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徒手療法でクライアントの主観を大切にする方法〜DNMの理論から〜

クライアントの症状を改善する、特に痛みに対処するために徒手療法を用いる理学療法士は多いと思います。

今回は、一見するとクライアントは寝てる(座ってる)だけ、理学療法士が一方的に何らかの徒手的な操作・刺激を行っている、というように見える徒手療法において、クライアントの主観が大切なのではないか、という話をしたいと思います。

今回のnoteの対象は、主に理学療法士です。
徒手療法を主に行うか否かに関わらず、次のような方は読む必要がないかと思います。
●自分はクライアントの主観を大切にした関わりができている
●徒手療法は自分の技術だけが大切で、クライアントの主観は関係無いと考えている
●自分のやりたいようにやりたいので、クライアントの主観とか面倒くさい

このnoteを読んでいただくと、次のようなことを得られます。
✅️徒手療法の実施においてクライアントの主観を重視する必要性に気付ける
✅️DNMの理論の一部を知ることができる
✅️独りよがりの介入から脱却できる


クライアントの主観を大切にするということ

前々回と前回のnoteでは、認知神経リハビリテーションとフェルデンクライス・メソッドを紹介しつつ、クライアントの主観を大切にした運動療法の在り方を考えてきました。

認知神経リハビリテーションでは、クライアント自身が自分の身体をどのように捉えているかを詳細に評価し、介入・改善の対象とします。

つまり、クライアント自身にとっての主観的な身体を介入の対象にする、ということです。

一方、フェルデンクライス・メソッドでは、クライアント自身に自分の身体の動きに気付くことを促します。

これは言い換えると、クライアント自身の主観的な身体を作っていく作業と言えるのではないでしょうか。

疾患の有無や種類に関係なく、自分自身の主観的な身体に気付ける、主観的な動きを詳細に説明できる、という人は少ないのではないでしょうか。

これは我々理学療法士が持っているような解剖学的・運動学的な知識によるものとは異なり、自分自身の身体の動きを経験する中で得られるものです。

おそらく、解剖学的・運動学的知識を持つ理学療法士であっても、その多くは自分自身の身体がどのように動いているのかを的確に捉えられている人は少ないと思います。

このような、経験を通して形成されていくのが、主観的な身体であると考えます。


徒手療法とクライアントの主観

理学療法とは、次のように定義されます。

この法律で「理学療法」とは、身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マツサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう。
(理学療法士及び作業療法士法 第一章 第二条)

この定義の中で徒手療法は物理的手段に分類されます。

関節や筋肉、筋膜などの組織に対して徒手的な刺激を加えるのが徒手療法といったところでしょうか。

一見、ここにクライアントの主観が介入する余地はないように思えます。

しかし、ちょっと考えるとわかるのですが、クライアントの主観が介入しないということはあり得ません。

なぜなら、クライアントの主訴に基づいて徒手療法を適応するはずですから。

クライアントが「痛い」と言っていないのに、痛みを取る方法を適用することはないですよね。

ここで陥りがちなのが、クライアントの主観を考慮しているようで完全に無視している次のような例です。

クライアント(Cl):「肩が痛いです」

セラピスト(Th):「そうですか、筋肉が硬くなってるので硬さ取りますね」

〜徒手療法〜

Th:「筋肉の硬さを取ったので、痛みが減ったはずです」

Cl:「ちょっと軽くなった気がします」(痛みは変わらないけど言えないなぁ…)

なかなか極端な例ですが、これに準ずるような場面は臨床の中にあふれているのではないでしょうか。

何がダメだったのでしょう?

色々ありますが、
✖️クライアントの主観的な症状は詳細に分析することなく、
✖️改善した結果を押し付けている(誘導尋問のように言わせている)
の2点が特にひどいかな、と思います。

この極端な例のように、徒手療法においてもクライアントの主観を無視した介入を行ってしまうと、その意義すらも怪しくなってしまうのがお分かりいただけたのではないでしょうか。


徒手療法にクライアントの主観を考慮する方法

先日のnoteで、クライアントの主観に迫る方法として、フッサール現象学を紹介し、臨床応用を考えてみました。

この『現象学』というものが理論に組み込まれた徒手療法があったので、紹介したいと思います。

書籍を読んだ程度の知識で偉そうに語ることはできませんが、デルモニューロモジュレーティング(Dermo Neuro Modulating:DNM)というものです。

ざっくり説明すると、徒手療法を行う際に皮膚以外の何かに触れることはできないという当たり前のことから、皮神経へのアプローチ、神経系全てを考慮した徒手的介入、というような徒手療法のようです。

DNMの書籍において『現象学』の記載があり、非常に的を射ていると思うので、少し長くなりますが引用します。

痛みは実際的な問題ですが、それは神経系内で発生する経験で、まったくもって完全に主観的です。
(中略)
この場合、もし痛みが、誰かが(主観的に)「経験している」、または、誰かが悩んでいる「対象」である場合、現象論は哲学的根拠として極めて道理にかなっています。痛みは主観的であるにもかかわらず、それを持っている人にとっては、本物の「対象」のように感じることがあります。特に、痛みが生じているような経験をした身体の部位と同様に、それは動きに対する身体的な障害のように感じます。
(D.ジェイコブス著, 岩吉新訳:デルモニューロモジュレーティング. p272, 2016)

つまり、痛みというものは実体のないもので、主観的に経験されるものである。にも関わらず、それを経験している本人にとっては実体や対象が存在しているように感じられる。というようなことを言っているようです。

この前提に立つと、主観的な経験である疼痛を、クライアント自身が何らかの器質的な要因や侵害刺激受容に結びつけることが疼痛の改善を妨げている可能性があると考えることができるのではないでしょうか。

詳細の方法論をここで紹介することは(説明できるだけ理解していないので)控えますが、おそらくDNMの提唱者がこのアプローチの中心に置いているであろう考えについて引用して結びたいと思います。

彼らを助けるために、神経系がどのように痛みを伴うのかを理解することは役に立ちます。彼らの脳がじっくりと考えるためにもっと良いアイデアを教えてください。彼らの生活を妨げたり、不安に悩まされたり、生物的、生理的なフィードバックループに巻き込まれた、永続する痛みをもつ患者に変えたりする変わりに、将来的に彼らを助ける概念を教えていると思ってください。
(D.ジェイコブス著, 岩吉新訳:デルモニューロモジュレーティング. p291, 2016)


まとめ

クライアントが受動的になっているように見えてしまう徒手療法において、クライアントの主観をどのように考慮すれば良いのかを考えてきました。

クライアントの主観を考慮するということは、クライアントの主観的な症状をアプローチの対象とすることだと考えます。

そこから逸脱してしまうと、そもそも何をしているのかがわからなくなってしまいます。

今回紹介させていただいたDNMでは、徒手療法でありながら、クライアント自身に疼痛に関する理解を求めます。それ自体が疼痛の改善に役立つということが、書籍の中で繰り返し述べられています。

徒手療法においても、やはりそれはクライアントのための介入であるべきです。

どのような方法論を選択しても良いとは思うのですが、クライアントの主観は常に考慮したアプローチ・介入を行いたいですね。


より深く学びたい方へ

デルモニューロモジュレーティング 日本語版 第2版
今回紹介したDNMを紹介した書籍です。
総論・理論的な内容が半分、実技的な内容が半分くらいになっています。
実技的な内容の判断はまだできませんが、総論・理論的な内容に関してはとても良いことが書いてあります。徒手療法をされる方も、そうでない方も、DNMの持つマインドは参考になるのではないでしょうか。



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