『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』(河出書房新社、T.エスペダル著、枇谷玲子訳) ロンドンの拙宅の周りに、見覚えのある花が咲いていた。 幼少期に住んでいたチェコの家の庭に咲いていた花だった。 幼い頃の私は花を摘んで遊ぶような子だった。 いや、きっと今もそんな子だ。 私は野の花を摘むのが好きだ。 野原の真ん中でしゃがみ込んで、花を摘む。 足元のとても低いところに生えているから、これを気にかける大人は誰もいない。私と同じような仲間がいないかとちら
音を忍ばせて支度をして、同居人がまだ起きないうちに家を出てきた。 今日は何故だか、街中がジャムのような香水のような、甘い華やかな匂いがする。 こういう日は、街中をどこまで歩いてもそれが続いているのが不思議だ。まるで示し合わせていたかのように。 あれは2週間前のことだろうか。その日は家を出ると綿毛のようなものが飛んでいた。たんぽぽのよりもずっと大きい綿毛が、ふわふわと舞っていた。 そのときも、綿毛は何百メートル歩いてもずっと、隣町に差し掛かってもずっとだ。 綿毛たちにとっ
朝食にサラダを用意していたら、大家さんがキッチンへやってきてコーヒーを淹れてくれた。 飲むと、どこか田舎の祖父母の家の味がした。洋風の飲み物をロンドンで飲んでいるというのに、不思議だ。 でも、少しだけ心当たりがある。祖父が淹れてくれるコーヒーと、きっとどこか近い香りがあったのだ。 祖父はコーヒーメーカーを愛用している。 きっと私の生まれる前に買ったものだろう。幼いときに、それの湯気で火傷した記憶がある。 いつ頃からなのかは聞いていないが、祖父がコーヒーを飲み始めたのはか
私は昨日も、お気に入りの公園のベンチで本を読もうと散歩へ出掛けた。 でも、いつもの場所へ来たら、その日はちょっと雰囲気が違っていた。 草刈機の音がけたたましく鳴り響いていた。 緑の野の上に雲のように咲いていた白いヒナギクたちは跡形もなく消え去り、草刈機の通った跡は薄緑色の轍となるだけだった。刈られた草の匂いだけが、ツンと私の鼻腔に残った。 ああ、別に困っていたわけでもないのに。 昨日もここで花を摘んでいたのに。 そういえば、ずっと似たような疑問があった。 なぜみんな
近頃はエッセイのことばかり考えているものだから、どうしてもエッセイの話ばかりになってしまうのを許してほしい。 この数日、エッセイを思うように書けずに悩んでいたのだが、今日の昼間、公園のベンチでふと考えていたことがあった。 私はそのとき「エッセイの種はすべての人の内部に当然にすでにある」ということを心の中でたしかに認めた。それは疑いようもなかった。 私を畑に例えるならば、私がどうしても書けないなぁと思うのは、それはつまり畑の土が硬すぎるのだ。鍬や鋤を入れようとしても、土の
久しぶりに『ポラーノの広場』を読んだ。 私にも私の世界があったのを思い出した。 私もリンネルのシャツを持って来ているはずなのだが、まだ肌寒いから卸すにはちょっと早い。代わりにオックスフォードのシャツでも着ようか。 宮沢賢治というと花巻へ行ったときのことを思い出すが、まだ思い出の整理がつかないので別の小話をしよう。 ちょうどこのときも私は宮沢賢治に触れて、自分の世界を取り戻したのだった。 2022年の9月、私は父の単身赴任していた米沢のアパートに滞在していた。 当時の日記
明後日に何を投稿しようか、まだ迷っている。 まだ自分にほどよいエッセイの書き方を掴めていない感覚がある。今まで習慣的に書いていなかったのだからむしろ当たり前だ。 力みすぎているところがあるのだと思う。 大発見をして、興奮しながらペンを走らせたときに出来上がった過去の大作への思いを引きずり、あれをどう生み出そうか、あの時はどう書いたんだっけ、と悩んでいる。そんな調子だ。プロジェクトXを延々と放映しているみたいだ。 現に、少し気を緩めればこのようにすらすらと書けるわけ
いつしか私は文章が書きたくなっていた。 そういえば、小学校の卒業文集の中に、将来の夢を書いたページがあった。ページを開かずとも覚えている。 私はその欄に「作家」と書いたのだ。 どうしても思い浮かばなかった私は最後まで空欄にしていたのだが、見かねた先生と数人のクラスメイトに「作家にでもしといたら?本好きだし」と言われたので、私は渋々そう書いた。 不服だったからはっきりと覚えている。不服だったけれど、かといってオルタナティヴがあるかと言われれば、私はなんにも持ち合わせていな
前回の記事を編集していた私は気分転換がしたくなった。 散歩へ行くことも考えたけれど、やはりパンを焼くことにした。 とはいえ、あの食パンのレシピは昨日の時点でひとまず満足するくらいにできていたので、私はそろそろ別のレシピを作ってみたかった。 そこで、私は子どもの頃に食べていた思い出のパン、ロフリークを作ろうと思い立った。 ロフリーク(Rohlík)はチェコのソウルフード。風邪をひいたときにも「ロフリークだけを食べていれば治る」と言われるほどだ。 しかも、ロフリークを食
朝、気づけば私はパンをこねていた。 ベッドで目覚めたときにはまだ迷っていたのに、気づけば私は朝の薄暗いキッチンに立ち、せっせとパン生地をこねていた。かれこれ3日もこんな調子である。 私がロンドンへやって来て一ヶ月半が経とうとしていた。まだ収入もなく、節約生活を送っていた私は、日々の小さな刺激に鈍くなってきていた。 揺蕩う意識にピンを刺し標本にするかのようにペンをとるか、ちょっとメランコリックで古めかしい音楽を聴くか、それらに飽きて行く当てもなく散歩に出掛け、ベン