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映画『マイ・ブロークン・マリコ』感想 

予告編
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2/6(月)、明治安田生命保険が行ったアンケート調査の結果がネット記事に載っておりまして……。
社会人が選ぶ「理想の新入社員」、女性の一位に永野芽郁さんが選ばれてました。(ちなみに男性一位は大谷翔平さん)

今日は、そんな永野さんが主人公の若い会社員を演じている本作の感想文を投稿します。


……フレッシュな印象のランキングとは対照的に、本作の彼女はとても鬱屈した日々を送る会社員を演じていますが……。



生きること


 主人公・トモヨ(永野芽郁)が、親友のマリコ(奈緒)の遺灰を強奪するというブッ飛んだあらすじの予告編に惹かれて観に行った本作。(すみません。原作の漫画は未読です、、、。)

一人の人間が、一つの死に対してどう向き合うか、どう受け入れていくかが描かれていたように思いました。



 マリコの突然の訃報から始まる物語。町中華の店内に流れてきた自殺のニュースに、ただ固まることしかできないトモヨ。

その一方で、「どうせSNSが炎上でもした~」などと適当な反応をする周囲の客の声が響き渡る……。

また、慌ててマリコの自宅に行くも、既に片付けられ、その部屋の管理者と思しき人は事故物件扱いになることへの愚痴を漏らすばかり……。


私自身にも覚えがあるが、人は見知らぬ他人の訃報に逐一悲しんだり重く受け止めるようなことは非常に少ないもの。世間なんてそんなもの。クライマックスには、「人が死んでも社会は変わらない」というトモヨのモノローグが流れ、テレビから聞こえてくるまた別のニュースに対し関心の無さそうなトモヨの姿も映される。

そしてクソ上司やクズ親父どもへのお咎めも無ければ、変化も描かれない。最期の最後まで、不快に感じるくらいに、何も変わらないということが際立っています。

BGMがほとんど無かったりしたのも相俟ってか、マリコの死は終始徹底して、他人からは路傍の石ころの如く見られているように描かれている。



 人が一人死んだところで社会は何も変わらない。なのに物言わぬ故人に想いを馳せるのは何故なのか。死人に口なしと言いますが、そんな故人を想っての行動のように見えて、実は悲しんだり悩んだりするのは、残った者がその〈死〉を受け入れるための儀式なんじゃないかと思わされました。



 突然の訃報に、トモヨは固まることしかできなかった。いきなり会社を無断欠勤したり、突然遺灰を奪いに行ったり、マリコを弔うための旅に出たり……。大きな動きがあったように見えなくもない展開でしたが、本作では、そこから彼女が本当の意味で再び動き出せるようになるまでの物語が描かかれていたんじゃないかな。



 先述した町中華屋でのシーン。突然の訃報に固まるトモヨ。直前までズルズルとラーメンを啜っていた彼女の箸は、麺を掴んだまま空中で静止する。ここが、彼女の時間が止まってしまった瞬間。それが再び動き出すのは終盤。ネタバレ防止のために詳細は割愛しますが、色々あって、ようやく帰路に就く電車の中で、マキオ(窪田正孝)に渡されたお弁当をがっつくようにむさぼるトモヨ。中盤で酒を飲んでいるようなシーンもありましたが、本作ではほとんど食事らしい食事シーンが省かれていたように見えたので、より一層、ここのシーンが印象的に感じられたのかもしれません。そして、そんな ”食べること” は正に生きることの象徴の一つ。色んな事が一段落して、止まっていた時計の針が動き出したような印象が生まれる。

もっと言うと、前半に描かれていた深夜バスのシーンは、画面的には右から左への方向だったのに対し、その電車の動きが深夜バスの時とは反対に左から右への方向になっていたのも、時間が進みだしたような印象を受けた大きな要因の一つ。

既に死んでしまった親友のことや、後悔など、過去の事が頭を支配していた深夜バスのシーンと反対方向に動き始めることで、彼女の中の時間が再び進み始めたことを教えてくれているようでした。



 親友のために大きな行動に出た主人公ですが、実は取り立てて善人ではないというのも本作のミソかな、と思っています。中学生の頃から喫煙していたとかね。まぁ悪人ってわけでもないんですけど。

“周囲と少し違う” マリコと幼少期からずっと仲が良かったトモヨ。 人によっては共感できない出来事もたくさん描かれているとは思うし、主人公自身からも真っ当な思考回路ではない部分がちらほら窺い知れる。

でもだからこそ、正しさよりも、誰かに寄り添って貰えることの大きさが際立っていたんじゃないかと思います。今のご時世は、たとえその人のことや事情を何も知らなくても、〈正しさ〉だけで糾弾してくる社会。でもそれじゃあ誰も何も救われない。仮に正しくなくても、寄り添う事の方が救いになり得ることだって、きっとある。

「私にもアンタしかいなかった」というトモヨのモノローグから、そんな事 を考えさせられてしまいました。



 そんな本作のラストシーン。マキオが別れ際に口にした言葉が活き出した素敵なラスト。

マリコが死に、寄り添ってくれる人が既にいないかのように見えるトモヨを救うような締め括りでした。


 悲しみも怒りも、泣いたり叫んだりするのも、〈死〉を受け入れる儀式の一つなのかな。これからを生き抜いていくために、何者かへの復讐ではなく、後悔や懺悔の救済として描かれていたのも良かったと思います。

自殺に始まった物語ではありますが、最期には、如何に生きていくかを考えさせられる作品でした。


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