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半自伝的エッセイ

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「チェスのレシピ」「新・チェスのレシピ」「折々のチェスのレシピ」を書いている人はどんなチェスライフを送ってきたのか。
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#エッセイ部門

「半自伝的エッセイ(41)」完全なる双子

そんなに頻繁というわけではなかったのだが、チェス喫茶「R」には時折、双子の姉妹がやってき…

「半自伝的エッセイ(40)」c3(シーサン)→微分みたいなチェス

気になる局面や手筋があった時など、私は明け方まで安物のマグネット式のチェス盤上で、ああで…

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「半自伝的エッセイ(39)」クリスチャンチェス・神社で聖母マリアと出会う

おそらくはマスターの影響というのか人柄というのかのためだったのだろうが、チェス喫茶「R」…

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「半自伝的エッセイ(38)」文庫本・文鳥・文

おそらく年齢のせいだと思うのだが、ここ数年徐々に小さな文字が読みづらくなってきた。まず文…

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「半自伝的エッセイ(37)」定跡と素数と親知らず

ある時、急に悪寒がしてきて、立っているのも辛くなった。幸い自分のアパートの部屋にいる時だ…

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「半自伝的エッセイ(35)」2本の百合

百合ちゃんが亡くなってから三年か四年後ぐらいのことだった。百合ちゃんの、つまり私の義理の…

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「半自伝的エッセイ(34)」宇宙、代数、カラス

(前回から続く) 不眠の時間を利用して宇宙に関する本を貪るように読んでいたところ、自分には物理の知識が決定的に不足していることを痛感し、今度は物理の本を片っ端から読むようになった。すると、今度は数学の知識が足りないことがわかり、数学に関する本を買い漁るようになった。 いつしか生活空間がそれらの本で埋め尽くされるようになった。その頃になると、どうも体調がすぐれないことをどうしても自覚しないわけにはいかないようになった。おそらく体重が減っていた。体重計がなかったので数値化でき

「半自伝的エッセイ(33)」チェス、競艇、不眠

私がチェスを指さなくなった経緯は書いたが、チェス的なもの、つまり勝負事に対する熱望自体が…

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「半自伝的エッセイ(31)」カラスのマリア・カラスと『アヴェ・マリア』、クリスマス…

久しぶりにチェス喫茶「R」に顔を出すと、テーブル席のイスの背にカラスが留まっていた。私を…

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「半自伝的エッセイ(27)」チェスと将棋どちらが難しいか(3)

百合ちゃんを亡くしてから、私はもぬけの殻のようになった。その空白を埋めようと私はますます…

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「半自伝的エッセイ(26)」チェスと将棋どちらが難しいか(2)

といっても、アメリカに行くにあたってはいくつかのハードルがあった。まずは費用である。往復…

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「半自伝的エッセイ(25)」チェスと将棋どちらが難しいか

ある時、チェス喫茶「R」にいた何人かでチェスと将棋のどちらが難しいかという話になった。男…

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「半自伝的エッセイ(18)」チェスの音階

ある日、チェス喫茶「R」に行くと、端のほうのテーブル席で符号を言い合いながらチェスを指し…

「半自伝的エッセイ(17)」バナナが聖母マリアに変わるまで

ロシアの土人形作家であるナタリア・ネポメンコさんの作品の相場を調べるため、あちこちのオークションサイトを覗いていた時である。どうにも気になる人形が目に留まった。おそらく検索ワードがいくつか共通していたのだろう、その人形の画像がロシアの土人形と並んで表示された。しかし、両者は似ても似つかない代物であった。かろうじて女性と見えるその人形は、やはり土を捏ねて作ったものなのだが、ロシアの土人形が愛嬌のある表情や明るい色彩が特徴である一方、その人形はなんと表現していいのか、一言でいえば