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『第三夜』

 こんな夢をみた。

 私は公園のベンチに腰をかけて、ぼんやりと砂場を眺めていた。

ありふれたどこにでもある昼下がり。幼い子供たちが、砂のお城を作っては崩しを繰り返しながら、きゃっきゃっと騒いでいる。

「それ」が訪れたのは突然のことだった。ぽかぽかと、温かい陽気の中を、サッと冷たい風が吹き抜ける。風に誘われるように瞬きをしたとき、ふっと何も音が聞こえなくなったのに気が付いた。驚いて辺りを見回すと、さっきまで見ていた景色が嘘であったかのように、人影がない。それどころか、凡そ昼とは思えないほどに昏くなっていた。決して気づかぬ間にうたた寝をして夜が訪れたというのではない。まるでセピア色のフィルターを通して景色を眺めているかのような、そんな昏さなのだ。

 その時だった。遠くから、蒸気機関車の汽笛の音が聞こえてきた。それはみるみる近づいてくる。車輪のきしむ音まで、すぐそこに近づいてきた。

まさか、私も視えるようになってしまうのだろうか。「あれ」を……?

 私の思考に応えるように、やはり「それ」は現れたのだった。線路などどこにもない公園のど真ん中を通過していく。見事な菖蒲色に染め上げられた蒸気機関車。白蛇のような真っ白のラインが車体を這いまわるように引かれ、列車の上には大きな月の満ち欠けのオブジェが順に乗っている。

「御神輿列車」

「それ」はそう呼ばれていた。地元の人間であれば知らない者はいないほど有名な都市伝説である。噂によれば、御神輿列車は、ある日突然視えるようになるんだそうだ。一種の霊感のようなものであるらしい。視える人には視えるが、視えない人には一生視えないこともある。そして、御神輿列車が視えるようになってしまうと必ず近いうちに自分の元に「切符」が届くんだそうだ。その切符は自分が乗ることになる列車の色と同じだという。列車の色は様々であるが、例えば桃色であれば「生命力」、鸚緑色であれば「子宝」、菖蒲色であれば「再生力」といったように、列車に乗ることでさまざまな恩恵を頂戴できるというものだ。名付け親は不明だが、特殊な存在のため、特別な目的のためだけに造られた「乗り物」であることから「御神輿列車」と呼ばれるのだそうだ。

 これだけ聞くと、なんだ、良いことばかりではないかと思われるが、勿論それだけではない。列車には数々の種類があり、先ほど述べたような祝福もあれば、呪詛を受けてしまう列車も存在するのだ。しかも、呪詛の内容が何であるかについてはほとんど情報がない。「口は禍の元」ということらしく、呪詛の噂をすると、自分が引き寄せられやすくなってしまうとかで、誰も語ろうとしないのがその理由らしい。

 そして、タイミングが選べないことも難点だ。「切符」はどこからともなく現れる。玄関の外靴の中に入っていたり、読みかけの小説のページに挟まっていたりと様々だ。「切符」に気づいた瞬間から列車と縁が結ばれてしまい、自宅の玄関の扉だろうと、学校の教室の扉だろうと、どの「扉」を開いても列車の中へとつながってしまうようになる。

極めつけは、行き先が不明であること。着いた場所が住んでいる国内であれば幸せな方で、運が悪いと異国の地、最悪の場合は全く違う世界線で降ろされてしまうこともある。たとえ「祝福」の列車であったとしても、極めて恐ろしい話なのだ。

私は初めて御神輿列車を見た日から、ずっとその日がやってこないように祈りながら生きてきた。来る日も来る日も呼ばれずに済んだことに感謝して、恐怖と戦い続けてきた。

 そして、視えるようになってから一か月が経とうとしていたある日。

 再び御神輿列車を視ることになった。しかしそれは以前に視たものとは全く異質な雰囲気を放っていた。人の熱気がむんむんと湧き上がっていたはずの都会の交差点。あの嫌に冷たい風。静寂。セピアの景色。蒸気機関の音……。

 「それ」は空間にぽっかりと穴でも開いてしまったのかと思うほどに真っ黒だった。全ての色を奪って吸収してしまったかのような圧倒的な黒。何故か「棺」という言葉が浮かんできた。そうか、これは全ての始まりの列車であるに違いない。悲しい泣き声のような、車輪の音。


 その瞬間。

車内の「何か」と目が合った。分からない。それが一体何であったのか。人なのか、人ではない存在なのか、はたまた人であった存在なのかすら。それどころか姿すら全く見えなかったのだ。しかし、「目が合った」という確信があった。腹の底からじわじわと冷えていく感覚。「この列車だけには乗ってはいけない」という確かな直感。

 列車が通り過ぎるまでがとても永く感じられた。無意識に呼吸を止めていたことに気づく。大きく息を吐いて、やっと体のこわばりが少しとれた時、ふと、動揺で強く握りしめていた拳に、何かが入っているような違和感があるのに気が付いた。

それは、××色の切符だった。

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