宮沢賢治と世界のイニシアチブ

 久しぶりに『ポラーノの広場』を読んだ。
私にも私の世界があったのを思い出した。
私もリンネルのシャツを持って来ているはずなのだが、まだ肌寒いから卸すにはちょっと早い。代わりにオックスフォードのシャツでも着ようか。
宮沢賢治というと花巻へ行ったときのことを思い出すが、まだ思い出の整理がつかないので別の小話をしよう。
ちょうどこのときも私は宮沢賢治に触れて、自分の世界を取り戻したのだった。

 2022年の9月、私は父の単身赴任していた米沢のアパートに滞在していた。
当時の日記が手元にないので詳しくはわからないが、一週間ほど居ただろうか。
初めは近くに住む友人のところへ顔を出したり、お遣いへ出かけたりしていたが、とうとうやることが思いつかなくなってきた頃、図書館へいくことにした私は、そこで宮澤賢治を片っ端から手に取った。
今でも思い出すのはその夜のことだ。

 閉館の時間になって、私は追い出されるようにして図書館を出た。
いつかの日よりはもう大分日が短くなっていて、外はもう暗かった。夜空は私の頭の上のすぐ近いところに広がっていて、両側にそびえる家々の屋根は背伸びしたら手が届きそうだった。
窓の中の電球色の灯りも、食器洗いやテレビの音も、夕食やシャンプーの匂いも、みんな温かかった。そして、それに締め出されている私は寂しくなるばかりだった。
 私の帰るべき家はどこにあるのだろうか。せめて震災の前には、私にもそんな家があった気がしたのに。もうこの世界のどこにも、私の帰る家なんてないのだ。
外の世界にいるのは私だけだった。舞台セットのような路地を幾度曲がっても、私は誰ともすれ違うことはなかった。人気がないのを際立てるように、街灯がただ煌々と夜道を照らしていた。
 道がずっと続けばいいのに。アパートになんかいつまでも辿り着かなくていいのに。このまま朝まで歩き続けたなら、私は一体どこまで行けるのだろうか。
寂しさがかえって心地よくなっていた。帰る家がない分、私はどこへ行こうにも自由だった。キリキリと鳴く虫たちだけが、ずっと私に寄り添ってくれていた。
ああ、私が世界のイニシアチブを執っているのだ。
世界は私のものだった。

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