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夏の始まりは蝉の声

8月1日

朝、目が覚めて、意識がはっきりしたのが先か、セミの鳴き声を耳が感知したのが先か。とにかく気が付くと、外が夏の朝になっていた。最近までの重たかった空気や空はそこにはなくて、まるで別世界に連れてこられたような気分だった。

こんなにも分かりやすく、月の変わりと一緒に。

こんなにも分かりやすく、きれいな梅雨明け。

記憶している中では初めての経験だった。

そしてこんなにも突然に、夏にさらされたのに、びっくりするくらい目覚めた瞬間に体が順応した。そして心にしっくり来た。よく暗いところから明るいところに出ると、開きすぎた瞳孔が光をたくさん受け取りすぎてまぶしく感じるけれど、そういう体の驚きが全くない。それほど、心も体も夏を待ちわびていたんだろう。

好きな季節は...

小さいころから、夏が好きだった。毎年数えきれないくらい、暑い、暑い、溶けちゃう、死んじゃう、と文句が口からあふれ出るのに。

たぶんそれは本当に暑いんだけど、その暑い夏と紐づけられた思い出がたくさん胸に残っているから、結局夏が好きなんだと思う。小学校時代、朝日が昇ってから日が暮れるまで、飽きるほど友達と遊んだ時間。野球、祭り、キャンプ。中学、高校時代の部活。夏合宿。学校からの帰り道。挙げ始めたらきりがない。

夏とおんなじ理由で冬も好きだ。素敵な思い出の数だけ、春も秋も。でもその紐づけが、ちょっとだけ多いのがたぶん夏。だから強いて言えば、好きな季節は夏。

ラジオ体操の朝

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話は少し飛んで、小学校の時のラジオ体操のある朝の話。今でも小学校の夏休みと言えば一番に思い浮かぶのが、ラジオ体操の朝の光景だ。ラジオ体操自体が好きだったわけではない。

だけど、ラジオ体操の後に友達と遊ぶ予定が入っているとか、学校のプールに泳ぎに行くとか、そういう朝の、純度120%の心の高揚感は、今でも鮮やかに蘇る。あるいはラジオ体操で会った友達と、その日遊ぶ約束を交わしたこともあった。不思議と朝体を動かして、それから家に帰ると、すごく心が爽やかになって、夏休みで浮つく心に拍車をかけた。

今、その時からほんの10ほど年を重ねて、少しだけ大人の世界に足を踏み入れて、あのころのような心の純度は、ちょっと保てていない。少しの責任と社会人という肩書を背負ってしまった私には、あのころよりも気にかけることが多い割に、時間が少ない。そんなのくそくらえと言う人もいるかもしれないけれど、出た方がいい用事とか、立てた方がいい人間とか、守った方がいいルールを作り出しては、その轍を辿る。

だから、あの頃みたいな高揚感を今感じるのは、なかなか難しい。

でも確かに、昨日の朝、蝉の声を聴いたとき、ちょっとだけあの頃に心が帰った。純度の高い夏の朝に触れて、くすみかけの心も少し晴れる。

大人になった今だって、がちがちに固まった轍を辿るんじゃなくて、ふかふかの新雪に足を踏み入れて歩きたい。真夏を切り取った文章に、こんなふうに真冬の例えを使ったって、別に誰も咎めたりしないんだから。文章は、noteは、こんなにも自由なんだから。

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そしてnoteの中だけじゃなくて、リアルでも。

社会人一年目、初めての夏。

いろいろと制限の多い夏だけれど、できることの中で、めいっぱい轍をはみ出そう。蝉も叫び出す8月の朝。夏の始まりは蝉の声。

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