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愛とは猫である。

ピンとしたお耳に、まんまるの目。
なでるとうねる背中。
もふもふの毛。
だらーんと垂れ下がったお腹の肉。
くるんと丸まったかぎしっぽ。

そして「にゃあん」「にゃむにゃむ」という鳴き声。

「猫って、こんなにかわいいの!?」
「家から出ないで、ずっと猫の姿を眺めていたい」

私の日常は猫中心の日々になった。
2021年8月のことである。

コロナ禍は私たちの行動も人間関係も、仕事の仕方も
変えてしまっていた。猫を飼おうと思ったのは、単純にそうした日常に何か
変化が欲しかったからかもしれない。

出かけられない日常の中、SNSや動画サービス、ネットを見る機会が
各段に増えた。その中で私はよく動物たちの癒し動画に触れるのが
楽しみのひとつになっていた。
その中で私は保護猫施設の存在を知り、いつしか「実際に猫たちに会ってみたいな」と思うようになったのだ。

のちに飼うことになる、「バニラ」に初めて会ったときのことをよく覚えている。
埼玉にある保護猫施設は一軒家で、猫たちが30匹前後暮らしていた。
施設にお邪魔すると、たくさんの猫たちが自由にのんびりと過ごしている。

施設側からは、「気になる猫ちゃんはいますか?」と連絡を受けていたので、「茶トラの子が見てみたい」と答えていた。施設に行くと、お目当ての茶トラの子はケージの中でおとなしくしていた。可愛い顔立ちと、キレイな茶色の毛。さわりたいなと思っていると「その子はもう決まっちゃったんです」と後ろから声をかけられた。
私は、さわろうとする手を引っ込め、「よかったねぇ」と声をかけた。

お目当てだった子が決まってしまった。私と夫は
少しがっかりしたが「まあせっかく来たんだし」と言って他の子も見せてもらうことにした。

施設の暮らしが長いのか、人懐こくてすぐにお腹をさわらせてくれる子。
ケージから出てこない、警戒心が強い子。
チュールはあげられるけど、さわらせてくれない子。

猫も人と同じでいろんな性格がいるという。

その中に、イスの下で座ってこちらを見ているキジトラの子がいた。

顔もあんまり出してくれないが……

「ああ、あの子は4歳で施設にもう3年くらいいるんです」と教えてくれた。3年が長いのか短いのかわからず返答に困っていると、「子猫の方から決まっていっちゃうんで、成猫ちゃんはなかなか決まらないんです」という。

夫がその子の鼻先にそうっとチュールを持っていくと、ペロンと控えめに夫の指をなめた。その控えめで、いじらしい姿を見て、私も夫も心が決まった。施設を訪れる前は私も夫も本気で猫を飼おうとは思っていなかったが、バニラに会って、「猫を飼おう」モードに変更されたのだ。

脱走対策やケージやトイレの準備、餌やおもちゃを用意し、
フローリングだった床をカーペットに張り替え(夫が)
そうして2021年8月3日、バニラは我が家にやってきた。

まだ警戒中。ごはんも食べない

「成猫は警戒心が強いので、子猫と違って慣れるまでに時間がかかると思います。気長に根気強く付き合ってあげてください」と言われていたが、私も夫もそんなことは気にならなかった。なにしろ初めての猫である。ケージから出ただけでも「うれしい!」水を飲んだだけでも「うれしい!」餌を食べると「かわいい!」くしゃみをしても「かわいい!」バニラもやや迷惑だったと思うが、そんな私たちの重ための愛情を受けて、だんだんと心を開いていくようになった。

探検に行ってみるかな

来て1ヶ月目のこと。
目やにがとまらなくなったのが気になり、病院に連れて行こう、ということになった。
病院に連れていくには当然だがバニラをつかまえなければならない。どうしてもキャリーケースに入れるのは私では難しいだろう、という判断で夫が嫌な役目を引き受けてくれた。「たぶん15分もあればつかまえられる」と言った夫だったが20分経っても降りてこない。

さすがに少し様子を見に行こうかしら、と思った瞬間ドアが空き、息を整えながら「……猫ってすばやいね……」と出てきた。夫は疲れた顔をしていた。そんな大変なのか……という思いと、「やっぱり夫に頼んでよかった」とこっそり安心した。

その日を境にバニラは夫のことを「自分をつかまえるヤツ」と認識したらしい。2ヶ月の間、夫の姿を見ると隠れるようになってしまった。夫の足音が聞こえてくるとそそくさと本棚のかげに隠れてしまう。私はその姿をみるたびバニラの記憶力に感心し、夫をなぐさめていた。

その後、夫とも遊んでくれるようになった(ホッ)

バニラが来てから変わったことがいろいろある。
1つ目は家の戸締りに相当気を付けるようになったこと。

保護猫施設の担当の人から「絶対に脱走させないよう細心の注意を払ってください!」と言われていた。なんでも猫は、10センチのすき間でも入り込んだり、網戸を突き破って出て行ったりもするらしい。
そのため、家にいても窓や網戸をチェックしたり、バニラがどこにいるかチェックするようになった。

それでも、バニラはふといなくなる。
あるときバニラが家の中のどこを探しても見つからなくなってしまった。自分の戸締り力に自信が持てなかった私は「きっと窓から出て行っちゃったんだ!!」と泣きながら半狂乱で近所を20分くらい探しまわった。
夫にも電話をかけ「バニラがいなくなっちゃった!!」というと「いや~家の中にいるんじゃないの」と生返事。「だって探したんだよ!」という押し問答を繰り返したのち、帰宅するとバニラは本棚の陰から顔をのぞかせていた。
……近所を探し回る私の顔を誰にも見られなくてよかった。さぞ、怖い顔をしていたことだろう。

2つ目は、精神的に落ち着くようになったこと。

私はもともと精神的にかなり波があり、落ち込むときはどこまでも落ち込んでしまう(でも仕事はできる…なぜ?)。だけど、バニラが来てから「この子のために一生懸命仕事しなきゃ」「餌をあげなきゃ、ブラッシングしなきゃ」というお世話欲の高まりによって、私は精神的にずいぶん落ち着いていった。お世話をして愛情をかけると、バニラもそれにこたえてくれる。
ずいぶん早い頃からバニラは夫よりも私になつき、どこに行くにもついてくるようになった。喉を鳴らし、頭突きをしてくれるようになった(頭突きは大好き!のサインらしい)。私が帰宅すると、玄関までお迎えにきてくれるようになった。
そうやって愛情をかける相手がいることが、こんなに精神を落ち着かせてくれるものなのか。夫はそういう相手じゃなかったの?という疑問はやや残るが、バニラのもふもふとしたフォルムに触れて私は泣く回数も落ち込む回数もずいぶんと減っていった。

3つ目は、夫婦仲がよくなったこと。

結婚して10年以上。子どもがいないこともあって(?)私と夫の仲は悪くはないがよくもない状態に陥っていた。日常をいかにケンカなく過ごしていくか。そのことが優先されて、お互い言いたいことが言えない状態になっていたと思う。しかし、バニラが来て夫と私は変わった。とにかく可愛いバニラがいることで、日常に癒しが生まれ、圧倒的にケンカは減った。


おとうちゃんのこともまあ好きだぞ



とくに夫は、猫を前から飼ってみたかったらしい。愛情が爆発して猫用のベッドを自作するくらいの入れ込みようだった(買った方がいいんじゃないの?と何回も言ったが聞かなかった)。帰宅するのが楽しみになり、夕飯後はバニラと遊ぶのが習慣になっていった。
「こんなに可愛いなら、もっと早くバニラを迎えに行きたかったね」そんなことを話すくらい、バニラは私たちの中心にいてくれたのだ。
2018頃の私がもし、バニラと3人で過ごす光景を見たらびっくりするだろう。「離婚だ!別居だ!」なんて叫んでいた夫婦がすっかり丸くなっているのだから。


手づくり段ボール爪とぎ。私はマステで飾りつけを担当

私自身は個人的に、自分の意外な一面を発見することもあった。

1つ目は、「猫がかわいい」と思えるようになったこと。私の周りにいる友人知人は、私がこんなに猫派になるなんて今でもびっくりしている。なにしろ数年前の私は猫をさわるのも怖くて、犬の方が好き!というイヌ派だった。実家で猫はいたが、そこまでフレンドリーになれなかった。なのにバニラが来て私は一気に猫派へとひるがえった。今や、キーホルダーから化粧ポーチ、エコバッグ、アクセサリーに至るまで猫グッズであふれるようになった。

2つ目は、「自分の子どもをほしいな」と思えるようになったこと。それまでの私は、どこかで子どもを持つことに怖さがあった。「子どもをかわいがれないんじゃないか」「自分の子どもをうまく育てられなかったらどうしよう」そんなことばかりが頭を占め、なかなか子どもを持つことに踏み切れなかった。しかしバニラが来てから自分の中にも母性本能があることに気づいた。あふれる愛情や、お世話したい気持ち。またバニラに向かって、自分が親や祖母からかけられていた言葉を使っていることにも驚いた。
「バニちゃんいいこね」
「バニちゃん、かわいいね」
「バニちゃん、危ないことしないのよ」……
「親や祖母はさぞ私のことが可愛かったのだろう」と改めて自己肯定感が爆上がりする経験をさせてくれた。

おかあちゃん、僕のこと撮ってるの?

3つ目は「何かを生み出さなくても愛される」ということ。
フリーランスでクリエイティブの仕事をしている私は、いつも「クライアントから求められる仕事をしなくては」とか、「何も生み出さない私は無価値なんだから頑張らなくては」という自分を追い込むようなスタンスで仕事をしていた。そうしなければ愛されない、と思い込んでいたのだ。
今でもそのスタンスは変わらないが、バニラを見て「無理に何かを頑張ろうとしなくても愛されるんだな」ということがわかった。
ご飯を食べて、遊んで、寝て、またご飯を食べて遊ぶ……そんなシンプルな生活をバニラに見せてもらって「ああ、人間もこれでいいんだな」と思った。
バニラに生産性がないこととか何もしないことに対してまったく腹は立たないし、むしろ存在してくれるだけで「ありがとう」という気持ちにさえなる。シンプルな生き様を見せてくれることが、私にとってどんなに救いになったか。バニラは身をもって教えてくれた。

あーあ、眠いな~

だから、今、バニラの声が聴けないのがとても寂しい。
バニラのあのモフモフにさわれないのが、とても悲しい。
ちょっと強めに頭突きしてくる、あのまっすぐな愛情を受け取れないのが、
つらい。

1年7か月という短い間でありったけの愛情を注ぎ、注がれた相手がいないことがこんなにつらいということも教えてくれた、バニラ。

バニラが死んでから仕事が手につかなくなった私を、家族や友人、仕事仲間が支えてくれた。「普段はあまり意識してなかったけれど、こんなに支えてくれている人がいるんだな……」振り返るひとつのきっかけにもなった。周りの人たちのあたたかさもまた、バニラが教えてくれたことのひとつだ。

バニラ、一緒にいてくれてありがとうね。
あなたがいてくれて、とても幸せでした。
バニラもそう思ってくれたかな。

そう思いながら私と夫は今日も、生きている。

#創作大賞2023 #エッセイ部門


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