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映画『マイ・ビューティフル・デイズ』感想

予告編
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 昨日の映画『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』感想文に続いて、今日もティモシー・シャラメの映画感想文を。


心は揺れ動く


 原題は『Miss Stevens』。リリー・レーブが演じる女性教師・レイチェルの苗字。しかし、映画情報サイト等にもある通り、主演はティモシー・シャラメ。彼が演じる主人公・ビリーが、ほのかに想いを寄せる人物の名前をタイトルにしたのかな?  でも二人とも主人公にしても良い気がします。この物語は建前上の主人公は居るものの、観る人によって主人公、つまり感情移入してしまう登場人物が異なるんだと思うんです。観終わった時の感想もきっと人それぞれ。

 ちなみにですが、僕が共感してしまうのはやっぱりビリー。じれったい、もどかしい、歯痒い——そんな青臭いティーンエイジャー特有の苦みある青春の美しさを輝かせるエンディング曲のせいもあるでしょうけどね。



 映画の冒頭、授業中の教室……。「感情開放」というワードが出てくる。芝居をかじり始めた時に必ずと言って良いほど耳にする言葉。この時点ではわからなかったけど、演劇大会に参加するビリーら学生3人とその引率を任されたレイチェルの物語である本作にとってはとても重要なワード。不思議なことに、この「感情開放」が演劇大会や芝居といった事柄以上にメインの4人の心に深く関わっている。そんな本作はとても質素に、けれど丁寧に心の在り様を描き、登場人物たちの機微に触れられるような作品です。


 映画が始まってしばらくの間、本作はとても “きっちり” していました。きっちりした画角が連続し、カメラをパンすることもほとんど無く、映像を彩るサウンドトラックすら余韻や切れ目を考慮することなしに突然ブツっと途切れたりする。まるで、ある事をきっかけに感情を上手に表出できずにいたレイチェルを表していたかのようで、そういったシーンの数々はとても印象的だったのでよく憶えています。この表現方法がとても印象的だったからこそ、作中で時折流れる揺れ動くカメラワークが改めて新鮮に感じられるんじゃないかな。感情の発露、衝動の表出……、そういったシーンになると必ずと言って良い程そうだった。

常日頃から感情開放なんてものが出来ている器用な人にはわからないかもしれない。感情の振り幅の激しい不器用な人々の心情に寄り添うようなこのカメラワークは、そんな彼らを愛おしく思わずにはいられない、もしくはそう思いたくなる手助けをしてくれる素敵な手法だったと思います。



 今思えば他にも気になる絵面(えづら)が幾つもあった。4人で車に乗っている時は正面から撮っていたのとは対照的に、2人で車に乗っている時や食事をしている時は後ろからの画角。感情の代名詞とも呼べる表情を観客に見せないシーンは、上手く想いを吐露できない不器用な苦虫人間である2人の暗喩のよう。ついつい視界に入れてしまう、そんな青春の思い出を彷彿とさせるズームも面白かった。他にも幾つもある。セリフだけでは伝えきれない機微、その役割を視覚部分が担っている感じです。

 そんな本作はラストも良かったです。劇場から立ち去るレイチェルの回想カットの直後、現在の彼女が映り、同じように同じ方向にはける。ここでの一瞬の反復シーンは、彼女の心の中で類似した動きがあったことを理解させてくれるのと同時に、物語の中盤で彼女がマーゴットにかけた言葉——「今日も明日も苦しいかもしれない」「けど、いつか治まる」——を想起させてくれる。あの時、大きな失敗、というか悔しい想いをしてしまったマーゴットにレイチェルがかけた言葉は、同時にレイチェル自身への言葉だったのかもしれない、と。ラス トの彼女は “治まった” のかな? “乗り越えた” のかな……。どちらかはわからないけど、前に進めた彼女をラストカットにして締め括られる本作の後味はなかなかに乙なもの。


 美しい日々の記憶は甘味ばかりじゃない。想い返せば苦みも酸味もあった。そんな鮮明な想い出の端々と共感できる瞬間がたくさん散りばめられています。個人的には、ビリーとレ イチェルが2人で歩いている時に、手持無沙汰のあまり子供みたいに木の枝を手に取ってしまうところが一番印象的。落ち着いているつもりなのに、普段通りじゃない自分がよくわからないことをしちゃうんだよな?わかるよ、すっごくわかるよビリー。みんなそういうもんなんだと思うよ笑


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