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「半自伝的エッセイ(18)」チェスの音階

ある日、チェス喫茶「R」に行くと、端のほうのテーブル席で符号を言い合いながらチェスを指している二人がいた。一人は知っている人で、もう一人はその時初めて見る人だった。

私はカウンター席に座りコーヒーを頼んだ。マスターがコーヒーを淹れてくれる間も後ろのテーブル席から一手一手符号が聞こえてきた。符号を言いながらチェスを指すことは普通はしない。私が不思議な顔をしたのか、マスターは小さな紙に何かを書き、私の前に差し出した。そこには「目X」と書かれていた。

そうか、見知らぬほうの人は目が見えないのか。振り返ってその対局を見ると、知っているほうの人である団さんは、目が見えない人の番の際に、その人がある駒の名前を言って符号を言うと、そこにその駒を動かしてあげていた。団さんの手番の時には、自分で駒を動かし、その符号を教えていた。

しばらく対局を眺めていたが、目の見えない人(後で知ったのだが大山さんという名前だった)は決して間違うようなことがなかった。すでに駒があるマスに駒を進めてしまうとか、そんなありそうな間違いはしない。それどころか、勝負を押している印象だった。私も脳内である程度は駒を動かすことができたが、あのマスに駒はあったか?とか、ポーンの位置をひとマス間違えていたり、完全には再現できていないことも多かった。

しかし、大山さんは短時間で間違えることなく、駒を動かしていた。

団さんとの一局の後に私は大山さんと対局させてもらった。相手の駒も動かしてあげないといけないハンディがあったというのは言い訳で、私は負けてしまった。対局後、気になっていたことを大山さんに尋ねた。それは、頭の中でどういうふうに駒を動かし、一手ごとに変化する局面をどう憶えているかということだった。

「音かな」と大山さんは言った。
「音ですか?」意外な答えに驚いて私は訊いた。
「うまく説明できないんだけど、どのマスにも音があって、その音の連なりで手順を憶えている感じかな」
私は頭の中で先の手順を考える時にチェス盤と駒を具体的にイメージしていたが、その際に音が介入することはなく、まったくの無音の世界だったから、大山さんの頭の中のイメージがうまく想像できなかった。

よくわからないと思っている私のことを察したのか、大山さんは話を続けてくれた。
「子供の頃、チェスを教えてもらったんだけど、マグネット式の盤と駒だったのね。駒をあちこち動かすとね、盤の中央にいくほど、多分たわみが出るためだと思うけど、駒を置いた時の磁石がくっつく音が大きくて、端のほうのマスに行くほど小さく硬い音になるんだ。その微妙な音の違いでマス目を憶えた。どのマスにも固有の音があるんだ」
私にはまるでわからない世界だったが、続けてもう一つ尋ねてみた。
「駒の配置はどうやって記憶しているんですか?」
「もっとうまく説明できないんだけど、たとえばナイトがf3にあるとするじゃない、そのナイトがそこで居心地がいいかどうかでそのマスの音が微妙に変化するから、なんて言うのかな、同じマスでもそこにある駒と全体的な駒の配置でちょっとずつ音が違ってきて、それで見ている感じかな」

大山さんの「見ている」という言葉が私には印象的だった。音で見ている。それはおそらく私が訓練してもできないことだと思った。私はもう一つ、大山さんの話を聞いて気になったことを尋ねた。
「相手の駒の動きも音で見るんですよね?」
「そうだね」
「そうすると、僕の指し方になにか感じることはありましたか?」
「う〜ん、そうだな。ベートーヴェンなら『絶望』という曲にしたかもね」
「絶望ですか?」
「あなたは駒を捨てることから手を考えている印象があって、盤上が、なんと言えばいいのかわからないんだけど、暗い音で満たされていた。でも僕の印象だから気にしないでね」

大山さんの答えを聞いて私には思い当たることがないわけではなかった。大山さんと団さんの対局を見ていて、これは正攻法では勝てないなと感じた私は、序盤から駒交換をどんどん進めて、ぎりぎりのエンドゲームに持ち込む方針で指していた。結局のところ、読み抜けがあってそれは失敗したわけだが、確かに私は大山さんとの対局に指す前から絶望していたと言えた。

目の前に盤と駒があっても刻々と変わる局面を正しく理解し、その先の展開を考える際には、頭の中で高速で駒を動かさないといけない。それも何通りもの可能性がある。その能力が高い人ほど強いことは言うまでもない。音で局面を記憶するという大山さんの能力はついに私には身に付かなかったが、ある駒があるマスにいて居心地がいいか悪いかという大山さんの感覚は今でも大切にしている。

そのことがあってから一年ぐらいしてだったと思う。大山さんが交通事故で亡くなったと聞いた。交差点を横断中に右折してきた車にはねられたのだという。その後何度か車の免許を取得しようかと考えたことがあったが、その度に大山さんのことが思い出されて、結局免許を取ることはなかった。車を運転できないことで不便も感じたが、それでよかったんだと思っている。

(この回終わり)

文中に登場する人物等は全て仮名です。

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