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祈りのカクテル.6


「同時に二人の首を絞めたことはありますか」

 思索に耽っていたところ、思わぬ言葉が耳を刺したので、私は耳を傾けることにした。先程のバーテンが反対側のカウンターに座っている若い男性二人組に向けて話している。

「え、いやないです」
「そのうち、目覚めるときが来ますよ」
「マジですか」

 二十代前半であろうその二人は、文字通りきょとんとしていた。恐らく、あの二人は女性経験がないんだろう。反応を見ていれば、(厳密に言うと聞いていれば)分かる。『女達者』な人には独特の雰囲気があって、女性はその雰囲気を犬より鋭い嗅覚で嗅ぎ分けている。

 あの二人はバージンだ。

 ———同時に二人の首を絞めたことはありますか。

 恐らく、というより間違いなく、女性二人の首を絞めたことがあるのか、とあのバーテンは聞いているのだろう。

 猟奇的なものではなく、あくまで快楽的絞首。
 
 あのバーテンは二人組がバージンであることを分かっておちょくっているのだろう。穏やかな声で、大人な男性の世界を少しでも見せているのかもしれない。まあ私には関係ないけれど。

「セックスはお好きですか」

 またバーテンは聞く。

「僕は、それよりも過程の方に重きを置いているので」と片方が言った。もう片方は黙ってにっこりとしている。私は笑ってしまいそうになった。

「どこからその領域まで達したんですか」

 にっこりと穏やかに笑っていた方が聞いた。

「そのうち来ますよ」とゆっくりとした声で諭すように言ったバーテンはこちらの方へと戻ってきた。

「私は、黒田透といいます」
「クロダ、トオルさん」
「そうです」
「何かの源氏名みたいですね」
「そうですか?」

 彼は朗らかに笑った。

「あんまり子供をからかっちゃいけませんよ」

 私が小さな声でそう囁くと、にっこりと笑った彼は相変わらず穏やかな声で「大人の世界への入り口は、滅多なことが無ければ開きませんから」と答えた。

「確かにそうね」
「そのまま開かずの扉として一生中身は子供のまま死んでいく人もいるはずです。縁は導かれるものですから、私はあった人には何かしら貢献するようにしています」

「ふふふ」と言って私は笑ってしまった。

「今日はどうかされたんですか」
「少し、考え事をしに」
「さようですか」

 ゆっくりと目線を下に落とした彼は、空いているグラスを拭きながら話し始めた。

「人生とは選択の連続である、という言葉があります」

 今からは女性性器の話でも、同時に二人の首を絞めるセックスの話でもなく、至ってまともな話が始まるみたいだったので、私は黙って聞いていることにした。

「人生は選択の連続。日々直面するような些細なものから、自身の数十年単位の人生に影響を及ぼすような大きなものまで、無数の決断に迫られ、私達は日々生きています。月並みな表現ではありますが、『人生は選択の連続である』というのは、間違いなく真理であると、私は思っています。しかし、当然の如く、選択の結果を私達は事前に知ることは出来ないし、直感的に『正しい』選択を取ることが出来るかどうかは人によります。毎度大きな分岐点に立たされるたびに、上手く立ち回れる人と、そうでない人がいる」

「そうですね」
「あなたは、ご自身をどちらだと思われていますか」
「正しい選択を直感的に取ることが得意であるかどうか、という問いでしょうか」
「その通りです」
「私は後者の方だと思います」
「あまり、良い選択を取ることは出来ない」
「そうです。どちらかというと、そもそも自身の意思で選択をしたことがありません」

 彼はまた少し黙り、ウォールアートの方を振り返った。私はそのまま続ける。



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