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親密さ(2012)/濱口竜介監督

近年観た邦画で良かったと思うものをいくつか、との質問を頂いて考え巡らせて、一番に出てきたのがこの作品だった。


(あらすじは他サイトでも載っているので基本的には割愛している)


4時間を超える上映時間に少し身構えながら映画館に向かったものの、結果、かつてない映画体験ができたことは、わたしの宝物となった。

その理由として、鑑賞後はわたしは2時間ほど現世に戻ってこられなかったほどに心、というよりも身体、に突き刺さったからだ。

人と人との日々の関わりの中で、どれだけの時間を過ごし、どれだけの言葉を交わせば「親密」だと言えるのだろう。

たとえば、複数人で同じ目標に向かう中でも、それぞれが内に秘めるもの、興味を持つものは違って、だからこそそれを言葉に出して確かめ合うのだけれど、でもその言葉も、返事も、本当に"それ"を表すことはできるのだろうか。

本当に自分が思うような"それ"を伝えられているかどうかなんて、確かめようが無いのだ。

それでもわかり合いたくて一歩、前に出てみる。
視線を、交わしてみる。
態度を観察して、空気を感じて、自分の中に生まれた"それ"を言語に換えて、目の前の人に渡してみる。

興味が無いと受け取ってもらえないかもしれない。
感情的に叩きつけられるかもしれない。
あるいは、涙を流して抱きしめてくれるかもしれない。
この上なく明るく空まで通るような声で笑い出すかもしれない。

およそわかった気になるこの世界で、現実に次の瞬間何が起こるか、渡してみるまではわからない。

それでも交わし続ける。

あなたと、世界と、事件と、歴史と、固定概念と。
わかり合いたくて、見る、聞く、話す。

そうやって積み上げたものを見て誰かが、それが「親密」なのだ、と言うかもしれない。

そこに立ち現れる「親密さ」は、密度を込めて紡がれた時間の上に立っているだろう。
どう編んだのかなんて、外からはわからなくとも、そこにある。

この作品で、観客はその「親密さ」を内側から観ることになる。
どう紡がれて、どう表されて、どうやってばらばらと離れて。それから、それでも親密さは生き残るのだと、知ることになる。というか、体感することになる。

4時間かけて、親密さという神経回路を、手に入れてしまうみたいに。

夜を懸けてひたすらに歩き、隣のあなたを肩越しに感じながら、ぽつりぽつりと言葉をこぼして、わたしたちは朝日に向かう。

それまで見えなかったわたしたちの目の前に広がる道は、同じでもあるし、異なりもして、でもそのどれをも選ぶことはわたしたちに許され、託されている。

そして同じくこの場所にいることと、異なる場所にいること、そこに「親密さ」が存在することに何の変わりもなかった。

あなたがそこを選んだこと、わたしがここを選んだこと、そして、いつかまた同じ場所に立つかもしれないし、立たないかもしれない、ということ。

そのどれもがそこまでに丁寧に紡がれた時間を無下にするものではなかったのだ。

むしろ、その後を一層煌めかせることですらあったのだと、わたしたちは、目の当たりにする。

ーーーーー 物語は、終わる。

数分の読み聞かせで、2時間の上演で、数十年の人生で。

物語が幕を閉じても、列車は走り続ける。
線路が分かれたとしても、それぞれの路線で、それぞれの終着駅に向かうまで止まることはない。
比喩ではない。わたしたちはそうやって、生き続けるのだと思う。

親密さというかたまりをこの世界に落として、わたしたちは、この世界で生き続けるのだろう。

紡いだ時間で、交わし積み上げた視線で、わかりあいたいと願い表した言葉で。

そして実際に、この映画との「親密さ」というかたまりが、わたしの中で生き続けている。

鑑賞後月日が経っても、好きな邦画は?と言われたら、この神経回路が反応してしまうくらいには、生き生きと。

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