見出し画像

売れる小説家になるために。

――「箔が付いた作品」の強さは確かにあると身をもって知っているので、このまま逃げるのは違うなと思いました。今日の結論は、「売れる小説家になるために、ちゃんと文学賞に挑戦する」です。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「売れる小説家になるために。」というテーマで話していこうと思います。


◆小学生の頃からの夢


以前、小学校の卒業アルバムを開いたことがありました。

まだまだ未熟な文章がそこにはありました。きっと当時はめちゃくちゃ良い文章が書けたと思っているんだろうなと想像します。得意顔で書く少年の顔が浮かぶのです。今の方が上手な文章は書けるけど、文章に対する気持ち、自分の伝えたいことを伝えたいという欲求は今と変わらないんじゃないかな。いや、小学生の頃の方が大きかったかもしれません。

生まれたての夢を胸に秘めていた少年の頃の僕は、良くも悪くもまだ何も知らなくって、純粋に自分の好きなものにがむしゃらでした。

卒業アルバムのクラスのページには、ひとりひとりが自分の夢を記入しました。そのとき僕がこっそりと大胆に綴った夢は、「売れる小説家」です。



◆「箔が付いた作品」の強さ


昨日の記事でがっつり僕がどんな風に小説と向き合ってきたのかを書きました。自分の書いた作品を人から褒められることもありました。とある文学賞で賞をもらうこともありました。先日、小説『Messageを出版することができたので、胸を張って「作家」「小説家」と名乗れるようにもなりました。

しかし、あの頃の夢「売れる小説家」になれているかと訊かれれば、首を縦にはふれません。まだ何者でもない僕の作品が多くの人の目に留まることは少なく、毎日のようにnoteの記事で告知をいているし、毎日のように手売りをしているけれど、限界があります。

もちろん小説『Message』は自信作だし、万人に響くものがあると信じているけれど、どこかの文学賞で賞を取ったわけでもないし、著名人の目に留まったわけでもありません。これからも作品を届ける努力は続けていきますが、その道を探るだけではだめな気がしてきました。


やっぱり審査員に認められて大賞に輝いた作品は、受賞したという事実だけで読む価値や面白さに信憑性が生まれますし、売る側もそれなりの部数を刷るし、ちゃんと宣伝するから、読者を獲得しやすいんですよね。その文学賞が有名であればあるほど、「今年の大賞はどんなものかな……」と手に取る人が少なくないわけです。

さきほどちらりと触れましたが、僕は以前、とある文学賞で奨励賞を頂いたことがあります。その影響でいろんな出来事がありました。学校の先生からはサインを求められたし、友達からは「文豪」と呼ばれるようになったし、叔母からは銀座のレストランで受賞を祝ってくれたし、僕の地元の区長と対談する企画に招かれるし、その対談の模様が地元の新聞の一面を飾ることにもなりました。

全部、「奨励賞を獲った」ことから始まりました。「奨励賞」ですからすごい大きな賞ではありません。でも、大きな流れを作り出したのです。


「箔が付いた作品」の強さは確かにあると身をもって知っているので、このまま逃げるのは違うなと思いました。僕が用があるのは「売れる小説家」です。趣味で終わるような生半可な夢じゃない。

今日の結論は、「売れる小説家になるために、ちゃんと文学賞に挑戦する」です。



◆売れる小説家になるために


9月末しめきりの文学賞はたくさんあります。もちろん質も追求しますが、とりあえず時間のあるうちに量をこなそうと思います。つまり、複数の文学賞に提出するために、作品を書くということです。

あと2ヶ月しかありませんので限界はありますが、とりあえず書きたい長編が1作品あります。高校生の頃から構想しているネタで、やっとのこと煮詰まってきました。それはあと2ヶ月で完成させるつもりです。

あとは、ショートショートを含め、短編をいくつか書くつもりです。


これからも小説『Message』を届ける努力を続けつつ、新作の執筆にも力を入れていこうと思います。何せ、もう8月。大学生の僕にとっては時間にゆとりのある季節ですから、太陽よりも熱い情熱をもって、物語を綴っていこうと思います。


最後まで読んで下さりありがとうございました。

20220801 横山黎



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?