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クライアントの認識を知るための方法ーフッサール現象学を臨床に活かすー

この記事は、患者さん・利用者さんの認識を知り、より良い理学療法を行おうと追求する理学療法士、およびリハビリテーションに関する職種に向けて書いています。
該当しない方にとってはあまり有益な情報が提供できないと思いますので、別の記事を読んでいただくことをオススメします。

理学療法士としてクライアントに関わる中で、クライアントの認識を知ることは大切です。

それがなぜかというと、医学的な概念としての『疾患』は積み上げられてきた知識として存在していますが、クライアント自身の経験・認識する『疾患』は医学的概念としてのそれとは異なるものであると考えられるためです。

例えば、痛み・疼痛というものがわかりやすいのではないでしょうか。

痛みというのは、極めて個人的な体験です。全く同じ傷を負ったとしても、痛みの感じ方や程度は人によって異なります。

この事実は臨床上とても重要なことであり、この前提をなくしてクライアントに関わると、食い違いが生じる原因となってしまいます。

最悪の場合、クライアントは「この人、全然わかってくれない」と感じてしまうかもしれません。

この問題を克服するため、今回紹介するフッサールの現象学が参考になるのではないかと考えています。

この記事を読むと、
✅️人と人とは本質的にわかりあえないことに気付ける
✅️フッサールの現象学の方法がおおまかに理解できる
✅️クライアントの主観を高い妥当性を持って知るための方法がわかる


人と人とは本質的にわかり合えない

私はあなたにはなれません。

これは疑問の余地がない事実だと思います。

あなたにはなれないのですから、あなたの経験をそのまま経験するということは不可能です。全く同じ思考を持つということも不可能です。

そもそも近代哲学の出発点で、デカルトは、つぎのような「原理」を提出した。
人間は決して「主観」を出られないのだから、誰であれ「客観」それ自体を参照することができない。だから、主観と客観の一致は、原理的にありえない、と。
(竹田青嗣:超読解!はじめてのフッサール『現象学の理念』, p15, 2012)

であるならば、私たち理学療法士はどのようにしてクライアントの経験する身体や症状を知り、対応すれば良いのでしょうか。

この問題に一つの解決策を提示してくれるのが、この「主観ー客観」図式を方法的に中止するという、「フッサールの現象学的還元」です。


客観というものは存在しない

主観と客観は一致せず、人と人とは本質的にわかり合えない。

であれば、主観と客観とが一致することはないですし、『私』が『あなた』の経験を経験することはできません。

では、どうすれば『あなた』の経験を理解できるのか。

フッサールの提示した方法は、客観を除外するという方法でした。

どういうことでしょうか?

主観と客観は一致しない。であるならば、客観というものが存在するという前提を中止し、この世界の全てを自分の「意識体験」に「還元」する。

この方法のことを「現象学的還元」と呼びます。

そして分析の対象を自分の「意識体験」に絞り、それがなぜ生じているのかを詳細に考えていく。

具体的には、自分が対象を認識したとして、なぜその認識が生じているのかを詳細に記述し、詳細に考えていく

目の前にあるリンゴは見て、「リンゴ」と認識しますが、そこで一度立ち止まり、判断を停止(「エポケー」と言います)し、なぜ「リンゴ」と認識したのかを考えます。

赤い、丸い、木の枝にぶら下がっている、光沢がある、切ったら中が白い、など、様々な情報によって、目の前のそれは「リンゴ」と認識されたことがわかります。

このように、自身の内面に生じた認識とその認識が生じた理由を追及していくのが、フッサールによる現象学の方法です。


クライアントの認識を理解するために

ここまでフッサールによる現象学について考えてきました。

では、なぜこの方法がクライアントの認識を理解することにつながるのでしょうか。

現時点での私の解釈を書いておきたいと思います。

目の前のクライアントに対して、理学療法士は何らかの認識を持ちます。

「あぁ、ここがこれくらい痛いのかな」とか、「麻痺をこんなふうに感じているのかな」といったように。

その認識を前提にしてそのまま理学療法等の介入を行ってしまうと、その認識の確からしさがわからないままになってしまいます。

ここでフッサールの方法を使うことができると思います。

なぜ自分は、クライアントの痛みがその部位・その程度であると認識したのか?

なぜ自分は、クライアントが麻痺をそのように感じていると認識したのか?

といった疑問を自分自身に投げかけます。

そうすると、クライアントの表情であったり、振る舞いであったり、疾患特性であったり、様々な情報からそのような認識に至ったことがわかります。

そして、ここからが大切だと思うのですが、自分自身が持った認識の確からしさを保証するだけの情報が集められているのか?という疑問の余地が残ることに気付かなければなりません。

そして足りない情報があれば、その情報を改めて収集します。

足りない情報は、クライアント本人の言葉かもしれませんし、動作や振る舞いの観察かもしれませんし、患部に触れた際のクライアントの反応かもしれません。

そのような情報をまんべんなく集めることによって、自分自身の認識の確からしさ、言い換えるとその『妥当性』を局限まで高めていきます。

これによって、本質的には理解することのできないクライアントの主観について、高い妥当性を持って考えることができるようになるわけです。


まとめ

フッサールの現象学を用いて、本質的に一致しえない主観と客観という問題を乗り越える方法を考えてみました。

平たく言うと、相手の認識自体をわかろうとするのではなく、自分自身が相手について認識している理由を深掘りしていくことで、その確からしさ・妥当性を高める、ということです。

とても簡単に書いてきましたが、フッサールの現象学は本当にとても難解なものです。

私の捉え方が間違っている可能性もありますし、捉え方が今後変わっていく可能性も十分あり得ます。

少しでも興味を持たれた方は、以下の書籍でご自身で学んでみることを強くオススメします。

そして、私の間違いを指摘していただくのも大歓迎です。


より深く学びたい方へ

現象学の理念
フッサール自身が現象学について書いた書籍の日本語訳です。
意外に薄い本で文字も大きいので読みやすいのですが、中身はとても深く難解です。
次に紹介する解説書と合わせて読むと、理解しやすいと思います。


超読解!はじめてのフッサール『現象学の理念』
上記の『現象学の理念』の解説書です。
とても平易な言葉で難解な理論について説明してくれています。
本書を読むだけでも大枠を理解できると思いますし、『現象学の理念』と併せて読むことでより深く理解できると思います。





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