あなたは科学系?それともスピ系?
Netflixで「ラストシャーマン」というドキュメンタリー(?)映画をマイリストに入れてから何ヵ月経つのだろう。
このnoteを始めた8月末より前だったのは間違いない。
なぜ今見たいと思ったのか
最初この映画をリストに入れたのは単純に「シャーマニズム」に興味があったから。
スピリチュアルなことを信じているから、という訳ではなく、逆に私は科学論文などを元にした情報の方を信じている。
だから、自分が良く理解できないスピリチュアルの世界を理解してみたい、と軽い気持ちでマイリストに入れておいたのだ。当時は。
でも、何故だか最近netflixにお薦めされてるし、どういう内容だったか忘れていたので今日改めて紹介文を読んでみた。
「鬱病で苦しむ青年が自殺しない道を求めてシャーマンに会いに行く」、という内容らしい。
これを読んで今回は「シャーマン」ではなく「鬱病」「自殺」というキーワードがひっかかった。
というのも、コロナで自粛が続いて自殺者が増えている現実と、自分も躁鬱病でありながら自殺防止のため戦っている凄い人がいることを知ったからだ。
また、私も自殺したいと思ったこともないことはないがそこまで深刻ではなく、鬱病も躁鬱病も診断されたことはないので、これまた自分の知らない世界を知りたい、という思いもあった。
そこで、「どうか、自殺しないで•••!!」と祈る気持ちで再生ボタンをクリックした。
鬱病でも自殺防止のために戦う人
実はこのnoteを始めて色々なクリエイターさんの記事を読ませてもらったが、一人、何故だか熱狂的に夢中になって全ての記事を読んでしまう人を見つけてしまった。
それが、坂口恭平さん。
彼は躁鬱病だったが、自分なりの治療法を見つけ、世間では躁鬱病の完治は無理だと言われる中、薬に頼らずほとんど自力でほぼ完治してしまったという驚くべき人なのだ。
それだけでなく、自分の携帯番号を公開し、「いのっちの電話」という自殺防止のための無料電話相談を個人で10年ほど続けている。
躁鬱病で自分が苦しんでいる間でさえ、「自分も死にたい人の気持ちがわかるから」と、専門的な訓練を受けた訳でもないのに、自殺をなくしたい、という一心で「いのっちの電話」を続けていたのだ。
他にもまだまだ、音楽、絵画、文章など、人を惹き付ける作品を次々と発表していて、クリエイティブな才能があるかと思えば、
いのっちの電話の費用を作るために論理的に戦略を練って、さらっとたくさんのお金を集めたりもできてしまう。
彼は理性と感性のバランスが、今の時代にとても合っている天才だなぁ、と思っている。
自分の知らない世界を知れた「ラストシャーマン」
無意識に、坂口恭平さんが自分で躁鬱病を治療する過程とこの映画の主人公、ジェームスの旅の過程を比べながらこの映画を見ていた。
ジェームスは旅の始めからショッキングな事件に遭遇しながらも、何事にも無反応な自分の感情を取り戻したい、と真摯にひたむきに旅を続ける。
そんな中、シャーマニズムを金儲けの手段にする人々を目にして疑問に思うことも。
私もそういう現状を知らなかったから、とても残念に思ったと同時に、自分の知らなかったことを知ることができて興味深かった。
シャーマニズムはジェームスを治療することができるのか、それとも自殺へと追い込むのか、は実際に映画を見てもらいたいが、注意事項がいくつかある。
1つは、ショッキングな映像が含まれるので、心臓の弱い人にはお薦めできない、ということ。
現代精神医学で有効とされている電気ショック療法が拷問にしか見えず、それだけでも引くのに、それよりもひどい映像がある。
2つめは、これが本当にドキュメンタリーなのか少し疑問が残る、という点。
この映画はみんなが思う事実そのままのドキュメンタリーとは少し違って、話が上手くできすぎていて監督の編集が結構入っているように見える。
題材は非常に興味深いのに、そのせいで映画の評価があまり良くないみたいで、それが残念でもある。
私はスピ系でも科学系でもある
「ラストシャーマン」を見ていると、スピリチュアルと科学の対比を考えてしまう。
この現代社会では科学的なものが正しいとされ、科学的に証明できないスピリチュアルなものは軽視されているように思われる。
ジェームスも最初は何の疑いもなく、科学的な現代医学の治療を受けていたが、全然治らなかったからスピリチュアルなシャーマンの治療を受けている。
このように、科学は万能ではなく限界があるし、卵を食べすぎるとコレストロールがなんのかんの•••という、科学的に証明されたはずの情報が実は間違っていた、なんてことも良くある。
スピリチュアルに関してはカルト教団などの例で有名なので行き過ぎは危険だとみんな知っているが、科学に関しても盲信するのは危険だ。
スピー科学
感性ー理論
直感的ー論理的
主観的ー客観的
呼び方はなんでもいい。
盲信者(どちらかにひどく偏った人々)は自分と違うものを信じる人々を馬鹿にし、攻撃する。私はそういう盲信者にはなりたくない。
だから中庸を保つ。
個人によって、ややスピ寄りだったり、やや科学寄りだったり、
時代によってもややスピ寄りだったりやや科学寄りだったり、
人それぞれ、また、同じ人でも日々自分がしっくりくる位置は変わるだろう。
ただし、偏りすぎないよう自分なりのバランスを保ちつつ、物事をなるべくいろんな視点から見極めていきたい、とそういうことを考えさせられた。
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