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半自伝的エッセイ

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「チェスのレシピ」「新・チェスのレシピ」「折々のチェスのレシピ」を書いている人はどんなチェスライフを送ってきたのか。
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記事一覧

「半自伝的エッセイ(48)」将棋における背後霊的カンニング

プロ棋士のTさんはタイトル挑戦に失敗してからもチェス喫茶「R」に時折顔を出した。チェスを指…

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「半自伝的エッセイ(47)」名前はフタバ

ある時、おそらく暑い時期だったはずだが、チェス喫茶「R」によく来ていた山根さんが「相談が…

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「半自伝的エッセイ(46)」アグネス・ラム似のアザラシに尋ねる、「時間は誰のものか…

私が足繁くチェス喫茶「R」に通っていた時分、つまり私が学生だった頃のことだが、会社勤めを…

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「半自伝的エッセイ(45)」待合室の夜

チェス喫茶「R」では半年を一期としてチェス名人戦なるリーグ戦を開催していた。仕組みはほぼ…

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「半自伝的エッセイ(44)」チェス盤上のアリア

スライスしたニンニクを少し深めの鍋に入れ、そこにやや多めのオリーブオイルを被せる。そして…

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「半自伝的エッセイ(43)」郊外の過去が住む家の軒下のツバメ

今でも半年に一回ぐらいは実家に帰る。帰ったとしても誰がいるわけでもない。誰もいないから帰…

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「半自伝的エッセイ(42)」ハルクの定理:関数=将棋・チェス→証明不可

高校時代のことである。朝自宅を出る時には学校に向かった。当たり前といえば当たり前の話である。授業も一応とはいえきちんと出ていた。だが、帰宅するのは学校からではなく雀荘からだった。 親は部活で遅くなっているものと思っていたが、私の部活といえばそれは麻雀だった。授業が終わると雀荘に直行し、まだ正気が残っていたから十九時ぐらいにはお開きにして帰宅していた。同級生で面子が揃わない時には上級生の卓に加わっていた。 そんなある日、行きつけの雀荘のひとつに私はいた。もし待っている牌が来

「半自伝的エッセイ(41)」完全なる双子

そんなに頻繁というわけではなかったのだが、チェス喫茶「R」には時折、双子の姉妹がやってき…

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「半自伝的エッセイ(40)」c3(シーサン)→微分みたいなチェス

気になる局面や手筋があった時など、私は明け方まで安物のマグネット式のチェス盤上で、ああで…

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「半自伝的エッセイ(39)」クリスチャンチェス・神社で聖母マリアと出会う

おそらくはマスターの影響というのか人柄というのかのためだったのだろうが、チェス喫茶「R」…

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「半自伝的エッセイ(38)」文庫本・文鳥・文

おそらく年齢のせいだと思うのだが、ここ数年徐々に小さな文字が読みづらくなってきた。まず文…

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「半自伝的エッセイ(37)」定跡と素数と親知らず

ある時、急に悪寒がしてきて、立っているのも辛くなった。幸い自分のアパートの部屋にいる時だ…

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「半自伝的エッセイ(36)」数式にチェスを代入する

チェス喫茶「R」にたまに来る人で、大学で数学を教えているという人がいた。皆から先生と呼ば…

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「半自伝的エッセイ(35)」2本の百合

百合ちゃんが亡くなってから三年か四年後ぐらいのことだった。百合ちゃんの、つまり私の義理の父が亡くなった。私はその頃、理由はよく憶えていないのだが、なぜか多忙で、義理のお母さんが無理をしなくていいと言ってくれた言葉に甘えて、通夜にも葬儀にも不義理をした。実際、同じ関東圏とはいえ、仕事を休まないではいけない土地でもあった。 せめて心ばかりの義理を果たすべく、義父が亡くなった半年後のあたりに私は百合ちゃんの実家に足を運んだ。あらかじめ行くことを電話で伝えておいたからに違いないが、