【仏教解説】仏教は哲学のように考えられていたりするが、正確には違う
仏教とは、非言語的な情報を習得して、それを解析、または、翻訳した内容で語られている。
だから、文献を読み漁っても、仏教の修行僧から話を聞いても、意味や内容を正確に理解することは難しい。
別の記事でも記載していたが、野生動物が持っている、磁気的なエネルギーを知覚する、磁覚のような能力が人間にも備わっている。
多重人格の人物の中には、自身の人格の人数を数えたり、人格を統合したりする人物が存在している。
彼らは、人格を知覚して、ある程度は、コントロールすることに成功している。
そういった現象は、磁気的なデータ(エネルギー)を知覚してコントロールしていないと成立しない。
そして、彼らは修行僧ではない。つまり、修行を積まなくても、そういった能力は、生まれた時から備わっていたりする。
人格、つまり、魂の有無を判別する能力は、仏教の神通力の1つとされているが、こういった能力が強化されると他者にまで範囲が拡大する。
HSP(ハイパーセンシティブパーソン)と呼ばれる人々の中には、エンパスと呼ばれる、目に見えないエネルギーを知覚する人物の存在が示唆されている。
別の記事に記載した、催眠療法の原型になったとされる、メスメリズムの磁気師(マグネタイザー)と同類の概念である。
だから、自分の情報だけに向き合うために、古代の修行僧たちは人里離れた場所を選んで修行を積んでいたと推測される。
これは、情報を収集しすぎて精神に異常をきたすのを回避していた可能性もある。
そもそも、釈迦は仏教に関する教えを他人に説くことを、躊躇ったという逸話がある。
何度も説得されて、どうにか、話し始めたとされている。
仏教は、非言語的な情報を収集して、それらを、解析して独自の理論を構築してから、他者が理解できる言語に翻訳して、その内容を語っているから、初期の仏教は難解になっている。
悟りを開いた? 解脱を果たした? それだけでは、まだ、足りない。
語れない。
その後に、非言語的な情報を言語化するという、困難な作業が待っている。
言ってしまえば、悟りや解脱なんかは、人格に干渉さえすれば、誰でも理解できる。
問題はその後である。
あらゆる学問に幼少期から精通していたとされる、釈迦でさえ躊躇する困難な作業が待っている。
釈迦が、悟りや解脱の能力を使用した年齢が35歳だとされている。
自分が、同じ原理を開発して使用した年齢は18歳である。
つまり、学力や知能に関係なく、磁気的なエネルギーの操作に関しては、私は釈迦と同じ、もしくは、それ以上の能力を有していた。
しかし、釈迦と同じ壁にぶつかった。
下手に言語化すると、釈迦の二の舞いになって、誰も理解できない難解な内容になってしまう。
最悪、釈迦と同じ内容を、そのまま語るという無意味なことをしてしまう。
現代知識を活用して、釈迦とは違う言葉で人々が理解できるように、語らないといけない。
理解できない情報は、暗号と変わらない。
自分は釈迦への挑戦者である。
初期の仏教への挑戦者でもある。
知っていることと、語れることは、イコールではない。
人間は多くの現象を知っているが、それらの原理を語ることはできない。
リンゴが地面に落ちる現象のように。
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