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映画『アメリカン・アニマルズ』感想

予告編
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 明日4/29(土)に Hulu にて配信開始予定とのこと。

 およそ20年前に起きた窃盗事件を映画化した本作。一応〈ネタバレ〉のタグは付けておりませんが、それでも事前情報ナシの方が面白い気がします。


 公開当時の感想文ですが、よければどうぞー。


特別じゃない若者の敗北


 「犯人は4人の大学生」
 「こいつら『レザボア・ドッグス』!」
 「『オーシャンズ11』等の映画を参考にして犯行に及んだ?」
 「100%実話」

……そんな文言に惹かれて劇場に訪れた僕のような人々は漏れなく「裏切られたっ!」と思うこと請け合いです。その意味の良し悪しに関しては人それぞれ。ちなみに僕にとっては “良い意味で裏切られた” です。間違いなく。



 ストーリーそのものはシンプル。とても価値ある書物を盗んでやろうという4人の大学生の話。そんな本作の見どころは、実話を基にした、ではなく “実話である” ということ。冒頭に流れるその文章の意味を若干履き違えていたからか、序盤に登場する “ある人物たち” の存在に、まず驚かされました。彼らの登場によって一瞬、ドキュメンタリー映画の様相を窺わせるものの、すぐに本筋へと戻るもんだから、人によってはこういう展開のために作品の波に乗り損ねる(=物語の世界観に没入できずにいる)こともあるかもしれません。“壮大な再現ドラマ” と言うとあんまり聞こえは良くないのかな……?

そういったシーンを往復する度に生まれる緩急も然ることながら、作品全体に亘っても大きな緩急が仕掛けられていて、ドキュメントタッチの部分とドラマ部分とで、“どちらが作品の本筋か” という認識がひっくり返るような印象のクライマックスが生み出す特異な後味は、この映画の最大の魅力だと思います。



 序盤から含蓄あり気なテイストで進行していくものの、犯行プランを練る話し合いで「お前はミスター・ピンクだ」などと『レザボア・ドッグス』風にコードネームを決めたり、エルヴィス・プレスリーの『A Little Less Conversation』をBGMに、華麗に獲物を強奪する姿をイメージしたシーンが描かれたり……。どちらかというとエンタメチックな泥棒映画感が強いからこそ前述した ”緩急” が活きる。(まぁその分、そういった痛快ムービーを期待していた方にとっては、テンポの悪さに嫌気が差してしまうかもしれませんが)

当初は「ストーリーテラー的な役割なのかな?」と思っていた彼らの言葉も、ある時を境に、その毛色を大きく変える。それを懺悔や反省、後悔と取るか、反対に言い訳や弁明などと意地悪く受け取ってしまうかどうかは、その是非も含めて難しい。「若気の至り」と言えば笑い話で済むこともままあるが、この件に関してはちょっとね……。少なくとも言えるのは、彼らが本作で訴え掛けているのは、その言動の種となる感情は誰しもが持ち得るものであり、同時に、とても危ういということ。



 “〈自分〉は特別”——。これは自惚れやナルチシズムの話ではなく、誰でも割と当たり前のように持っている感覚だと思います。他の誰かが世界から居なくなっても〈自分〉が知る世界(=自分が見ている・認識している世界)は無くならないけれど、自分が消えたら世界は無くなる。消えてしまえば自我も存在を失う。自分で認識できないものは “無い” に等しい。だからこそ “自分は特別”。

個人的に思うのは、例えば人は、交通事故で死ぬ可能性をあまり信じていない。事故には遭わないだろう・起きないだろうと思っているからこそ、運転中にスマホをいじったり、ちょっとした余所見をしてしまう。自転車や原付に乗る程度ならヘルメットも被らないし、イヤホンを耳につけたまま運転したり……とまぁ、多少の交通違反なら平然と犯してしまう。

一方で、交通事故で死ぬよりも低い確率でしか当たらない宝くじを「もしかしたら……!」と信じて熱心に買う人だって居るわけで……。

そういうことなんじゃないかな。「特別な自分の人生には、特別なことが起きて然るべき」と、誰もが少なからず思い込んでいる。だって「〈自分〉は特別なんだから」。


 近年のSNSの発展・普及と共に肥大化しがちな印象の、人々の承認欲求、自己肯定欲求にも類似するその心理が、彼らの目を曇らせてしまった。できっこない事を “自分達なら出来る” と思い込んでしまった。今思えば、『レザボア・ドッグス』や『オーシャンズ11』を犯行の参考にしてしまう——映画のようなことを起こせると勘違いしてしまう——というのが、現実を侮る若者らしさを際立たせていたようにも思えます。


 そんな彼らを現実に叩き落すような、犯行シーンからクライマックスまでの描写はとても素晴らしい。そこからの彼らを「これでもか」とみっともなく映したおかげもあると思いますが、突然の一人称視点や、揺れるカメラで彼らの心情を如実に表していたのも良かった。

「オレ一人で行く」と啖呵を切ったのに助けを呼ぶ……、痕跡を残さずスマートに成し遂げる予定だったのに鍵が見つからないだけで取り乱す……、ガラスケースを力づくで割る……、素手であちこち触り荒らし回る……。とまぁ、そりゃもう酷いもんです。


 他にも、エレベーターで地下へ降りた先が真っ暗だったり、慌てて階段で逃げる策に転じた彼らが転げ落ちるシーン等々。物理的な描写の幾つかが、まるで彼らの心情やその先の人生の行く末を暗示しているかのようで非常に面白い。「予定は狂ったけど、まぁこれさえ上手くいけば」という妥協策が次々に崩れていった挙句、小さな戦果でもどうにか強がる姿までもがみっともない。あまりにも愚か。そして、だからこそ見入ってしまう。


 先述した魅力的な後味は、以上のシーンも然ることながら、そんな特別な過去を経た特別な彼らが口にする “ある真実” をもって終幕するところが所以なのかもしれません。


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