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博士号未取得者の私が大学専任講師になれたわけ

大学の専任教員の求人では、ほとんど「博士の学位」が応募条件になっています。
私は現在、40代前半で専任講師として働いていますが、博士の学位はまだ持っていません。採用時は博士後期課程在学中でしたが、現在は必要単位を取得して退学しました。大学によって言い方は異なるようですが、いわゆる満退(満期退学)です。
面接では、博論について聞かれた際「現在執筆中」と答えましたが、結局着任してから研究時間が取れずいまだに「執筆中」が続いています。
採用された理由は、私が優秀だったからではなく、業績が博士号を持っている人と同程度かそれ以上に多かったわけでもなく、単にタイミングと大学とのマッチ度によるものだと考えています。
何が採用の決め手になったのか、私なりの分析をまとめてみました。

なるべく幅広い科目が担当できる授業要員

現在の私の勤務している大学は、偏差値BF(ボーダーフリー)、つまりあまり学力の高い大学ではありません。
まずはあまり知名度や偏差値の高くない大学で専任教員経験を積み、段々と有名大学に転職してキャリアアップしていく方も多いと思いますが、私はまさにこのスタート地点にいます。
大学によると思いますが、私の勤務大学では少し専門からずれていても授業担当になる場合があります。もちろん、全く分野の異なる授業を任されることはありませんが、正直なところ、ほぼゼロから勉強し直さないと教えられないレベルの科目もあったりします。
つまり、できるだけ多くの授業を担当できる、ということがポイントだったのではないかということです。
これは想像に過ぎませんが、これまでの業績だけでなく、学歴、学習経験のある科目(恐らく成績表からの情報?)で割り振れるかどうかを見極めているのではないかと思いました。
私は大学、修士、博士すべてが異なる大学で、学部学科(研究科)の名称も多様だったことがうまく印象付けられたのかもしれません。
人事に関わる方が近い分野の方なら厳しい目で見られたかもしれませんが、面接官を思い出す限りではこれに当てはまる方はいらっしゃらなかった気がします。

最初は、担当依頼の科目を見た時に「え?」と動揺を隠せない科目もあって、シラバスを作成するのにも一苦労でした。
ですが、ポジティブに捉えれば、様々な科目を担当させてもらえて業績を増やせるというメリットはあると思います。
また、かすっているくらいでも関連分野であることは間違いないので、思わぬところから研究の糸口がつかめたり、別の視点からの考察が思いついたりして、研究に奥深さや広さ、斬新さが出ることもあります。これはとてもありがたいことだと思っています。

海外経験がある

上で書いたこととも重なりますが、海外経験があることで担当科目が増えました。
大体どの大学でも国際交流や交換留学制度はあると思いますが、これに関わる授業や業務があり、そちらの科目も一部担当しています。
海外経験があるからといってスペシャリストというわけではないし、もっと適任の方がいらっしゃるだろうとは思いますが、そこはやはりFラン大学。
今いる人材で賄えるところは賄おう、質はともかく!というスタンスなのでしょう。
もちろん、どんなことでも専門の方はいるし、できればその専門家から教わるのが一番だと思うので、自分の専門意識がない科目を教える時には、学生に申し訳ないなあとどうしても思います。それでもできるだけ何か得てほしいと思って、授業準備に励んでいます。

海外経験に関しては、大学の方針やトップの人の海外びいきというのもあると思います。
直接質問したわけではないのでこれもやはり想像でしかありませんが、大学案内や●●長と呼ばれる方の話の節々に、海外崇拝や日本批判があると、数年でも海外での経験というのは加点だったのではないかと思ってしまいます。

研究者育成、大学院での指導を求められていない

私の勤務大学は大学院があるにはありますが、学部から進学する人は非常に少ないです。
卒業研究も卒業論文は必須ではなく各指導教員に委ねられていて、かなり緩いです。私は一応、研究計画を立て、調査・分析をし、それを成果にまとめるということは最低限ゼミ生に課していますが、半分くらいは私のゼミに入ったことを後悔していると思います。私も、そんな学生には「私のところを希望しちゃったせいで災難だったね」と心の中では同情していますが、入ったからにはある程度成果の質も求めることを豪語しています。
初めはこの部分はあまり気にしていなかったのですが、研究指導は面白いし自分自身にとっても勉強になるので、大学院に進学したいという学生がいないことや研究に意欲的でない学生が多いのはとても寂しいし、私自身のモチベーションも下がります。
やはり研究というのは学びの本質であると思います。疑問を抱き、そのためにどんな知識を得たらいいのか自ら学び、疑問を解決するために必要な方法やデータは何か考える。実は生きていくために基本的なプロセスで、社会に出たら必要なものだと思うので、その教育に力を入れられない今の環境には一番不満を持っています。
今の大学を自分から去る時は、この部分をクリアできる就職先を見つけられた時だと思います。

学生指導業務が多い

研究指導が求められていないなら何が求められているのか、と言えば、学生指導です。
現在は大学でも担任業務がある大学がほとんどだと思いますが、私の勤務大学ではこの担任業務が教務の大部分を占めています。
履修指導に始まり、出席状況、授業態度、成績など手厚いサポートを求められます。「え、そんなの自分で調べてよ」と思うことも、「それは学生自身の責任でしょ」ということも、業務として降ってきます。
自分が学部時代、こんなことしてくれた先生はいませんでした。過保護すぎて自立できないんじゃないかと心配になります。
時には保護者と話すこともあります。まさか、自分が小中高の先生のような業務をやることになるとは思っていませんでした。
しかも、私を含め大学教員のほとんどは教育者としての勉強はしていません。教育学とかが専門の方ならまだしも、教育心理とか教育法とか、なんだか他にもいろいろ学ぶべきこと知っておくべきことがありそうですが、専門分野以外はわからないことだらけです。
精神的に支えを必要としているような学生もいて、正直、役不足感はぬぐえません。

講師として雇える

大学院指導や研究者育成を求められず、ある程度授業が担当できて、学生担任業務を任せられるなら、教授でも准教授でも講師でもいいわけです。
だったら、学位や業績もあまり重視せず、お給料の少ない講師を雇ったほうが、大学にとってはコスト削減につながります。
私が採用された公募は元々博士の学位は条件になっておらず、「修士以上」が要件でした。そこからも、あまり立派な方ではなくて薄給でそこそこ使える人材がほしかったのだろうと思います。

勤務地が自宅から近い

これは実際のところあまり重要ではないかもしれませんが、大学の先生の中にはかなりの遠方から通っている人も多いです。
1限の授業がある時には前日泊、なんて話もよく聞きます。
新幹線、高速を使っている方も少なくないようです。
応募条件に「着任後、通勤圏内に移住可能」というような記載もたまに見ますが、交通費がかからない人材は大学にとってありがたいのだろうなと思います。

私個人にしか当てはまらないこと、ただの想像に過ぎないこともあると思いますが、少しでもこれから大学教員を目指す方の参考になれば嬉しいです。



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