「6K PHOTO」という機能があり、撮影した6K動画の中から1800万画素相当の写真を得ることができる。もしこの撮影方法がより一般化すれば、報道関係の仕事の中で「写真を撮る」という行為がほとんどなくなるかもしれない。その時、写真が戻る場所はアートであると私は考える。絵画でそうであったように、写真もその本質的な機能・役割に収斂されていくだろう。フィルム写真も絵画も最終的にスキャンされて画像になってしまえばデジタルと同じだが、そこに至るまでのアナログなプロセスは誤魔化しにくく、「かつてあった」というノエマを体現するにはうってつけである。

5-b:フィルム/デジタルの編集容易性の違いにみる写真のノエマ
 あくまでも写真の本質をバルトのいうところの「それはかつてあった」とするならば、やはり写真はフィルムで撮影されたものが本質に近い部分にある。先述した通り編集や複製がデジタルほど簡単ではないからだ。しかしフィルムで撮影された写真もスキャンして「デジタル画像」として扱われれば、デジタル写真とそう変わらない扱い方をされるようになる。そうなった時、ピンホールカメラやダゲレオタイプなど、過去の、しかし絶対的に記録としての根拠をもつ手法が再興する可能性がある。
 しかし、筆者は最終的にはデジタルにしろフィルムにしろ手段のひとつに過ぎないと考える。「それはかつてあった」というノエマを感じさせる写真がデジタルでは撮影できないかというと、そんなことはない。同じ写真をデジタルサイネージやモニターを通して見るか、紙に印刷してみるかで、そのノエマが大きく変わることはないからだ。もちろんこれまで論じてきた通り保存や加工の容易性などに差はあるが、その写真/画像を鑑賞者が最初に見た時胸に去来する思いが大きく変わる、という根拠はない。ただし、色や構図にこだわりを持って写真を見せる写真家やカメラマンが注意する必要があるのは、PCやスマートフォンのモニターの色は人によって違うということだ。黒がつぶれてしまうモニターもあるし、紙で見るのと変わらないような再現性を持つモニターもある。高品質のモニターのついたデバイスが一人一台というレベルで世界に普及しない限り、写真を扱う者が紙に印刷するというステップを避けることはまだ難しいと筆者は考える。

あとがき
 本研究では、「写真のこれまでとこれから」と題して技術的・文化的側面の両方から写真の歩みを紐解き、今後の動きについて考察した。デジタル/フィルムの二元論を展開したかったわけではないが、技術の進歩は目覚ましく、フィルムの不自由さを最新技術で軽減しフィルムの良さだけを味わおうとする人間の賢しさが見えてきた点は今回の研究全体を通して見ても非常に印象的だった。一人の撮り手として、写真が何を表すのか、そして鑑賞者にとってノエマに近づくだけの一枚が撮れているのか自問自答し続けながら、今後も研究を進めていきたいと考えている。

参考文献・資料

(1)キヤノンサイエンスラボ・キッズ
https://global.canon/ja/technology/kids/mystery/ m_03_01.html  (2018年12月13日閲覧)

(2)桝矢桂一『ウィリアム・クライン試論――写真はいかにして写真となりうるのか?』
(3)森山大道『通過者の視線』 58頁(月曜社、2014年)
(4) 富士フィルムイメージングシステムズ株式会社
http://ffis.fujifilm.co.jp/information/articlein_0072.html (2018年12月21日閲覧)
(5) ロラン・バルト、花輪光『明るい部屋』7-146頁(みすず書房、新装版、1985年)
(6) 小池隆太『ロラン・バルト『明るい部屋』における「写真論」の意味』51頁(山形県立米沢女子短期大学紀要第44号、2008年)
(7) スーザン・ソンタグ、近藤耕人『写真論』30-57頁(晶文社、1979年)
(8) ソール・ライター『All about Saul Leiter ソール・ライターのすべて』104頁(青幻社、2017年)
(9) クレマン・シェルー、伊藤俊治、遠藤ゆかり『アンリ・カルティエ=ブレッソン 20世紀最大の写真家』3頁(創元社、2009年)
(10) 東京都写真美術館『TOPコレクション たのしむ、まなぶ イントゥ・ザ・ピクチャーズ』16頁(東京都写真美術館、2018年)
(11)今橋映子『フォト・リテラシー』8頁(中公新書、2008年)
(12) NHK 『SWITCHインタビュー達人達 松坂桃李×奥山由之』(2016年8月20日放送)
(13) ニュースウィーク日本版 「新作『スター・ウォーズ』は最新デジタル技術よりフィルム実写を選んだ」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/01/post-9340.php
(2019年1月4日閲覧)
(14) 明石ガクト『動画2.0』72頁(幻冬社、2018年)


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