私がライターに復帰するまで


「ああ、なんて面白い小説を書くんだろう」
「面白いブログだなぁ」

と読後感に浸った後、自分の文章を読んでみる。

結構な確率で
「なんてうすっぺらいんだ!!」と叫び出し、パソコンを閉じたくなる。

それなのに、私は今でもライターを続けられている。
ましてや、2021年、ありがたいことにお付き合いしてくれている方が増えている。

だけど今があるのは2019年の大きな葛藤があったからだ。今回はそれを記しておきたい。


取材を続けて、すっかり「個」がなくなってしまった

2019年、私は取材ライターとして7年目を迎えていた。

日々違うクライアントと会い取材をする。帰って執筆をする。編集から直しを指摘される。そんな毎日が充実していた。それと同時に私はどんどん個を無くしていった。それが手に取るようにわかったのである。


これまで取材中心のライティングを手がけてきた私にとって、書く、ということは誰かの発言をトレースし、それを正確に伝えることに重きを置いてきた。そこに私見を挟む余地はなかった。


その反動だろうか。「自分がどうしても伝えたい思いがある」「こんな登場人物を書きたい」という欲望が少しづつ削り取られてきた。

ある時、ブログを書こうと思いパソコンを開いてもさっぱり文章が思いつかない。何しろ何を書いていいかわからないのだ。私は茫然とした。

これはやばい………


フリーライターとして7年。そこそこ経験も積んできたように思う。なによりプライベートでもたくさんの経験をした(ほうだと思う)。
なのに、だ。

特に伝えたいことがない……

それに気づいた私は、自分の書きたい文章を見つめるため、スクールに通うことを選んだ。シナリオライティングスクールの門をたたいたのである。

そうだ、学校に行こう

シナリオライティングを選んだわけは、いくつかある。が、大きな理由は創作活動に一歩踏み出したかったからだ。

そのころから私は、小説を書いてみたいという願望が湧いてきていた。
しかし、いきなり小説といっても手掛かりがつかめない。そこで有名なシナリオライティングスクールの説明会に参加し、フィーリングで入校を決めたのである。

2019年4月。入学金と授業料を支払い、周りの友人達にも背中を押された。「頑張ってね!」と。
小説家の道を歩む、第一歩だ!と迎えた1回目。
「知らないことがたくさんあるなぁ、なるほどね」と思ったのは
4回目までだ。
5月。私は登校拒否になったのである。。。。

スクールで待っていたのは、猛烈なコンプレックス

ライタースクールでは、毎回宿題が課され、優秀な人は読み上げられてはみんなから「おお~すごい」と言われる。
それはいい。私もそう思う。
それよりも「それは私には書けない…」「そんな発想が私にはない…」と自分と人を比べては責めることの方が多かった。それが一番つらかった。


なんて自己顕示欲の塊なんだろう。
成長阻害しているのは自分だとわかっている。
宿題の一行目がどうしても書けない……

そんなやばみ精神状態に追い打ちをかける出来事があった。取材原稿にクライアントから強烈なクレームがつき、相手を怒らせるまでに発展してしまった。泣きっ面に蜂とはこのことだ。

なんとか対応し、その案件が手離れした頃、私は疲れ切っていた。

よっぽどやつれていたのだろう。見かねた主人が「少し仕事休んだら」とまで言われる事態に。私はうつむきながら「うん」というのが精いっぱいだった。

2019年のことを思い出すと今でもつらい。コンプレックスは膨れ上がるばかりだった。

助けてくれたのは、やはり「書く」という仕事

さて、ライター業を休むことにした私だが相変わらず、学校には行かず旅行や、イベント手伝いなどをして過ごす毎日を過ごしていた。払った学費のことなど、もうどうでもよくなっていたのである。

そんな日々が続いた2019年10月。

昔、一緒に仕事をした広報のYさんから連絡をもらった。聞くと、広報の取材ライターを探しているという。月2回のライティング、カケハシさん、やってもらえないか。

すぐに返事ができなかった。

怖い。
だけど、これを逃したらもうチャンスは来ないかもしれない……


お願いします、と頭を下げ、私は取材の仕事に舞い戻ることになった。


復帰した後は少し、気持ちが違っていた。
取材で聴いたあるがままを伝えるだけではダメなんだ、と気づいていたからだ。

「私」がクライアントを通して何を訴えたいか。
「読み手」は何を知りたいと思っているのか。

それを考えて書くように意識を向けたのだ。


それには訓練が必要で、私はライターという職から離れていた半年間、
できる限り「自分の伝えたいことを伝える」ことに徹してきた。
苦手だったブログにも少し取り組んだ。(そして挫折した)


昔から自分のことを話すのが苦手だったこともあるのかもしれない。記事化する際には「アクション」的に意識のスイッチを切り替えた。そうして、次第に仕事量が増えていった。ありがたい限りである。

文才はない。だけど伝えていきたい

私には文才は、ない。
だけど、伝えたい企業の魅力がある。
伝えたい、人の魅力がある。

人がいる限り、私は書く仕事を続けるだろうな、と思う。

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