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Polar star of effort (case5) アスリートとアスリートに関わる全ての人達に・・・

                    Case 5 26歳 女性 バスケットボール

 膝の骨模型を眺めていた。膝の構造を見ていると決まって思い出すことがある。
 今から15年くらい前になるだろうか?現在の施設を立ち上げる前、別の施設で働いていた時のこと、実業団のバスケットボールチームに所属している選手のトレーニングを担当したことがあった。
 新井 響子 26歳 身長182㎝と長身で、手足が長く、本当に8頭身以上あるのではと思わせるほど顔が小さいのが印象的だった。
 「やった瞬間、マジで終わったと思った。」
 彼女は、2度目の前十字靭帯を断裂した瞬間、頭の中が真っ暗になったという。
 私が、担当したのは、2度目の手術を終え、リハビリを開始して半年あまり過ぎた頃であった。 
 2度目の断裂の際は、最悪に落ち込んでいたという。引退も考えた。2度とこんな経験をしないようにと、リハビリに練習に励んだ結果が、再発とは・・・
 家族やチームの仲間の励ましもあり、前向きな気持ちになれたのは、ここ最近の話だということだった。
 担当のドクターには、ストレッチのジムに通うということで許可をとっているという。
もちろん、嘘ではないので問題はない。
 ただ、「もう痛みはないのですが、なんか左脚に体重を乗せたり、負荷を掛けるのが不安なんです。」と心の内を語ってくれた。
 私は、膝の骨模型を取り出し、「膝って、なんでこんな作りなんだろうね?」と尋ねた。
彼女が痛めた「前十字靭帯」とは、膝下の脛の骨が前に抜けないように抑えている靭帯である。

 膝は、顆状関節と言って、皿の上にボールを置いたような構造になっている。
 すなわち、可動性が非常に高いのである。

その動き易い骨同士を強靭な靭帯が前後左右で結び付けているのである。

「そうですよ! 肘みたいに、もっとしっかり固定された関節だったら、こんな思いしなくて済んだのに!」彼女は、語気を強めて言った。

  確かに、そのように考えたくなるのは当然である。  
  膝関節が肘のような蝶番関節でない理由の秘密は、股関節にある。

     股関節は、斜めに向いていて、大腿骨が真っ直ぐ付いていない。
    よって股関節を動かすと、大腿骨は捻られながら動く。
    これを「螺旋の動き」という。

 大腿骨が捻られながら動くため、膝の関節も捻りを伴いながら屈伸運動を行うことになる。もし、膝の関節が蝶番のようであれば、骨折してしまうのである。
 更に言うなら、この捻じれることによって左右、前後の靭帯が巻き込まれるようにテンションがかかるため、4つの靭帯に均等に負荷が分散されるのである。
 つまり、脚が正しく使われていれば、前十字靭帯だけに負荷が集中することはないのである。
 「もう前十字靭帯を断裂させないために重要なポイント。それは・・・」
 「え、何ですか?もったいぶらないで教えてくださいよ。」
「大腿四頭筋を使わない。」と私は、端的に答えた。すると、
 「は?それは無理ですよ。走るにしてもジャンプするにしても、脚を使うには大腿四頭筋が要の筋肉じゃないですか?からかわないでください!」と怒られた。

  大腿四頭筋とは、太腿の前面の筋肉である。主に膝の曲げ伸ばしを行う。
 よって、「脚を使う」=「膝を使う」と同義になっていると、脚を使うとは大腿四頭筋が主役と考えがちになってしまう。
 結論を言ってしまうと、この大腿四頭筋、悪い意味で前十字靭帯損傷に大きく関わっているのである。秘密は、大腿四頭筋の付き方にある。

 上部の頭が4つで、下部が一点に集束している。よって大腿四頭筋の筋力で膝を使うと、直線的な動きになってしまう。股関節から動かしたように捻りを伴わないのである。ということは、4つの靭帯に負荷が分散しない。ある一つの靭帯に負荷が集中してしまう。それが前十字靭帯である。

 つまり、大腿四頭筋に力を入れ続ける姿勢をとっていると、脛の骨が前に引っ張られ前十字靭帯に負荷がかかり続けるのである。
 もし、その状態で突然上から負荷が掛かると、前十字靭帯が断裂してしまう。

 

 彼女が、ケガをしたのは、2度ともゴール下で低い姿勢をとっていた。まさにこの状況だったのである。よって、再発を防ぐには、大腿四頭筋に頼らない必要がある。
 「でも、走ったり、ジャンプするには必要ですよね?」
 「いや、実は、ケガの再発だけでなく、速く走る、高く跳ぶにも大腿四頭筋に頼らない方が効果的なんだよ。」彼女は、にわかには信じられないといった表情で、こちらを覗いている。 
 では、何処を使うのか?  それは、大腿部の裏側、「ハムストリングス」である。

 「ハムでジャンプする?全然イメージが湧かないです。」 
 確かに、図を見ただけでは、大腿部の裏の筋肉が収縮したときに膝が伸びて立ち上がれるようには思えない。 解剖学のハムストリングスの作用も「膝関節を曲げる」ことであり、何処にも「膝関節を伸ばす」とは書いていない。

 実は、ハムストリングスで、立ち上がったり、跳んだりするには「条件」がある。
 それは、「骨盤前傾」と「足底が接地」していることである。

 
 足底が接地していて固定され、骨盤が前傾することによってハムストリングスの張力を引き出す。収縮に転じたハムストリングスは、筋肉の付着部である骨盤の下の部位、座骨と脛の骨を近づける。
 すると、膝が伸びる動きと骨盤が立ち上がる動きが同時に行われる。この一連の動作が1モーションで可能になるのである。
 大腿四頭筋を主体で立ち上がる場合、あくまで膝を伸ばす動きだけ行い、骨盤の立ち上がりは臀部の筋肉に頼らなければならない。つまり2モーション必要になる。
 競技パフォーマンスは動作の効率性である。より効率の高い動きを行った方が出力も上がり疲労しにくい。結果、競技のパーフォーマンスが向上するのである。
 筋肉の付き方を見てみよう。大腿四頭筋と真逆である。大腿四頭筋は頭が4つで一つにまとまって付着している。
 一方、ハムストリングスは、頭が1つで付着部が左右に分かれている。
 例えるなら、馬の手綱のようになっている。股関節の動きによって膝の関節の捻り動作を引き出すことができるのである。
 つまり、股関節の螺旋の動きを殺すことがないので、膝の4つの靭帯たちに均等に負荷を分散させることができる。

  響子さんは、まだ信じられない、といった顔で見ていた。 「そうね。百聞は一見に如かずだね。」と言って、模型を見せた。


「ほら、ね。立ち上がったでしょ?」 
「本当だぁー・・・」彼女は、やっと納得した表情をしてくれた。
「ということで、響子さんの課題は、脚の使い方を大腿四頭筋主体から、ハムストリングス、殿筋主体に変えることだね。」
 勘の良い方は、お解りだろう。その使い方が、Case2 サーファーの片瀬 舞ちゃんの時に紹介した膝中心と股関節中心の脚の使い方なのである。 

膝中心=大腿四頭筋                                股関節中心=ハムストリングス

 股関節中心の脚の使い方に変えれば、もう前十字靭帯に負担がかかることもなくなり、バスケットのパフォーマンスもアップする。
 あとは、感覚がつかめてくれれば自信と反比例して不安は消えていくだろう。
 関節構造から見た、正しい動作は、パフォーマンスが向上するだけでなく、関節、靭帯、筋肉に負担がかからず、傷害の予防にもつながるのである。

 言い方を変えるなら、パフォーマンスが高い効率的な動きだから、身体にも優しく、身体に優しい動きだからパフォーマンスも高くなるのである。
 もし、膝の負担を軽減させる目的で大腿四頭筋の筋力を強化させた場合、膝中心の脚の使い方を反復練習することになり、大腿四頭筋を使う癖がついてしまう。
 すると、膝関節の捻り動作が行われず、前十字靭帯に負荷が集中するだけでなく、関節面、半月板にも過剰な負荷が掛かることになる。

 私は、彼女に、「面白いでしょ?トレーニングの本とかに書いてなかったでしょ?」と聞いた。
 「はい。大腿四頭筋のトレーニング方法とか、筋力の重要性は書いてありましたけど・・・」
 そうなのである。解剖学の筋肉の作用は、「解剖学的肢位」といって仰向けに寝た状態で調べられたものである。当然、それはそれで重要な意味を持つが、あくまでそれは基礎だということを忘れてはならない。
 実際のアスリートたちは、立っているし、動いているのである。
 解剖学の作用をそのまま参考にしては、実際の動作にそぐわないのである。

 響子さんは、その後、復帰を果たしたのだが、私は、まもなくその施設を去ることになり、それ以来、彼女とは会っていない。何年か後に噂で結婚を機に引退したと聞いたが、今はどうしているのだろう?
 膝の骨模型を見ると、彼女の圧の強めの口調が懐かしく思い出される。
 今日は、この膝の模型を見ながら一杯やろうかな・・・

スタートラインに立ち、結果を残すのはアスリート本人である。
トレーナーとは、常に裏方の存在なのである。

このお話は、一部事実を元にしていますがフィクションです。
この事例が、全ての人に当てはまるとは限りません。トレーニング、ストレッチをする際は、専門家にご相談ください。


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