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組織も社会も「屍を乗り越えて」進化していくという現実をどう受け止めるか

昨今は「VUCAの時代」と呼ばれるように世の中の変化が加速しています。人も企業も「変化についていくのがやっと」という感じもしますが、環境の変化に適応できないと生き残れないので皆さん変革に必死です。

そんな中でも、「変化を頑なに拒む人」は一定の割合で存在します。例えばテレワークでも仕事ができるのに対面にこだわる人や、自分が教わってきたやり方を下の世代に押し付ける人です。

私どもでは企業の変革を推進する立場のお客さまからご依頼を受けてこのような方に意識を変えていただくための研修を行いますが、正直に申し上げますと「意識が変わる人が2~3割居れば御の字」というのが現実です。

もちろん私どもの力不足もありますが、人間は元々変化を好まない生き物であるため、無理に意識を変えようとすると却って逆効果になります。

幸い企業さまも「全員の意識を変えろ」なんて無理難題を押し付けるようなことはなく、一部の人でも意識が変わればよいと考えてくださるので私どもも研修を実施する意義はあります。

さて、冒頭の問いの戻りますと、組織や社会が変革するうえで「どうしても変化についてこれない人」や「変化を頑なに拒む人」が抵抗勢力になってしまったとき、この人たちをどうするか?という難問に直面します。

理想論を言えば、「抵抗勢力の方々にご納得いただけるまで丁寧に説明し、相手のご協力を引き出す」ということですが、現実はそんなことをしているうちに周回遅れになってしまいます。

そうなると残る選択肢は「力づくで前に進めるか」「変革を諦めるか」の2択になりますが、前者を選択した場合はどうしても犠牲者が出てしまいます。

企業で言えばリストラされる人が出てしまい、社会全体で考えたときに大量の失業者が出る恐れがあります。

企業も社会も生き残るためには確かに変革が必要ですが、犠牲になった人から「私たちを犠牲にしてまで変える必要があったのか?」と思われても仕方ありません。

個人的には「多少の犠牲者が出ても変革したほうがいい」と考えていますが、人によっては犠牲者を出すぐらいなら変革を拒んでみんなで仲良く滅んでいったほうがいいという考えがあってもいいと思います。

これは難しい問いなので、いざ自分が変革を推進する側に立ったときに果たして犠牲者の屍を乗り越える覚悟があるかどうか問われると今のところは自信がありません。

余談ですが、社会レベルの変革といえば「革命」があります。日本の歴史上武力で社会がひっくり返った事例は数えるほどしかなく、明治維新の戊辰戦争でも死者数が3万人前後と言われています。

これが海外になると革命や内戦で数十万から百万人の死者が出ます。特に中国は歴史的に「革命大好き」で、一たび革命が起きると酷いときで数千万人単位の死人が出ることもあります。(明王朝の滅亡、太平天国の乱など)

これはあくまで仮説ですが、日本は歴史的に変革が遅れても犠牲者をなるべく出さないという価値観が強く、中国は変革のためならいくら死んでも構わないという価値観が強いのかもしれません。(織田信長は例外かもしれませんが)

どちらが社員や民衆にとって幸せかは議論の余地があると思いますが。

今回もお読みいただきありがとうございました。


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